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知命立命 心地よい風景

This is Kiyonori Shutou's weblog

【平家物語】 巻第三 八(四〇)有王島下

さて、鬼界が島の流人のうち二人は召し返されて京へ帰った 独りつらかった島の島守となってしまったのがいたわしい 俊寛僧都には、幼いときからかわいがり召し使っていた童子がいた 名を有王という 鬼界が島の流人たちが今日はもう都へ入ると噂に聞き、有王…

【平家物語】 巻第三 七(三九)少将都還

同・治承三年一月下旬、丹波少将成経殿と平判官康頼入道の二人は肥前国鹿瀬庄を発って都へと急がれたが、余寒がまだ厳しく、海上もひどく荒れていたので、浦伝い島伝いにたどり、二月十日頃に備前国児島に到着した そこから父・成親殿が住まわれていたところ…

【平家物語】 巻第三 六(三八)頼豪

かつて白河上皇の時代、京極大殿・藤原師実の娘が后になられたことがあった 源顕房の娘が賢子の中宮と呼ばれてご寵愛を受けておられたので、白河上皇は皇子のご誕生を望まれ、当時効験あらたかと評判であった三井寺の僧・頼豪阿闍梨を召し この后が皇子を授…

【平家物語】 巻第三 五(三七)大塔建立

御産の御修法の結願にあたって褒美が下された 仁和寺御室・守覚法親王は東寺の修造を命じられた また後七日の御修法において、大元の法・潅頂の儀式を執り行うよう命じられた 弟子の法眼・円良は法印に昇進となった 座主宮・覚快法親王は、二品の位並びに牛…

【平家物語】 巻第三 四(三六)公卿揃

皇子の乳母には前右大将宗盛卿の北の方と定められていたが、去る治承元年七月に難産のために亡くなっておられたので、平大納言時忠卿の北の方・帥典侍殿が乳母になられて、後に 帥典侍 と人々は呼んだ 後白河法皇はすぐ御所へ戻られるため、門前に御車を寄せ…

【平家物語】 巻第三 三(三五)御産巻

二人は鬼界が島を出て、成経殿の父・教盛殿の領地である肥前国鹿瀬庄に到着した 教盛殿は京から人を送っており 年内は波風も激しく、道中も不安なので、春になってから帰洛するように と連絡があったので、成経殿は鹿瀬庄で年を越した 同・治承二年十一月十…

【平家物語】 巻第三 二(三四)足摺

使者は丹左衛門尉基康という者であった 急いで舟から上がり ここに都から流された丹波少将成経、平判官入道康頼殿はおられないか とあちこち声をかけて尋ねた 二人は例の熊野詣をしていて、いなかった 法勝寺執行・俊寛僧都が一人いたが、これを聞き 思いが…

【平家物語】 巻第三 一(三三)許文

治承二年一月一日、院の御所で拝礼が行われ、四日、高倉天皇は年賀挨拶に行幸した 例年と何も変わったことはなかったが、去年の夏、新大納言成親卿以下側近の人々が多く流罪に処せられたことに対し、後白河法皇の憤りは収まっていなかった そのため政務も何…

【平家物語】 巻第二 一六(三二)蘇武

清盛入道が卒塔婆を見て憐れまれると、京中の老いも若きも身分も問わず、皆 鬼界が島の流人の歌 といって口ずさまない者はなかった 千本も作り出した卒都婆なので、さぞ小さかっただろうに、薩摩の南方からはるばると都まで伝わったのが不思議であった あま…

【平家物語】 巻第二 一五(三一)卒都婆流

さてこの二人、普段は三所権現の御前で夜を徹して祈願することもあった ある夜、通夜をして、一晩中今様などを歌っていたが、明け方、苦しさから少しまどろんで見た夢の中で、白い帆を掛けた舟が一艘、沖から波打ち際に向かって漕ぎ寄せて来ると、紅の袴を着…

【平家物語】 巻第二 一四(三〇)康頼祝

さて、鬼界が島の流人たちは、草葉の先に結んだ露の落ちるがごときの命、もはや惜しむべくもないが、丹波少将成経殿は舅・平宰相教盛殿の領地である肥前国鹿瀬庄から衣食をいつも送られていた それにより俊寛僧都も平判官康頼も命をつないでいた 康頼は流さ…

【平家物語】 巻第二 一三(二九)善光寺炎上

その頃、信濃国・善光寺が炎上したことがあった 阿弥陀如来像は昔、天竺・舎衛国に五つの悪病が広まって多くの人々が死んだとき、月蓋長者の要請により、龍宮城から、閻浮樹の森林を流れる川の底の砂金を得て、釈尊と弟子・目連、月蓋長者が心をひとつにして…

【平家物語】 巻第二 一二(二八)山門滅亡

後白河法皇は、三井寺の公顕僧正を師範として真言密教の秘法を伝授されていた 大日経、金剛頂経、蘇悉地経の三部の秘法を伝授され、九月四日、三井寺において、正統な継承者となるための潅頂の儀式を行うとのことであった 延暦寺の大衆は憤慨し 昔から、御潅…

【平家物語】 巻第二 一一(二七)徳大寺厳島詣

徳大寺大納言実定卿は、平家の次男・宗盛卿に大将の地位を越され、しばらく世の動向を見ようと大納言を辞して屋敷にこもっておられたが 出家する と言い出されたので、仕える者たちは皆嘆き悲しんだ その中に蔵人大夫・藤原重兼という諸大夫がいた さまざま…

【平家物語】 巻第二 一〇(二六)新大納言死去

さて、法勝寺執行・俊寛僧都、丹波少将・藤原成経、平判官康頼、この三人を薩摩の南方・鬼界が島へ流された その島は、都の彼方、はるばる荒波を越えた向こうにあるので、生半には船も通わず、島には人もほとんどいなかった 時折見かける人は、色が黒くて牛…

【平家物語】 巻第二 九(二五)阿古屋松

成親卿一人に限らず、処罰を受けた者は多かった 近江中将・源成雅・蓮浄入道は佐渡国、山城守・中原基兼は伯耆国、式部大輔正綱は播磨国、宗判官・惟宗信房は阿波国、新平判官資行は美作国であったという 当時清盛入道は福原の別荘におられたが、同・治承元…

【古事記】序 ― 古伝承とその意義、天武天皇と古事記の企画、太安万侶の古事記撰録

【序】 過去の時代(序文の第一段) --- 古伝承とその意義 ――古事記の成立の前提として、本文に記されている過去のことについて、まずわれわれが、傳えごとによつて過去のことを知ることを述べ、續いて歴代の天皇がこれによつて徳教を正したことを述べる…

【平家物語】 巻第二 八(二四)新大納言被流

さて、治承元年六月二日、新大納言成親卿を公卿の座に呼ばれ、食事を出されたのだが、胸が詰まって箸さえ取られない 預かり役の武士・難波次郎経遠が車を寄せて お早く と言うと、成親卿は渋々乗られた ああ、なんとかしてもう一度重盛殿にお目にかかりたい …

【古事記】 日本最古の歴史書、はじまり、はじまり!

日本最古の歴史書と言われる古事記。 712年(和銅5年)に稗田阿と太安万侶が編纂したと言われていますが、その内容はどんなものがあるかといわれると、思いい付くのはイザナギとイザナミの国生み神話や、スサノオのヤマタノオロチ退治の話。オオクニヌシと因…

ラッセンより♪普通に♪ゴッホが好~き♪「Loving Vincent(愛するフィンセント)」

ラッセンより♪普通に♪ゴッホが好~き♪ フィンセント・ファン・ゴッホの生涯を描くアニメーション映画が、ポーランドで制作されています。 その映画のタイトルは「Loving Vincent(愛するフィンセント)」 まずはその予告編をみてみてください。 まさにゴッホ…

【平家物語】 巻第二 七(二三)烽火

もっともこれは法皇の御道理ですから、叶わぬまでも、院の御所は私が警護します 理由は、私が五位に叙せられてから今の内大臣兼左近衛大将になるまで、法皇の御恩に他なりません その恩を重さに譬えれば、千粒万粒の玉より重く、その恩の深さを色に譬えれば…

PACHA FESTIVAL TOKYO 2016 ! イビサ島の老舗クラブ「PACHA」がフェスになって日本へ上陸!

ダンスミュージックの楽園スペイン・イビサ島の世界最高峰の人気を誇るクラブ「PACHA」(パチャ)が、いよいよ日本上陸です! 真っ赤なチェリーのトレードマークで有名な世界最高峰のクラブ「PACHA」ですが、2016年末に日本で開催されるフェスティバル本祭を前…

【平家物語】 巻第二 六(二二)教訓

清盛入道は、このように多くの人を処罰してもなお満足できないのか、既に、赤地の錦の直垂に、黒糸威の腹巻の銀の金具を施した胸板を着け、安芸守だった頃、神社参拝の折にありがたい夢のお告げを受け、厳島大明神から実際に授かられ、いつも枕元に立ててい…

‘Photo 365’ project ! 365日にわたって描き続けた、愛する妻との幸せのアルバム!

愛する妻や恋人との日々は、次第に単なる日常となっていきがちです。 でも、笑い合い、喧嘩をし、仲直りし、そしてさらに深く愛おしく思う日々のスケッチを描いていったとしたら、それはステキなことだと思いませんか? Curtis Wiklundさんは、愛する妻と過…

【平家物語】 巻第二 五(二一)少将乞請

丹波少将成経殿はその夜、院の御所・法住寺殿で宿直をして、まだ御所を退出されずにいたが、成親卿の侍たちが慌てて院の御所に駆けつけ、成経殿を呼び出してこのことを伝えると、成経殿は こんな大事なことを、どうして宰相殿のところから知らせてこないのだ…

【竹 取 物 語   作者不明】

竹取物語に就いて 竹取物語は我国の初めての小説ともいわれています。 製作の時代は平安朝の初期というだけで、作者も不明、その外のことも一切わからず仕舞です。 その後、『字津保』、『落窪』、『源氏』といった小説類が追々現れてきますが、この『竹取物…

【平家物語】 巻第二 四(二〇)小教訓

新大納言・藤原成親卿は清盛入道の屋敷の一室に押しこめられ、汗だくになりながら ああ、これは日頃の計画が洩れているのに違いない 誰が洩らしたんだろう きっと北面武士の誰かだな などあれこれ想像しているところに、背後から高らかな足音が聞こえてきた…

春分の日!彼岸中日、弘法大師忌となれば、プチ遍路の旅かなあ。

今日(3月20日)は、春分の日にして、彼岸中日、弘法大師忌ですね。春分の日!彼岸中日、弘法大師忌となれば、プチ遍路の旅かなあ。 昼と夜の長さが同じになると言われていますが、厳密には地球から見える太陽の大きさ分誤差があるんですよね。 というのも、日…

【平家物語】 巻第二 三(一九)西光被斬

大衆による明雲先座主奪還の一件を後白河法皇がお聞きになり、ひどくご不快でいらしたとき、西光法師が 延暦寺の大衆が傍若無人な訴訟を起こすことは今に始まったことではありませんが、このたびは度が過ぎております よくよくお考えなさいませ これを戒めに…

【平家物語】 巻第二 二(一八)一行

比叡山の東の麓にある十禅師権現の御前で大衆は再び評議を開いた さあみんな、粟津へ行って明雲僧正を奪還しようではないか だが、追い立て役人や護送役人がいるから、奪還は困難だ 日吉山王権現の御力に頼るほかはない 本当に問題がなく、奪還が可能である…

『三国志演義』第百二十回(終わり) 杜預を薦めて老将新謀を献じ、孫皓降って三分一統に帰す

さて、呉主は司馬炎が魏を奪ったと聞いて呉が心配なって病となり、丞相ボク羊祜ウを呼んで太子の孫休を世継ぎと指さして息絶えた。しかし、孫休は弱年であったので万彧、趙浮の進言でボク羊祜ウは、孫晧を帝位にした。そして、元興元年と改元し、孫休を豫章…

【平家物語】 巻第二 一(一七)座主流

治承元年五月五日、天台座主・明雲大僧正に対し、朝廷は法会・講義の資格剥奪の上、蔵人を使者として如意輪観音本尊の返上を命じられ、帝の無事を祈祷する役からも外された そして検非違使庁の使者を送り、このたび神輿を内裏へ振り奉った張本人を差し出すよ…

『三国志演義』第百十九回 仮りに投降し計を巧みて虚話を成し、ふたたび授禅し様に依りて葫蘆を画く

姜維は、監軍の衛瓘に鄧艾、鄧忠を捕らえてくるように命じ、夜明けとともに詔を奉じて彼らを捕らえた。鄧艾父子は洛陽に護送された。 そこに、司馬昭が軍勢を率いて来るという知らせが入り、姜維はさらに鍾会に蜀で自立するように進言した。そして、密かに後…

今日は春の社日!産土神と氏神の違いをご存知?

今日(3月17日)は春の社日!古来から産土神様に参拝し、五穀の種を供えて豊作を祈願する日、といわれています。今日は春の社日!産土神と氏神の違いをご存知? そもそも社日とは雑節の一つで、産土神(生まれた土地の守護神)を祀る日。春と秋にあり、春の…

春の彼岸!暑さ寒さも彼岸まで!

今日(3月17日)は春の彼岸入り!春の彼岸!暑さ寒さも彼岸まで! 日本では、春分の日と秋分の日を中日とする7日間は「お彼岸」と呼ばれていますね。 太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間…

【平家物語】 巻第一 一六(一六)内裏炎上

夕方になって、蔵人左少弁・藤原兼光に命じ、殿上でにわかに公卿の衆議があった `去る保安四年七月の神輿入洛のときは、天台座主に命じて赤山神社へ入れ奉った `また保延四年四月の神輿入洛のときは、祇園感神院の別当に命じて祇園の社へ入れ奉った `今回は…

『三国志演義』第百十八回 祖廟に哭して一王孝に死し、西川に入りて二士功を争う

さて後主は成都にあって、綿竹が破れたことを知り、大いに驚いて慌てふためき百官と評議した。張繍は魏に降ることを勧めて、後主に降伏の文書を起草させた。そこに後主の第5子劉禅が諌めに入ったが、後主は聞き入れず彼を近臣に追い出させた。かくして12…

【平家物語】 巻第一 一五(一五)御輿振

さて、延暦寺の大衆は、国司・加賀守師高を流罪に、弟・近藤判官師経を投獄してもらおうとたびたび奏聞したが、お裁きがないので、日吉神社の祭礼を止め、安元三年四月十三日の辰の刻に、十禅師、客人宮、八王子権現の三社の神輿を飾り奉って陣頭へ向かった …

『三国志演義』第百十七回 トウ士載偸かに陰平を度り、諸葛セン戦って綿竹に死す

さて、輔国大将軍董厥は魏の軍勢が押し寄せたと思って関の前に陣取った。 自ら陣頭に立って軍勢を見ると姜維達の軍であったので喜んで迎え入れた。 さて、鄧艾は息子の鄧忠を先鋒に乾飯や縄を持たせて密かに兵を進めて、摩天嶺を縄を使って越えた。ここには…

【平家物語】 巻第一 一四(一四)願立

神輿を客人の宮へ入れ奉る `客人とは白山妙理権現のことである `白山本宮の神輿なので、父子の間柄である `訴訟の成否はさておき、生前父子であった二柱が逢えたのが喜ばしかった `浦島太郎の子がの七世の孫に逢ったときや、胎内にいた羅睺羅が霊鷲山にいる…

『三国志演義』第百十六回 鍾会兵を漢中道に分け、武侯聖を定軍山に顕す

司馬昭は、 「彼に二心があっても、蜀が彼を受け入れるはずがなく、兵も遠征で早く魏に帰りたいと思うであろうから彼に従うはずはない。」 と言った。少帝は恐れ入って平伏した。 鍾会は許褚の子許儀を先鋒にして10万の大軍で蜀に押し寄せた。 鄧艾も詔を…

【平家物語】 巻第一 一三(一三)鵜川合戦

そもそもこの俊寛僧都というのは京極の源大納言雅俊卿の孫で、法勝寺法印・寛雅の子である `祖父大納言は武家の出ではないが、実に短気な人で、三条坊門京極の屋敷の前をめったに通らせない `普段は中門に佇み、歯を食いしばり、睨んでおられた `そんな恐ろ…

『三国志演義』第百十五回 班師を詔して後主讒を信じ、屯田に託して姜維禍を避く

姜維は準備が整うと後主に北伐の上奏を出した。 張繍が諌めたが、後主が北伐を許したので、彼は病と言って家に引きこもった。 姜維は廖化を守備に置いて夏侯覇に先鋒を命じた。しかし、夏侯覇は鄧艾に攻めるのを読まれて、城内に攻め入った時に司馬望に矢を…

【平家物語】 巻第一 一二(一二)鹿谷

この事件により、高倉天皇御元服の打合せは延期となり、同・二十五日、院の殿上で御元服の打合せが行われた `基房松殿も現職でおられるはずもなく、同・十二月九日、あらかじめ宣旨を受け、十四日に太政大臣に昇格された `さらに同・十七日、任官のお礼があ…

『三国志演義』第百十四回 曹髦車を駆って南闕に死し、姜維糧を棄てて魏兵に勝つ

姜維は廖化、張翼に後詰めを命じて追い討ちに備えた。鄧艾はこれを見て、 「諸葛亮の兵法そのままじゃ。」 と嘆息して兵を退いた。 姜維は後主に謁見し、鄧艾の離間の計であることを告げると、後主は黙り込んでしまった。そしてようやく、 「朕もそなたを疑…

【平家物語】 巻第一 一一(一一)殿下乗合

さて、嘉応元年七月十六日、後白河上皇が出家された `出家の後もすべての政務を執られたので、院と帝の別もなかった `院側近の公卿や殿上人、上下の北面武士に至るまで、官位や俸禄は皆身に余るほどであった `それでも人の心の常で、なお飽き足らず `あの人…

『三国志演義』第百十三回 丁奉計を定めて孫チンを斬り、姜維陣を闘わせてトウ艾を破る

姜維は援軍到着を恐れて、歩兵を退かせて騎馬に後詰めをさせた。 鄧艾は笑って 「追撃すれば彼の計に落ちる。」 と言って追うのを止めた。 ここに呉主は孫綝の横暴に対して兵をおこそうとし、密詔を黄門侍郎全紀に与えた。しかし、全紀が妻に話すと、全紀の…

【平家物語】 巻第一 一〇(一〇)妓王

清盛入道は天下を掌中に収めたので、人々の非難もはばからず、人のあざけりさえ顧みず、理解できないふるまいばかりしていた `例えば、当時、都で評判の白拍子に妓王と妓女という姉妹がいた `刀自という白拍子の娘たちである `清盛入道は姉の妓王だけを寵愛…

『三国志演義』第百十二回 寿春を救って于詮節に死し、長城を取って伯約兵をミナゴロシとす

諸葛誕は魏軍を退けたが、呉の兵士達は戦うのも忘れて置き去りにされた魏の牛馬に飛びついた。そこを司馬昭の軍勢に襲われたので寿春に逃げ込んだ。全端と子の全禕は孫峻に、 「魏を追い返せねば生きてわしの顔を見れぬと思え。」 と言われ、寿春に向かった…

『三国志演義』第百十一回 トウ士載智をもって姜伯約を敗り、諸葛誕義をもって司馬昭を討つ

姜維は夏侯覇に 「鄧艾は弱年ながら強敵でございます。これまでとは違います。」 と諌められたが、聞かずに自ら先鋒に出て隴西を攻めに行った。しかし、鄧艾の陣を見て、驚いて本陣に戻った。 鄧艾は陳泰とともに陣を布いて待っていたが、蜀軍は仕掛けて来な…