治承二年一月一日、院の御所で拝礼が行われ、四日、高倉天皇は年賀挨拶に行幸した 例年と何も変わったことはなかったが、去年の夏、新大納言成親卿以下側近の人々が多く流罪に処せられたことに対し、後白河法皇の憤りは収まっていなかった そのため政務も何…
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