知命立命 心地よい風景

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銃・病原菌・鉄!知的興奮を喚起する歴史を科学的に解説・実証した書!

「世界はなぜ均一ではないのか。地域間の格差がある理由は何か。」
こうした命題に真っ向から挑み、食料生産力の違いが環境に大きく依存することを指摘して、文明の違いが環境に由来することを論理的に説き明かした佳書である『銃・病原菌・鉄』。
副題には「1万3000年にわたる人類史の謎」とありますが、原題には「the Fates of Human Societies」とあるように、人間社会の運命を科学的な説得力で実証した傑出した良書です。

昨年から学問の在り方についてあれこれとお伝えしていますが、肝心なのは、考え、問い、学ぶということを繰り返す修養の必然性です。
安易な要約モノや超訳モノばかりに依存し、情報を得るだけの安易な○×式の思考パターンに陥るのではなく、思考を要する重厚な書物・古典に浸り、知的体験を存分に味わうということの重要性を知って頂くきっかけのひとつになれればと思っています。

そんな佳書の中のひとつ『銃・病原菌・鉄』。
1998年度にピューリッツァー賞(一般ノンフィクション部門)、1998年コスモス国際賞を受賞し、識者が選ぶ朝日新聞ゼロ年代の50冊”(2000年から2009年の10年間に出版された書物)の第1位に選ばれた名著中の名著です。

説いている論旨は、ざっと以下のようなものです。

論旨ここから———
人類が誕生してからの歴史をたどる時、ある大きな謎にぶち当たる。
アフリカ、ヨーロッパ、アジア、南北アメリカオセアニア・・・・。
人類は世界各地で多様な社会を築いてきた。21世紀の現在、高度な工業社会に暮らす人々もいれば、伝統的な農耕牧畜生活を続ける人々、さらには数千年前から変わらず狩猟採集を暮らしの基盤とする人々もいる。そして、ある文明に属する人々は征服者となり、その一方で、ある文明に属する人々は征服されてきた。
「あなたがた白人は、沢山のものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私達ニューギニア人には自分のものといえるものがほとんどない。それは何故だろうか?」
あるニューギニア人からこの質問を受けた著者は「たまたま他と比べて白人の住む環境が優れていたからである」と答える。
そして
 なぜ人類は五つの大陸でそれぞれ異なる発展を遂げたのか?
 白人が他世界を征服する際に、最も破壊的な影響を与えた銃・病原菌・鉄をなぜ白人だけがそれを持てたのか?
を考察していく。
人類が一万三千年前にアフリカ大陸で誕生し、その後五つの大陸でそれぞれ独自の文明を発達させながら拡散していく。
ユーラシア大陸に住む人類には以下の利点があった。
・栽培できる食物の質が高かった
・家畜化するのに向いている動物が回りにいた
・緯度に大きな差がなかった。
食料の安定確保のため、人類は狩猟から農耕へと移行し、食物・家畜が自給・備蓄可能となるため、結果、民族の数が増えていく。
人口と家畜の密度が上がるにつれ、特定民族に疫病・病原菌が流行するが、同時にその民族は免疫を持つようになる。
免疫を持った民族が他の地域の民族を攻め込む際、攻め込まれる民族には疫病が、攻め込む民族には免疫が効果を示し、その争そいに影響を与える。
また、民族が大きくなると共に多くの発明品が生まれ発達し、文明の発展も加速していく。
ユーラシア大陸は緯度が同じ地区が長く続くため、地域間にて気温の差があまりなく、大陸内での文明の相互発達が更に加速していく。
発達した発明品の中の鉄や銃といった強力な利器を持って、白人たちは他の大陸・民族を征服、植民地化する事に成功した。
未開の地区の人が征服されたのは、白人より遺伝子が劣っていたのではなく、先進国の方が生存力が低くても社会的インフラが整っているので質の良くない遺伝子でも残せるため。
未開の地区にはエジソンのような大天才が現れないので、白人の方が遺伝的に優れているのではなく、才能を発揮する場所に恵まれ、その結果が優れてみえるだけ。
寒い地域に住む民族と違い、温暖な地域に住む民族は怠けやすいので征服されたのではなく、寒い地域は農耕などの人やモノが増える環境に適していないためであり、温暖な地域は新しい物事を開発する余裕が生まれるだけ。
論旨ここまで———

要旨は、人類の歴史においては食料生産力の違いが文明の発達の差をもたらしたということであり、食料生産力の違いが環境に大きく依存することを指摘して、文明の違いが環境に由来することを科学的に解説し、実証しているのです。
分子生物学から言語学に至るまでの最新の知見を編み上げて人類史の壮大な謎に挑む知的興奮を味わえる『銃・病原菌・鉄』。
じっくり読み込み思考するという点で、一読をお奨めします。

ダイアモンド『銃、病原菌、鉄』2005年版追加章

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無常観!尊厳と誇りが為せる日本的美意識!

存在するすべてのものは、絶えず移り変わっていると観察する人生観であり世界観である「無常観」。
一般に無常というと、人生の短いことを儚む虚無感にも似た感覚を思い浮かべるかもしれませんが、これは無常を感情や情緒として感受していることからきています。

これに対して「無常観」とは、
・物事が成長するプラスの面を見ることであり
・四苦八苦は人間が生きていくうえで付いてまわる必然のものであり
・生あるものは必ず死ぬという現実を受け入れた上で、
前向きに生きる姿勢、感覚を指します。

あなたは、若くありたい、死にたくないと思っているかと思います。
そう考えると、刻一刻と老化し最後に死ぬという現実と、あんた自身の思いとは大きな食い違いを起こします。
そこに”思い通りにならない苦”というものが起こる訳です。
その苦を脱却するためには、現実と思いとの間に食い違いを起こさないようにしなければなりません。
勿論現実の方は変えようがないので、どうするかといえばあなたの思いを変えて現実に合わせるしかありません。
それが、生あるものは必ず死ぬという現実を受け入れるということなのです。
この現実を受け入れれば、現実と思いが一致するので、苦というものは起こらず、心は平安となる訳です。
こうしたあなたの思いを変えてしまうために、無常観が必要になるのです。

日本人は、ブッダの説く「無常観」に大きな影響を受けてきました。
・人の命のはかなさ、世の中の頼りなさを歌った『万葉集
・「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と無常を想う遁世生活を述べた『方丈記
・「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」の言葉で始まる『平家物語
吉田兼好の随筆『徒然草
これ以外にも能、桜などの中にも無常観を表そうとしたものが多いですね。

永遠なるものを追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人は移ろいゆくものに美を感じる傾向を持つ、独特の美意識を持ち続けてきました。
これらは、人や世間のはかなさ、頼りなさを情緒的、詠嘆的に表現しようとした日本的美意識としての「無常観」です。

これは、現代の私達だからこそ大切にすべき特質です。
虚無感にも似た現実からの逃避ではなく、現実をきちんと受け止める。
そうした中でも移ろいゆくものに美を感じながら前向きに生きる姿勢、感覚を表す。

日本人としての尊厳と誇りがなせるこうした特質を胸に、今年もしっかりと進んで参りましょう。

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中朝事実より考える!日本の国体について

山鹿素行※1)の著書についての続きです。
※)”『孟子』滕文公章句と松陰が説く学ぶ意味について!”を参考にしてください。
※1)山鹿素行については、以前に整理した内容も参考にしてください。
聖教要録、配所残筆より学ぶ!日常の礼節・道徳の重要性!
武教小学、武教全書より学ぶ!生きる上での基本と道徳的な修養の基本について

素行は、45歳のときに著した『聖教要録』で、幕府の官学・朱子学を痛烈に批判した罪により江戸を追われて赤穂へ流謫となります。
赤穂ではひたすら学問と著述に没頭し、48歳のときには日本の国体についての名著『中朝事実』を書き上げました。
54歳で配流が許されて江戸へ戻り、その後の10年間は軍学を教えた後、生涯を閉じています。

今回は、そんな『中朝事実』について、です。

『中朝事実』は、万世一系、皇室が連綿と続いている日本は、三種の神器が象徴する智・仁・勇の三徳においてはるかに優れており、日本こそ世界の中心にある国だと説き、皇統の系譜と事績を記して、その正統性と政治的権威による「君臣の義」を歴史に即して述べたものです。
日本主義的傾向は明らかではありますが、中国において聖人の示した政治理念が日本において実現していたことを普遍的な基準によって解説したものであり、儒教そのものを否定する国学の傾向とは異なっており、後年(ある種現代でも)誤解されているような国粋主義の書ではありません。

「君臣の義」を中心とした山鹿素行の思想を最もよく理解し実行したのが吉田松陰※)です。
※)こうした松陰の実行力については、改めて整理していきます。
松陰は、代々山鹿流の兵学師範だった吉田家を継ぎ、素行を先師と呼んでいたと伝えられています。

また、日露戦争の英雄・乃木将軍は「中朝事実」を座右の書とし、山鹿素行を終生の師として仰慕していたそうです。
武士道に生きた最後の古武士・乃木将軍は、明治天皇の大葬に際して殉死しましたが、その前日『中朝事実』を献上し本書を熟読されんことを言上したと伝えられています。
献上の折のただならぬ様子に裕仁親王は「院長先生はどこかへゆかれるのですか」と訝られたそうですが、後に本書が昭和天皇に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。

そして、戦後の日本は構造改革規制緩和をして市場を開放し、金融を自由化し経済的自立を果たしてきたが、その結果良い方向に進んできたのでしょうか?
経済とは、その国の固有の条件、さらに伝統・文化に密接な関係があります。
だからこそ、日本は日本型の節度ある経済成長のモデルを今こそ世界に広めねばならないのです。
山鹿素行の『中朝事実』の思想に日本は立ち戻り、日本が本来持っている素晴らしいところを見直し、良いと思えば自信を以て世界に向かって主張しなければならないでしょう。

本書を著すことにより素行自身、日本的自覚に達し日本精神を以て一切の指導原理とする信念を確立したといわれています。
江戸初期に書かれた本書が本来主張するところは、日本の国体の貴重さ、重要さです。
そういう意味では、今の日本が敗戦・東京裁判史観によって未だに再建出来ずにいる日本精神の再生には重要ではないかと考えられるのです。
そして、山鹿素行から連なる東洋史観が現代に繫がる事によって、日本の伝統と歴史の連続性が復活し、これによって損なわれてきた日本精神の基盤が再建されるべきでしょう。
今の現代日本には、『中朝事実』のような過去の賢人の言にも耳を傾ける度量が求められているのではないかと思います。
日本の政治家だけでなく、それぞれの領域リーダーには是非本書を読んで頂き、日本を誇り高き未来へ導くための糧としてもらえればなあ。
こうしたリーダーがひとりでも増えることを祈りつつ。

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以下参考までに、一部抜粋です。

【中朝事実自序】
恒に蒼海の無窮を観る者は、その大を知らず。常に原野の無畦に居る者は、その廣きを識らず。これ久しうして馴るればなり。豈(あ)に唯海野のみならんや。愚生、中華文明の土に生まれて、未だその美を知らず、専ら外朝の経典を嗜み、嘐嘐(こうこう)として其の人物を慕ふ。何ぞそれ喪志(心)なるや。抑も奇を好むか。将た異を尚ぶか。それ中国の水土は萬邦に卓爾し、而して人物は八紘に精秀なり。故に神明の洋洋たる、聖治の綿綿たる。煥乎たる文物、赫たる武徳、以て天壌に比すべしべきなり。今歳冬十有一月皇統の実事を編し、児童をして誦せしめ、その本を忘れざらしむと云爾。

上皇統】
天先章:天地自然の生成について論ずる
天(てん)先づ成りて而して地後(のち)に定まる。
然うして神明(しんめい)其の中に生(あ)れます、國常立尊(くにとこたちのみこと)と號(がう)す。
一書(あるふみ)に曰(いは)く、髙天原(たかあまはら)に生(あ)れます神のみ名を天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)と曰(まう)す。

臣(しん)謹(つつし)んで按(あん)ずるに、天は氣也、故に輕(かる)く揚(あ)がる。
地は形なり。
故に重く凝(こ)る。
人は二氣(にき)の精神なり。
故に其の中(ちう)に位(くらい)す。
凡(およ)そ天地人の生るゝや、元先後(せんご)なし。
形・氣・神(しん)は獨(ひと)り立つべからざればなり。
天地人の成るや、未だ嘗て先後(せんご)無くんばあらず。
氣倡(いざな)ひ形(かたち)和し、神(しん)制すればなり。
蓋(けだ)し草昧(そうまい)屯蒙(わかくらし)の間、聖神(せいしん)其の中(ちう)に立ち、悠久(いうきう)にして變(へん)ぜず。
是れ神を尊びて、國常(くにとこ)・天中(あめのみなか)と號(がう)す所以なり。
夫れ天道は息(や)むなくして高明(こうめい)なり。
地道(ぢどう)は久遠(くおん)にして厚博(こうはく)なり。
人道は恆久(こうきう)にして疆(かぎり)無き也。
天其の中(ちう)を得て日月(じつげつ)明かに、地其の中(ちう)を得て萬物(ばんぶつ)載(の)り、人其の中(ちう)を得て天地位(くらい)す。
恆(つね)と中(ちう)との義は萬代(ばんだい)の神聖其の祚(くらい)を正したまふ所以也。
二神(にしん)の迹(あと)は今知る可からずと雖も、竊(ひそ)かに幸ひに常中(とこなか)の二尊(にそん)號を聞くを得たり。
是れ本朝(ほんてう)の治教(ちきやう)休明(きうめい)なるの實(じつ)なり。
天下の治(ち)恒久(こうきう)にして、萬物(ばんぶつ)の情以て觀(み)るべし、至誠息(や)むなくして、以て其の中(ちう)を制して、禮(れい)即ち明かなり。
政(まつりごと)恒(つね)なれば變(へん)ぜず、禮(れい)行はるれば犯されず。
神聖の知徳は萬世(ばんせい)の規範なり。

凡(すべ)て神神相生(あひうま)れまして、乾坤(あめつち)の道相(あひ)参(まじ)りて化(な)る。
所以(このゆえ)にこの男(をとこ)女(をみな)を成す。
國常立尊(くにとこたちのみこと)より伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)に至まで、是れを神世(かみよ)七代(ななよ)と謂(い)ふ。
臣(しん)謹(つつし)んで按(あん)ずるに、次第(しだい)の天神(てんしん)生生(せいせい)悠久(ゆうきゆう)の間、天地の實(じつ)に因(よ)りて、以てこの皇極(くわうきよく)を建つ。
この間(かん)庸愚(ようぐ)の舌頭(ぜつとう)を容(い)る可からず。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)は國中(くになか)の柱(みはしら)を巡りて男女(をとこをみな)の禮(れい)を定め、大八洲(おほやしま)及び海、川、山、草木(さうもく)、鳥獣(とりけもの)、魚蟲(いをむし)を生みまして、蒼生(さうせい)の食(は)みて活(い)くべきを致し、養蠶(こかい)の道を敎へたまひ、諸神(しよしん)たちを生みまして、その分(わいだめ)を定めたまふ。
功(こう)既に至りぬ。
徳も亦大きなり。
靈運(れいうん)當(まさ)に遷(うつ)れたまひて寂然(じやくねん)に長く隠れましき。

臣(しん)謹(つつし)んで按(あん)ずるに伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冊(いざなみ)は陰陽(いんよう)唱和(しようわ)の發語(はつご)なり。
二神(にしん)は陰陽の全き集まりなり。
故に以てこの尊號(そんごう)を奉れるなり。
蓋(けだ)し草昧(さうまい)悠久(いうきう)の間、天神(てんしん)生生(せいせい)の後(のち)に、二神(にしん)初めて中國(ちうごく)を立てて男女(をとこをみな)の大倫を正したまふ。
男女(をとこをみな)は陰陽の本にして五倫の始めなり。
男女(をとこをみな)ありて後(のち)、夫婦、父子(ふし)、君臣の道立つ。
二神(にしん)終(つひ)に大八洲(おほやしま)を制し、山川(さんせん)を奠(さだ)め、河海(かかい)を導き、草木(さうもく)種藝(しゆげい)し、鳥獸(ちやうじう)處(ところ)を得、人は始めて平土(へいど)を得て、五穀を播(ま)き桑麻(さうま)を植ゑ、而して蒼生(さうせい)の衣食足る。
既に足りては敎戒なくんばあらず、故に諸々(もろもろ)の神聖に命じ以てその境を有(も)たしめたまふ。
二神(にしん)の功業は萬世以て左衽(さじん)を免(まぬが)る。
丕(おほひ)に顯(あきら)かなる哉。
丕(おほひ)に承(う)くる哉。

以上、天地生成の義を論ず。
謹(つつし)んで按(あん)ずるに、天地は陰陽の大極(たいきよく)なり。
陰陽は甚(はなは)だその用を殊にして、互にその根を交(まじ)ふ。
遠くして近く、近くして遠し。
その形(かたち)するところ五あり。
所謂木火土金水なり。
木火(もくか)は陽にして
金水(きんすい)は陰なり。
土(ど)はその二を兼ねて而もその中(ちう)に位(くらい)す。
陰は必ず陽を含む、故に水(すい)の形は柔(じう)なり。
陽は必ず陰を萌(きざ)す、故に火(ひ)の用は烈なり。
水火は象(ありさま)なり、金木(きんもく)は形なり。
火は氣なり、純(もつぱ)ら昇りて止まず。
水は形なり、専(もつぱ)ら降(くだ)りて科(あな)に盈(み)つ。
陽(よう)の昇るや、陰必ずこれに從ふ。
故に昇降も亦息(や)むことなし。

夫(そ)れ積氣(せきき)の間、その精秀(せいしゆう)なるは日月(じつげつ)星辰(せいしん)となり、その動静は河漢(かくわん)風電(ふうでん)となりて、雲雨(うんう)霜雷(さうらい)の用あり。
夫(そ)れ地は形滓(けいさい)の凝りて以て土となるなり。
その積むを息(や)まず、而して山岳・丘陵・川河(せんが)・谷澤(こくたく)を載せて辭(じ)せず。
陰陽窮(きは)まりなくして而も經緯(けいい)あり、四時(しじ)あり、日の長短あり、時の寒暑(かんしよ)あり、一年一月あり、一日一時あり、二十四節あり、七十二侯あり、日月(じつげつ)の蝕(しよく)あり、氣盈(きえい)朔虚(さくきよ)あり。
これ天地互ひに交はりて以て千態(せんたい)萬變(ばんぺん)を爲すなり。
人も亦萬物の一に在りて、その精を禀(う)け、その中(ちう)を得たり。
その智の靈なるや、これを致(きは)めて通ぜざることなし。
その德の明らかなるや、これを盡して感ぜざるなし。
故に天地不言(ふげん)の妙を形容し、乾坤(けんこん)幽微(いうび)の誠を模樣し、以て暦象(れきしやう)を造り、時日(じじつ)を考へ、人物の極を定め萬世(ばんせい)の敎(をしへ)を建つ。
然れば乃(すなは)ち天地は人倫(じんりん)の大原(たいげん)にして、神聖(しんせい)は天地の性心(せいしん)なり。
人君(じんくん)を仰ぎ觀(み)、俯して察し、以て上下を正し、尊卑を定め、その智を致め、その德を明かにし、而して後(のち)に天地に参ずべきなり。
ある人疑ふ、天地に心ありやと。
愚(われ)謂(おも)へらく、既にその形氣(けいき)あれば未(いま)だ嘗てその性心なくんばあらず。
天地は息(や)むなきを以て心と爲す、故に消長(しやうちやう)往來し、終りて而して初めに復(かへ)る。
神聖は常中(じやうちう)を以て心と爲す、故に常に彊(つと)めてその德を明かにす。
是れ天地と神聖と、その原を一にする所以なり。

中国章:風土の状況について論ずる
 皇祖高皇産産霊尊遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊をたてゝ以て葦原中國の主と為んと思す。謹みて按ずるに、是れが我が國を中國と謂ふわけである。

皇統章:皇統の万世一系なることについて論ずる
 故に皇統が一度(ひとたび)定まって億萬世これに襲(よ)って変ぜず、天下皆正朔を受けてその時を二つにせず、萬國王命を稟(う)けてその俗を異にせず、三綱終に沈淪せず、徳化は塗炭に陥らず、外国の到底企て望み得ることではない。その支那では天子姓を易ふることを殆ど三十で、戎狄が入って王となった者が数世ある。春秋の二百四十余年に臣子がその國君を弑した者二十又五もある。その先後の乱臣賊子に至っては枚挙することができない。朝鮮では箕子(きし)が天命を受けて王となって以後、姓を易ふること四氏、その國を滅して或いは郡縣となり、或いは高氏は滅絶することが凡そ二世、彼の李氏は二十八年の間に王を弑する者四度あった。いわんやその先後の乱逆は禽獣の損ない合うと異ならない。唯我が中國(なかつくに)は開闢からこのかた人皇に至るまで二百万歳にも近く、人皇から今日まで二千三百歳を過ぎてゐる。しかも天神(あまつかみ)の皇統は違(たが)ふことなく、その間に弑逆の乱は指を屈して数ふる程もない。その上外国の賊は吾が辺藩をも窺ふこともできなかった。後白河帝の後に武家が権力を執って既に五百余年にもなる。その間に利嘴長距が場を壇にしたり、冠猴封豕が火を秋の蓬に縦つ類のないこともないが、それでもなお王室を貴び君臣の儀を存してゐる。これは 天神 人皇の知徳が顕象著名であって世を歿するまで忘れられないからである。その過化の功、綱紀の分がこの様に悠久で、このやうに無窮であるといふことは皆至誠から流れ出たからである。三綱が既に立つときはその条目は治政の極致として著はれる。凡そ八紘の大なるも、外国の汎きも中州に如くはない。皇綱の化文武の功、その至徳、何と大きいことではないか。

神器章:三種の神器について論ずる

神教章:教学の本源について論ずる

神治章:政治体制の基本について論ずる
 神治章では、皇祖天照大神のこの国を統治しようとされたときのみこころについて説いている。天地の恵みは至誠そのものであって君子もまた至誠そのものであり、自ら戒め、徳に向って進むとき、万民すべて安らけく、天下万国すべて平穏に無事なる状態になる。素行は、これこそが「天壌無窮」の神勅の意味であると説く(新田編著『中朝事実』76頁)。 素行の武士道論は建国の神話によって補強される。武徳章で、素行は神代紀の東征の記事に基づいて、威武の神髄を論じているのである。ここでは、道義に裏付けられた武が強調されている。

 謹みて按ずるに、五行に金あり、七情に怒あり、陰陽相対し、好悪相並ぶ。是れ乃ち武の用また大ならずや。然れどもこれを用ふるにその道を以てせざるときは、則ち害人物に及びて而して終に自ら焼く。

神知章:人間を知ることの重要性について論ずる

【下皇統】
聖政章:聖教の道を論ず。政治教化の基本について論ずる

礼儀章:礼儀の在り方について論ずる

賞罰章:賞罰の公正平明について論ずる

武徳章:武の意義について論ずる

祭祀章:祭祀の誠心について論ずる

化功章:徳化の功について論ずる

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四諦!人生の根本にある真理!

人生の根本にある4つの真理を「四諦」といいます。(「諦」とはあきらめでなく「真理」という意味です)
その4つとは「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」です。

考え方として大切なのは、”真実の生き方とは苦を背負いつつ生きていく道である”という確信と努力を為すことです。
そして、そういった確信や努力を妨げるのは混乱や迷いであり煩悩ですので、そういったものを制御していくことで、より良く生きる道が開けるということなのです。

・苦諦
 人間にとってはこの世界の「一切が苦である」という様態の真相、現実を指す。
 「人生が苦である」ということは、仏陀の人生観の根本であると同時に、これこそ人間の生存自身のもつ必然的姿とされる。
 このような人間苦を示すために、仏教では四苦八苦を説く。

・集諦
 苦が、さまざまな悪因を集起させたことによって現れたもの、つまり「苦には原因がある」という真理のこと。
 集諦とは「苦の源」、現実に苦があらわれる過去の煩悩をいうので、苦集諦といわれる。

・滅諦
 「苦は滅する」という真理。のこと。
 「苦滅諦」といわれ、煩悩が滅して苦のなくなった涅槃の境地を言い、いっさいの煩悩の繋縛から解放された境地なので解脱の世界であり、煩悩の火の吹き消された世界をいう。
 または、苦の滅があるということを認識すること、すなわち苦の滅の悟り、または苦の滅を悟ることを滅諦という。

・道諦
 「苦を滅する方法・実践修行がある」という真理のこと。
 「苦滅道諦」で、苦を滅した涅槃を実現する方法、実践修行を言い、これが仏道すなわち仏陀の体得した解脱への道である。その七科三十七道品といわれる修行の中の一つの課程が八正道※)である。
※)八正道については、”八正道!「苦」を滅するための8種の徳目!”も参考にしてください。

人生には「四苦八苦」が伴います。
生・老・病・死の4つが四苦で、
これに、
・愛する対象と別れねばならない「愛別離苦
・憎む対象に出会わなければならない「怨憎会苦」
・求めても得られない「求不得苦」
・最後に人間生存自身の苦を示す「五陰盛苦」「五取薀苦」
を加えて八苦、これで「四苦八苦」です。

反面、素晴らしいものもたくさんあるし、美しいものもたくさんあります、が、それらはあっという間に過ぎ去り、消えて失われていくものです。
でもそうした現実から逃げず、それを背負いながらも希望を持って明るく生きていく心構えが肝要です。
そこから煩悩を断ち切って苦しい人生をよりよく生きるという考え方が必要となる訳です。

気持ちも大きく切り替えていくには良いタイミングですので、自らを積極的にコントロールし、困難を前向きに切り開いていく姿勢で、これからも進んでいきたいものですね。

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菜根譚より学ぶ!人生の指針となるべき教養の書!

菜根譚』は、別名『処世修養篇』ともいい、明時代末期の洪自誠(こうじせい)による前集222条後集135条からなる箴言集です。
前集:主として世間に立ち人と交わる道を述べて、処世訓のような道徳的な訓戒のことばが多い。
後集:自然の趣と山林に隠居する楽しみを述べて、人生の哲理や宇宙の理法の悟了、通俗的な処世訓を説いている。
この人生の哲理・宇宙の理法は、儒仏道三教に通じる真理であり、それを語録の形式により、対句を多用した文学的表現(清言)で構成されています。
なお『菜根譚』という書名は、朱熹の撰した「小学」の善行第六の末尾に「人常に菜根を咬み得ば、則ち百事をなすべし(菜根は堅くて筋が多い。これを咬みしめてこそ本当の味わいが分かる)」からとったものです。
また、中国よりむしろ江戸末期の日本で教養書として「論語」と並んで愛読され、今日でも社会人の間では根強い人気があります。

菜根譚』が書かれた明時代末は、儒教が廃れて国が荒廃し混迷を極めた時代でした。
そのため、この形骸化した儒教に、道教仏教の良い部分を加えて、
・富や名声によらない幸福
・欲望を制御する大切さ
・普遍的な価値に身をゆだねること
・逆境をのりきる知恵
・真の幸福とは何か
・人との付き合い方
・自分の器を磨く方法
などが書かれているのですが、形骸化した宗教を再構成し、新しい幸福を定義することで、人間的な成長を手助けし、幸福を見失った人たちを救おうとしたのではないか、と思われるのです。

一見すると、独自の心学哲学を述べて形而上学的論拠をあからさまに述べているように思われがちですが、本書はそうしたことを一切差し控えた、処世哲学とでもいうべき箴言集です。
そういった意味では、『論語』や『老子』に近いものがあり、だからこそ日本では儒・仏・道三教に通底する人生観・処世観をみるのに格好の教材として長らく愛読されてきたのかもしれません。
時代は移り変わっても、人が身を世に処して人間らしく生きていこうとするときに、身に降りかかる艱難辛苦や喜怒哀楽には大差はありません。
そうした時この『菜根譚』は、人生の指針となるべき教養の書として、生きることの難しさと歓びを味わせてくれるすばらしい書物です。
今、自分の立ち位置やゴールを見失いそうになっている方、成長したい気持ちがあっても何をどうしたらよいかが解らない方などは、現状の問題の解決のヒント・きっかけとなる言葉が見つかるかもしれません。

古典に学ぶことは数多ありますので、こうした佳書にも是非親しんでみてください。

こちらのサイトに原文と現代語訳がありますので、参考にしてください。
菜根譚 洪自誠、人生の指南書
菜根譚(さいこんたん)ガイド
活人(前集)・達人(後集)のための 菜根譚 (さいこんたん) 超訳

以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。

菜根譚
道を守って生きれば、一時(いっとき)孤立する。
権力にへつらえば居心地は良いが、その後に永遠の孤独が襲ってくる。
めざめた人は、現世の栄達、物欲に惑わされず、理想に生きる。
一時の孤立を恐れて永遠の孤独を招くな。

万事に如才(じょさい)ないよりは、いくらか間が抜けているほうが、
また、ばかていねいよりは、一本気でぶしつけ、ぶっきらぼうの方が人間として信用できる。

君子の信条、志しは、やましいところがなく、事に当たって人々に広く知らしめることができる。
君子の才能は、奥深く秘めて、人々に容易に知らせることはない。

富貴の人に近づこうとしないのは潔癖ではある。
だが、近づいてもその影響に染まらないのが本当の潔癖というものだ。
世の中の手練手管など知らないほうがよろしい。
しかし、それを知りながらも用いようとしないのが本当の人格者だ。

耳に入るのは耳の痛い言葉ばかり、
することなすこと思うようにいかないという状態の中でこそ、人間は磨かれる。
耳に入るのは甘いお世辞ばかり、何事も思いのままという環境ならば、
知らぬまに猛毒に侵されて一生を台無しにするだろう。

自然には温かい太陽が欠かせない。人々の心にも喜びの心が欠かせない。

暇なときにも気を張った心持ちをし、忙しいさなかにもゆとりを持つ

夜深く人も静まったとき、座禅を組んで自分自身の心を観れば、
妄想が消え真実の物事が現れてくる。この中から、前進への意欲と自信が得られるのだ。

うまいことづくめのとき、えてして思わぬアクシデントに見舞われる。
だから調子の良いときこそ、いいかげんなところで手を引いた方が良い。
手も足も出ない逆境の果てに、案外、一条の道が開けることがある。
だから思いどおりにならぬからと、やけを起こして投げ出すものではない。

この世に生きているうちは、できるだけ寛容の心で人に接し、不満の心を抱かせないようにしたい。
世を去ったのちにも、できるだけ多くの恩恵を残して、人々に満足の心を持ってもらいたいものだ。

せまい道では足をとどめて「お先にどうぞ」、おいしい食べ物は「おひとつどうぞ」

くだらぬ欲望を捨て去る事ができれば、人格の向上ができる。
つまらぬ雑事にとらわれなければ、すぐれた人物となることができる。

友として交際するにからには、ひと肌脱ぐ心意気を持たねばならない、
その為には、純真な心を持つ事が必要である。

名誉、利益が得られるときは、できるだけ後ろの方に引っ込んで遠慮せよ。
人の為になる仕事なら尻ごみせずに率先して力を尽くせ。

一歩下がることが、さらに前進するための土台となる。
人のためを考えることが自分に利益をもたらす基礎となる。

天下に鳴り響くほどの功績を立てても、それを鼻にかければ何の値打ちもなくなってしまう。
天の神の怒りを買うほどの罪を犯しても、心からそれを反省すれば、罪は残らず消え去ってしまう。

功績や名声は独り占めにするものではない。失敗や汚名をすべて他人にかぶせてはならぬ。

完璧主義は、内変もしくは外憂を招く。

一家中が誠実に、平和に、表情も言葉も穏やかに、心をひとつにとけ合わせて暮らしていくならば、
その功徳は、むずかしい座禅の修行よりもはるかにまさっている。

むやみと動き回ってばかりいては、雲間の稲妻か風に吹かれる灯火のように、
落ち着きというものがまるでなくなる。といって、静寂ばかりを愛していては、
冷えきった灰か枯れ木のように、生気が失われてしまう。
動かぬ雲の間を鳶が舞い、静かな水の中に魚が躍るように、
静と動がひとつに融け合った境地こそ望ましいものだ。

人の過ちを批判するときには、厳しすぎてはならない。
相手がそれを受け入れられるかを考えるべきである。
人を指導するときにも、目標が高すぎてはならない。
従うことのできる目標を与えるべきである。

汚らしいゴミの中から湧いた虫がセミとなって高らかに歌い、
腐った草からはホタルが生まれて夏の夜空に光をともす
(のを見れば、外見にとらわれてものごとの本質を見失うのが、どれほど愚かなことかわかるだろう。)
(科学知識が未発達だった時代には「化生」といって、無生物が生物となると広く信じられていた。)

誤った自信、思い上がりを捨て、謙虚に自分を見つめてこそ、本当の自信が出てくる。
とらわれた常識を捨て虚心になってこそ、本当の心をつかめるのだ。
(「矜高居傲」とは、のぼせあがって他人を見下し、なんでもできると思いこんでいる状態、
 「情欲意識」とは、とらわれた先入観、思いこみの意。)

満腹になった後には、味わいの微妙な違いなどわからない。
情事が終わった後には、情欲も消え去ってしまう。

社会生活においては、無理に功績を上げようと努めることはない。
失敗を犯さなければ、それが立派な功績である。
対人関係においては、強いて恩を施して感謝されようと思うな。
人から怨みを受けずにすめば、それが人に感謝されることなのだ。

使命感に燃えて頑張るのは美徳であろう。
しかし、度が過ぎれば、まわりは息が詰まってくる。
ものごとにとらわれず、悠々自適にすごすのも良い。
しかし、これまた度が過ぎれば、相談するのにとりつく島もないではないか。

行き詰まった時には、出発点に引き返す勇気が必要であり、
ひとまず目的を達成したら、切り上げどきを考える勇気が必要である。

恵まれた環境にある人は、心が豊かで温かくあるべきなのに、かえって、疑い深くて不人情である。
物質的には豊かでも、心は貧しく卑しいためだ。

身分の低いところにいてこそ、将来高い身分になったときの危うさがわかる。
暗いところにいてこそ、明るいところで全ての物が見通せることがわかる。

静かなる時を持つとひっきりなしに動き回るのが無駄なことであることがわかる。
沈黙の時を持てば、多弁がうるさすぎることがわかる。

名声、富、地位、それらに執着する心を洗い流すことができれば、
俗物の境地を脱出できたといえる。
道徳や仁義にこだわらず、天地とともにありのままに生きる境地に達したとき、聖人の域に達したといえる。

くだらぬ人物に対して厳しく接するのはたやすいが、愛情を失わずに接するのは難しい。
すぐれた人物に対しては、うやうやしく接するのはやさしいが、卑屈にならずに礼節を守るのは難しい。

まず、みずからの心に打ち勝とう。そうすれば、どんな誘惑でも退散するだろう。
まず、みずからの心をコントロールしよう。そうすれば、どんな妨害もつけ入ることはできない。

自分を大切にし、人にも至れ尽くせりで万事に行き届き親切すぎる人は、
とかく相手の立場を考えずに、ありがた迷惑な善意の押しつけをしがちだ。
自分のことは一向にかまわず、人のことにも無関心な人は、あまりに淡々としすぎている。

富によって屈服を迫る者に対しては、仁によって対抗しよう。
権勢によって支配しようとする者に対しては、義によって対抗しよう。
君子たるもの、支配者の思うままにはならない。

自己の向上を図るならば、周囲より一段高い理想をめざすことだ。
さもなければ、塵の中で着物を払い、泥水で足を洗うようなもの、人格の成長は望めない。
社会生活にあっては、足どりは慎重にし、人より一歩遅れるほどがちょうどよい。
さもなければ光を求める蛾が火の中に飛び込んだり、盲進した牡羊が垣根に角を引っかけて
進退きわまるような結末となろう。

人格の修養を目指しながら、一方で功績や名声にあこがれるようでは、向上はおぼつかない。
学問を学んでも得た教養を風流ごとの楽しみばかり用いていては、神髄を体得できない。

幸福と言えば、わずらわしい出来事が少ない事にまさる幸福はない。
不幸と言えば、欲望が多い事にまさる不幸はない。
いろいろな事で苦労をしたあげくに、面倒が少ないことの幸福を悟り、
心を平穏にすることができて、初めて欲望が多い事の不幸を悟る。

正しい秩序が確立した時代には、姿勢を正して生きよ。秩序が乱れた時代には柔軟に生きよ。
混沌とした末世には、正しい姿勢を保ちつつも柔軟な対応を忘れるな。

自分が与えた恩は忘れよ、犯した過ちは忘れるな。
受けた恩は忘れるな、受けた怨みは忘れ去れ。

人に恩を与えるにあたって、自分の行いの美しさを意識せず、
人々の感謝や賞賛を期待しないようであれば、わずかあわ粟一斗の施しでも何万石もの価値がある。
それに反して、人に施すことによって自分の利益を図ったり、見返りを期待するとしたら、
何万両の金を与えても、ビタ一文の価値もない。

人が置かれている環境条件は、いろいろであり、
自分が人並みであるという線など、どこにも引けるものではない。
また、自分自身の気持ちにしても、機嫌の良いときも有れば悪いときもある。
他人も同じであり、機嫌良く接してくれるのをいつも期待する方が間違っている。

古人の善行や名言を、自分の欲望を遂げるヒントにしたり、
よからぬ行為を合理化する口実にする。

能力のある者は忙しく追い回されるが、陰で日の当たらない大勢の人たちからの怨みを買っている。
特別とりえのない者は気楽なもので、置かれた条件に甘んじて、
誰からも怨まれたり羨まれたりすることなく、一生を終えることができる。

すべての人の心の底には、必ず真の文章、すなわち生まれながらの理性が備わっている。
だが、多くの場合、それらはがらくたのような知識のかけらに覆われて、その真価を発揮していない。
すべての人の心の奥には、必ず真の音楽、すなわち天から授かった感性が備わっている。
だが、たいていそれは、怪しげな芸術によってかき曇らされている。

すぐれた人格によって得た地位名誉は山野に咲く花。放っておいても伸び伸び栄える。
功績によって得た地位名誉は鉢植えの花。ご主人の一存で植えかえられたり捨てられたり。
権力にとり入って得た地位名誉は花瓶にさした花。見ているうちにたちまちしおれる。

人にとっての春とは、幸いにも選ばれて高い社会的地位に昇り、豊かな生活を保証されたときだ。
だが、そのような恵まれた立場にありながら、すぐれた発言、立派な行動によって
自らの責任を果たそうとしなければ、たとえこの世に百年生きていようとも、
一日も生きたことにならない。

本当に潔癖な人というものは、そのような評判を立てられることはない。
しきりと潔癖を売り物にするのは、実は名誉欲の強い人なのだ。
最高のわざを身につけた人は、小手先細工はしない。
器用さをひけらかすのは未熟者の証拠である。

欹器はいっぱいになるとひっくり返るし、
撲満(貯金玉)は空であるから存在することができる。

何万石もの地位に見向きもせず清貧に甘んじているように見えても、
心の底にまだ名誉心が残っているうちは、ただの俗物根性だ。
天下に恵みを垂れ、後世にまで功績を遺しても、
それが功名心から出たものならば、野心を遂げるための手段にすぎない。

人は知名度と高い地位を得ることの楽しさを知っているが、
名も知られず地位もない者こそが本当に楽しめることを知らない。
人は食べ物にも住む家にもことかく生活の不安を知っているが、
それらが満たされた中での不安や悩みがもっと深刻であることを知らない。

悪事を働いても、それが暴露するのを恐れているようであれば、
まだ一片の良心を抱いているといえる。
善行を積んでも、それが早く人に知られればよいと願っているようでは、
善行の中に悪の芽が潜んでいる。

あるときは喜び、あるときは苦しむ修行をし尽くした上で得た幸福であれば、いつまでも永続する。
あるときは疑い、あるときは信ずる検討、追究の果てに得た認識であれば、それは初めて真実と言える。

人の心に雑念がなければ、正義感と理性がそこに育つ。
人の心が理想に満ちていれば、欲望が入る隙がない。

暴れ馬も調教次第で立派に乗りこなせるようになる。
鋳型からとび出す金もやがては型に納まる。
手に負えぬような人物も、のちにはけっこうものの役に立つものだ。
これに反して、手数はかけぬかわりに、何の意欲もみせず、
のんべんだらりと日を送るような人物は、一生かかっても何の進歩も期待できない。

人というものは、激しい欲望で頭がいっぱいになっている状態では、
強固な意志は骨抜きとなり、澄んだ理性は曇り、愛情は残酷に変わり、
潔癖が恥知らずとなり、人格の全てが台無しになってしまう。

心をそそる外界のさまざまな刺激は、外からわが心中をうかがう賊であり、
胸中にたえず湧き起こる欲望や偏見は、中からわが心を惑わす賊である。
だが、何物にも動かされぬ本心が、どっかと中心に坐っている限り、
さまざまな刺激は、かえって私の成長を助けてくれるに違いない。

竹の葉はそよ風に鳴り、風過ぎて竹に声なし。
飛ぶ雁は淵をわたれど、去りし後、影をのこさず。

あばら家の庭もさっぱりと掃き清められ、貧しい娘もきちんと髪をとかしていれば、
華やかさこそないものの、どこか風雅な趣が感じられるものである。

ひまだからといって無駄に過ごすことがなければ、その効用が忙しいときに現れてくる。
何事もないときにぼんやりしていなければ、その効用が活動するときに現れてくる。
人目の届かぬところで良心を偽らなければ、その効用が公の場で現れてくる。

自分を犠牲とする決意をしたからには、利害打算の迷いをいっさい捨てよう。
人のために身を捨てようと思いながら、なおも迷っていたのでは、最初の決意に対しても恥ずかしいことだ。
人に恩を施すからには、それに対する見返りを期待してはならない。
もし報酬を求めるようであれば、最初の動機までが不純であったことになる。

人格を磨き、社会への奉仕に努めれば、たとえ身分は低かろうと王侯貴族にもまさる人だ。
権威をかさに着たり、恩を売って人を買収しようとしたりすれば、高位高官にあっても乞食同然の人だ。

道徳を売りものにする君子が偽善を働くのは、
良心のない小人が勝手ほうだいに悪事を働くのと変わらない。
理想をかかげる君子が変節するよりは、教養のない小人が反省して再出発するほうがよほどましである。

穏やかな春風が氷を解かすように、自然と改めさせるのが、家庭における教育のあり方である。

富貴の家でわがままに育った者は、欲望の激しさは火のよう、権勢への執着は炎のようだ。
いくらか頭を冷やして、さっぱりした気風を身につけないことには、
欲望の火が、人を焼くことがなくとも、自分自身を焼き付くさないとは限らない。

最高に完成された文章は、一向に奇抜なところがない。
だが、言おうとすることをぴたりと言いあてているだけだ。
最高の境地にまで達した人格者は、少しも変わったところがない。
ただ、ありのままに生きているだけだ。

他人に対しては小さな過失を責めない。個人的な秘密はそっとしておく。古傷は忘れてやる。
この三つの心がけは、自分の人格の向上に役立つだけでなく、人の怨みを免れ、
一身の安全を保つ道ともなるのだ。

誰の目からみても正当な意見に対しては、私情によって反対してはならない。
ひとたびそのようなことをすれば末代までの恥となる。
権力を乱用し、私腹を肥やす者に近づいてはならない。
うっかりそのような者と交われば生涯の汚点となる。

自分の信念を曲げて人に気に入られるよりは、
たとえ人から煙たがられようとも信念を貫きとおしたほうがましだ。
何の善行もないのに人に誉めそやされるより、
むしろ身に覚えのないことで人から非難された方が気分がよい。

些細なことにも手抜きをしない。人目がなくともうしろ暗いことをしない。
不遇になっても投げやりにならない。これだけのことができれば、それでもう立派な人物だ。

無能をよそおって才能を隠し、愚鈍とみせかけて英知をみがき、
俗界に身を置きながら節操を守り、身を低くして飛躍に備える。

ものごとが下り坂となる兆候は、隆々たる発展の絶頂において早くも現れてくる。
新しい成長への芽生えは、逆境のどん底の中から生じてくる。

目新しく風変わりなことばかりするのは、スケールが小さい証拠だ。
自分一人だけ浮き上がって苦労しているようでは、決して長続きはしない。

一部の意見を鵜呑みにして、よからぬ者にだまされるな。
自信に任せて大役を引き受け、それに追われて自分を見失うな。
自分の長所をかさにきて人の短所を責めるな。
自分が無能だからといって人の能力をねたむな。

人の嘘に気がついても、気づかぬふりをしてすましている。
人が馬鹿にして見下しても、一向に平気な顔をしていられる。
こうした態度には、尽きることのない価値があり、また限りない効用があるものだ。

「人に害を加えようとの心を抱いてはならないが、
人から害を受けないようにする心がけだけは必要だ。」という言葉がある。
これは不用意のために災厄を受けることを戒めたものだ。
「人からペテンにかけられたほうが、これはペテンではないかと人を疑うよりましだ。」という言葉がある。
これはあまりにも人を信じようとしない態度を戒めたものである。
この二つの教訓を統一して身につけ、実践することができれば、
明確な判断力と、温かい人間性とを兼ね備えた人物となることができるだろう。

人々に受け入れられないからといって自分の意見を曲げてはならない。
自分の偏狭な感情から人の意見を否定してはならない。
自分の小さな打算から全体の利益を無視してはならない。
個人の感情をはらすために世論の力を借りてはならない。

愛と憎しみの感情は、富貴の者のほうが貧しい者よりさらに激しい。
妬み嫌う心は、肉親同士のほうが、あかの他人よりよほど極端だ。

部下に対しては、その功績と過失とをあいまいにしてはならない。
もし、それがあいまいにされれば、部下の心はだらけてしまうだろう。
しかし、個人的な利害を受けたことによって部下を差別してはならない。
もし、そうすれば、組織内の人間関係は四分五裂してしまう。

人徳は主人、才能はその召使い、才能ばかりがあって人徳が備わっていなければ、
主人のいない家で、召使いが勝手気ままにふるまっているのと同じ事だ。
その人の心中は化け物の棲み家、果てもなく乱れ狂っていくのも無理はない。

悪党や野心家を一掃するためには、一筋の逃げ道だけは空けておいたほうがよい。
もし、どこにも逃げ場がないとすると、彼らは袋のネズミのような状態となって、
苦し紛れに大切なものをかじりつくしてしまうからだ。

失敗の責任は自分もとろう。しかし功績をあげた栄誉の仲間には入るな、
功績を共有するのは仲互いのもとだ。
苦労は人とともにしよう。しかし楽しみごとは人に譲ってしまったほうがよい。
楽しみごとを共有すれば、ついには憎み合うようになる。

人の品性は、包容力が大きくなるにつれて向上し、包容力は、認識が深まるにつれて大きくなる。
したがって、品性を向上させようとするならば、包容力を大きくすること、
包容力を大きくしようとするならば、認識を深めていくことだ。

事業や学問というものは死ねばなくなるが、その精神は永遠に古くなることはない。
地位や財産というものは時を経れば移り変わるが、その心意気は長く残っていく。
人間まことにここの分別が大事である。

人格の向上をめざすなら、真剣で誠実な心が必要だ。
それがなければ、乞食同然で、何をしても魂が入らない。
世間を渡るなら、円満な人間関係づくりを心がけよ。
それがなければデクノボウ同然で、そこらじゅうにぶつかるばかりだ。

地位を去って隠退するのは、わが身が全盛のときがよい。
そして身を置くところは、人と競争せずにすむ場所にかぎる。

人格の向上を図るなら、まず最も些細なことからきちんとすることだ。
報いられることを期待しない善行を施そうとするならば、
どう考えても見返りなどありそうもない対象、
つまり最も苦しい立場におかれている人を相手とすればよろしい。

人を信ずることができれば、たとえ相手の心が誠実でなく、
だまされることがあろうとも、こちらは誠実を貫いたことになる。
人を疑ってかかるならば、たとえ相手が正直であっても、こちらは偽りの心で接したことになる。

寛大で温かな心は、春風が万物を育てるように、すべてのものを成長させる。
冷酷で疑い深い心は、真冬の雪が万物を凍りつかせるように、すべてのものを死滅させる。

善行を積んでも成果が目に見えぬことがある。
だが、草むらに隠れた瓜のように、それは知らぬ間に育っていく。
悪事を働いて得たものが失われずにすむことがある。
だが、庭先の雪のように、それはたちまち消えてしまう。

昔なじみの人とは、ますます新鮮な気持ちで交わりを深めよう。
人目につかぬことについては、少しもうしろ暗さのないよう心がけよう。
落ち目になった人に対しては、とりわけ温かく接しよう。

俗臭をなくしさえすれば、それだけでもはや非凡だ。
無理に非凡を気取ろうとすれば、嫌味たっぷりな変人となってしまう。
世間の汚れに染まらなければ、それでこそ清潔といえる。
世間から離れて清潔を守ろうとすれば、ひとりぼっちのひねくれ者に終わる。

恩恵を与えるには、最初はわずかにして、次第に手厚くするのがよい。
初めは手厚くして、後にわずかにすれば、人は手厚くしてもらったことを忘れて不満に思う。
規律を正すには、最初はきびしくして、次第にゆるめていくのがよい。
初めにルーズにしておいて後から厳しくするならば、人は不当にむごく扱われたと感じて恨みを抱く。

私を人々がたてまつ奉るのは、私の身分、地位、肩書きを奉っているにすぎない。
私が貧しいのを人々が侮るのは、私の見かけを侮っているのだ。
すなわち、私の人格を敬っているのではないのだから、なぜそんなことを喜ぼうか。
わたしの人格をあざけっているのではないのだから、なぜそんなことを怒ろうか。

ものごとを討論するときは客観的な立場に立って、
当事者たちの利害得失を十分に考慮することが望ましい。
ものごとの処理にあたるときは、実践の先頭に立って、
その結果、自分にふりかかってくる利害得失はいっさい念頭におかないことだ。

主義を振り回せば、つまずいたときはその主義の名で非難される。
道徳を看板にしていれば、過ちを犯したときは、その道徳の名で責められる。

功績を誇り、教養をひけらかして得意になっている連中は、
すべてうわべの飾りもので人目をひいているにすぎない。
たとえ何の功績もなく、いささかの教養もなくとも、人間本来の輝きを保っている人こそが、
真に立派な人物だということを、彼らはとうてい理解することはできまい。

自分の心をごまかすな、人の好意にすがりきるな、限度をこした浪費や酷使をするな。
この三つの心得を守ることによって、天地の神の心にかない、人民の安全を守り、
子孫に幸福をもたらすことができる。

役人にとって大切な言葉を二つあげよう。
「公平を守れば正しい判断ができる」「潔白を守れば権威が生まれる」
家庭生活の中で大切な言葉を二つあげよう。
「寛大な心を保てば皆の心が穏やかとなる」「つましく暮らせば不自由はない」

財産、地位に恵まれているときにこそ、貧しく地位の低い人たちの苦しみを理解せよ。
若く元気なときにこそ、老い衰えたときのつらさを考えよ。

世間を渡るのに、あまりに潔癖すぎる態度はよろしくない。
いろいろな汚ないものをも腹の中に納めてしまう度量が必要だ。
人とつきあうには、白か黒かレッテルを貼ってしまってはならない。
善悪賢愚、さまざまな人たちを平等に受け入れる寛容さが望ましい。

つまらぬ人間とムキになって争うな。彼らにはちゃんと、それ相応の対手がいるものだ。
すぐれた人格者にこびへつらっても始まらぬ。こうした人はえこひいきなどしてくれないのだから。

欲望の激しい人物は、まだなんとかなる。
だが、理屈で凝り固まった人物はどうすることもできない。
外的な障害に対しては手を打つことができる。
だが、心の中がひん曲がっていてはどうにもならない。

つまらぬ人間からは嫌われたほうがよい。彼らから喜ばれるようになっては困りものだ。
すぐれた人間からはきびしく責められたほうがよい。見放されて寛大にされるようではおしまいだ。

悪口を言いふらされるのは、ちぎれ雲が日を隠すようなものだ。
そのかげりは間もなく消えてしまう。
おべっかでよい気分にされるのは、すき間風に吹かれるようなものだ。
気づかぬうちにすっかり心を毒されてしまう。

日はすでに暮れてなお夕映えは光りかがやく。
歳は終わろうとして柑橘はかぐわしく匂う。
たとえ晩年となろうとも、君子はいっそう精神をふるい立たせ、最後を美しく全うしようではないか。

鷹がたたずんでいる姿は眠っているようであるし、虎の歩くさまは病気のように見える。
だが、それこそ彼らが、人をとらえ、噛み伏せるための手口なのだ。
賢明さを表わさず、才能を振り回さないのが君子のあり方。
それでこそ天下の大事業を果たすことができる。

倹約は美徳だが、これも度が過ぎると、
ケチとなりシワン坊となって道に反するようになる。
謙譲善行だが、これも度が過ぎればへつらいとなり、バカていねいとなるし、
しかもたいていは不純な動機が隠されている。

思いどおりならぬからといって、くよくよするな。
万事うまく運ぶからといって、有頂天になるな。長く続く平安に心を許すな。
最初にぶつかった困難にくじけるな。

すべてに満ち足りた境遇は、今にもあふれようとする水のようだ。
それ以上、一滴でも加えることは決してしてはならない。
危地に追いつめられた状況は、今にも折れそうになっている木のようだ。
それ以上の追いうちは決してしてはならない。

冷静な眼で人を観察し、冷静な耳で人の言葉を聴き、
冷静な感情で物事を受け取り、冷静な頭脳で道理を考えよう。

せっかちで粗暴な人間は、何をやってもものにならない。
心が穏やかで落ち着いた人のもとには、さまざまな幸福が自然と集まってくる。

吹きつける風、激しい雨、そんなときには大地にしっかりと足をつけよう。
花は紅、柳は緑、そんなときには目を奪われることなく、大きな目標に向かって進もう。
通れそうにない危険な山道にさしかかったら、迷わずさっさと引き返そう。

理想主義者は、協調の心をもつことで無用の争いから救われる。
成功者は、謙譲の心を養うことで嫉妬の害を免れることができる。

官職にあるときは、手紙一通を書くにも気を許してはならない。
本心を見すかされて悪人につけこまれるのを防ぐために。
退職して田舎住まいの身となったら、くつろいだ気持ちで人とつきあえ。
昔の友人も気安く訪ねてこられるように。

物事が思うようにならぬときは、自分より下の人を見よ。
そうすれば逆境を怨む気持ちが消えるだろう。
心がなんとなく投げやりになったときは、自分より上の人を見よ。
そうすれば気持ちが奮い立つだろう。

機嫌のよいときに安請け合いをするな。
酒に酔って怒りを爆発させるな。
いい気になって仕事の手を広げるな。
嫌気がさしてしめくくりをいいかげんにするな。

書物を読むなら、その真髄にふれて、踊り出したくなるまで読め、
そうしてこそ枝葉末節にとらわれずにすむ。
物事を観察するなら、その本質を見とおして、わが精神がそれと一体となるまで観よ。
そうしてこそ表面の現象に惑わされない。

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六波羅蜜!実践すべき六つの徳目!

先に八正道※)について触れましたが、思いや考えを八正道によって規定し、それらをどういった形で行動に移していくのか?
ここで、菩薩(仏道修行者)の実践するべき基本的な六つの徳目のことを六波羅蜜といいます。
※)八正道については、”八正道!「苦」を滅するための8種の徳目!”も参考にしてください。

「波羅蜜」とは到彼岸、度とも言い、サンスクリットで彼岸※)に至るという意味で、「到達」「完遂」「達成」「獲得」を指します。
※)彼岸については、”自然界の摂理 彼岸について‎”も参考にしてください。

大乗仏教の中で『般若経』では、人間が完成していくためには六つの道筋があって、その一番目は「布施」、つまり「与える」というところからはじまるわけです。
(『華厳経』などではこれに4種を加え10種(十波羅蜜)を数える。『摩訶般若波羅蜜経』は九十一波羅蜜を列挙する)

各修行で完遂・獲得するものと、達成すべきものをまとめておきます。

・布施波羅蜜
  – 檀那もしくは檀:
 とことんまで人に何かを与えていくこと。
 具体的には、財施喜捨を行なう)・無畏施・法施(仏法について教える)などの布施である。
 たとえば「ほほえみ・愛読」など、手ぶらでも人をしあわせにする布施を高く評価する。
・持戒波羅蜜
  – 尸羅(しら):
 戒律を守る、決められたことは守っていくということ。
 尸は屍に通じる。在家の場合は五戒(or八戒)を、出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
・忍辱波羅蜜
  – 提(せんだい):
 耐え忍ぶこと。「認める」というニュアンスもある。
 私が受ける災難は私への指名であって、誰にも代わってもらえない、と確認するのが「認」、すなわち「忍」と同じ意味となる。
 確認できれば、歯を食いしばってではなく、納得して耐えることができる。
・精進波羅蜜
  – 毘梨耶(びりや):
 努力する、励むこと。
・禅定波羅蜜
  – 禅那(ぜんな):
 特定の対象に心を集中して、散乱する心を安定させること、身心を安定すること。
・智慧波羅蜜
  – 般若(はんにゃ):
 諸法に通達する智と断惑証理する慧、いわゆる智慧のこと。
 前五波羅蜜は、この般若波羅蜜を成就するための手段であるとともに、般若波羅蜜による調御によって成就される。

ちなみに前述の八正道六波羅蜜の関係ですが、ざっと以下のような対応付けとなります。

「八正道」   「六波羅蜜」
 正見(立場)  智慧
 正思惟(思想) なし
 正語(言論)  なし
 正業(行為)  持戒
 正命(生活)  なし
 正精進(努力) 精進
 正念(精神)  禅定
 正定(三昧)  なし
    なし   布施
    なし   忍辱

修行者が実践すべき徳目といわれていますが、私達が忘れがちな日常生活を送る上での基本的な所作を示しているにすぎません。
新年の目標や心構えを立てる上での基として捉えてみてはいかがでしょうか。

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呂氏春秋より学ぶ!人倫実践の規範を悟らしめる書!

呂氏春秋(呂覧)とは、中国の戦国時代末期、秦の呂不韋食客を集めて共同編纂させた十二紀・八覧・六論、26巻160篇から成る書物です。
「十二紀」(内篇):孟春、仲春、季春、孟夏、仲夏、季夏、孟秋、仲秋、季秋、孟冬、仲冬、季冬の各紀五篇と序意の計61篇
「八覧」(外篇) :有始、孝行、慎大、先識、審分、審応、離俗、恃君の各覧八篇(有始のみ七篇)の計63篇
「六論」(雑編) :開春、慎行、貴直、不苟、似順、士容の各論六篇の計36篇
その思想は儒家道家を中心に、名家・法家・墨家・農家・陰陽家など諸学派の説が幅広く採用され、雑家の代表的書物であり、秦代思想史研究の唯一の資料とされています。
書名の由来は1年12ヶ月を春夏秋冬に分けた十二紀から『呂氏春秋』、八覧から『呂覧』とされています。
呂不韋食客3000人を従えていた戦国時代の最後を代表する宰相で、あの始皇帝の宰相を務めていました。(商人出身である呂不韋ですが、一説には秦の始皇帝の父であるという話しもあります)

それまでは、人間の正しい生き方として「道」や「天」に従うべきであるといわれていましたが、実際にどのように生きればいいのか漠然としていたため、呂不韋儒家道家・法家などの思想を取りまとめ、それを統一づけるものとして新しく「時令」という考え方を作り出しました。
要は『呂氏春秋』という書物からもわかるように1年を春夏秋冬の四季に分け、更にそれを孟・仲・季の三節に分けて(1ヶ月単位)、各々の天文気候に沿って 人間の日常生活を規定し、それに従うようにすればよいとした訳です。
呂氏春秋』はその多彩さゆえに「雑家」として分類されていますが、実は人々をして自然の大道を知り、人倫実践の規範を悟らしめることを目的とした書です。

非常にすぐれている文章や筆跡のことを一字千金といいますが、これも「呂氏春秋」を著した時にそれを呂不韋が咸陽の城門に置き「1字でも添削できた者には千金を与えよう」と言ったということを起源としているようです。

様々な思想家の意見を取り入れて政治を行うことが理想的な姿であるとするのが「雑家」の立場ですが、整然とした体系を持っていて、強力な編纂意図が感じられる『呂氏春秋』からは、多くの思想を集約して政治に活かそうと考えたことが伺われます。
呂不韋は秦の宰相という立場上、信賞必罰を主張する現実的な法家思想として君臣の在り方を説く八覧を『呂氏春秋』に取り入れながらも、戦国時代末期にあって人々が戦乱に疲弊し理想主義的な儒家思想を支持するようになっていたことから、徳治・礼治による理想主義的な儒家思想の影響が色濃く表れた内容となっています。
そういった意味では、『呂氏春秋』はいくつかの立場の思想を広く取り入れて折衷しているため、統一されたひとつの立場だけにとらわれていないというのも特徴のひとつといえるでしょう。

十二紀は、人の営みは天地の運行に従い行うべきという陰陽五行説の五要素(木火土金水)の考え方に基づいています。
また、四書五経の『礼記』の月令篇は、十二紀の孟春紀から季冬紀にいたる十二篇を集めて一篇にしたものといわれています。
更に十二紀の「仲夏紀」に含まれる四篇(大楽篇、侈楽篇、適音篇、古楽篇)と「季夏紀」に収められている三篇(音律篇、音初篇、制楽篇)については、音楽について論じられています。
音楽といえば、儒家孔子が詩とともに音楽を礼の体現のために重視した、四書六経の『楽経』が著名ですね。
十二紀を通して見られるのは、儒家思想であるということです。

一方、八覧を通して統一した主題となっているのは君臣統御の方法、君臣の心構えといった法家思想です。
君主の人臣統御術、統治における勢の要件、国是の統一といった法家思想を説く審分覧
弁論と受け答えについて説く審応覧
賢者優遇の尚賢思想を説く下賢覧を含んだ慎大覧
法は時代・状況の推移に応じて変わるべきであるという典型的な法家思想を「刻舟求剣の故事」から説いている察今篇

六論は、当初から編纂を意図したものではなく、八覧を編纂する過程において生まれた残りの論説の集約と整理を目的として生まれたものであり、内容的には君臣の統御法といった八覧と同様の論説がまとめられていますが、各篇相互のまとまりがほとんどないことが特徴です。

ちなみに『呂氏春秋』においては人を観る方法として、六験八観というものが定義されています。
人間を観る方法とは、自らに対して言えば反省することであり、他に対して言えば吟味することです。

【六験】
1.之を喜ばしめて、もってその守を験(ため)す→喜ばせて、節操の有無をはかる
 喜ぶ感情は人を高揚させ、良い気持ちで調子に乗り、ハメを外してしまいがちです。
 一方、人には守らねばならない節度というものがあります。
 それをちょっと喜ばされたくらいで外してしまわないよう、節操を持つことが肝要だということです。
2.之を楽しましめて、もってその僻を験す→楽しませて、偏った性癖をはかる
 喜ぶことと楽しむこととの違いが、”喜ぶ”は本能的感情、”楽しむ”は理性の加わった場合と定義しています。
 人は楽しむと、どうしても偏ってしまいます。
 その偏りがどういったものかをきちんと把握することは肝要だということです。
3.之を怒らしめて、もってその節を験す→怒らせて、節度の有無をはかる
 怒りは感情の爆発でありますから、人間の節度を越えてしまう力を持っています。
 要は、人はどんなに怒っても、締めるところは締め、抑えるところは抑えるという節操を持つことが肝要だということです。
4.之を懼(おそ)れしめて、もってその特(独)を験す→恐れさせて、自主性の有無をはかる
 人は恐れると何かに頼ったり依存度が高まり、独立性・自主性を失いがちです。
 そうした状況で、如何に毅然と立ち振る舞えるかが肝要だということです。
5.之を哀しましめて、もってその人を験す→悲しませて、人格をはかる
 人は悲しいときにその人の全ての人格、人柄が現れるがちです。
 だからこそ、普段から人格、人柄を修養精錬することが肝要だということです。
6.之を苦しましめて、もってその志を験す→苦しませて、志を放棄するかどうかをはかる
 人間は困難に陥った場合に、その信念や志が問われます。
 千辛万苦に耐えて自分の理想を遂行していくだけの心構えがあるかが肝要だということです。

【八観】
1.貴(たか)ければ、その進むる所を観る→出世したら、どんな人間と交わるかを観る
 出世したり地位、身分が上がった際に、どういう人と関わるか、どういう人を敬い尊ぶかということを観ることで、その人物の人格が分かるということです。
2.富めば、その養う所を観る→豊かになったら、どんな人間を養うかを観る
 金ができると何を養うか。女を養ったり、子分を養ったり、犬を養ったり、いろいろと養うものを観ることで、その人物の素養が分かるということです。
3.聴けば、その行なう所を観る→善いことを聞いたら、それを実行するかを観る
 善いことを見聞きしたらそれを実行に移せるかを観ることで、その人物の行動力が分かるということです。
4.習えば、その言う所を観る→習熟したら、発言を観る
 話を聴けばその人の人物が観えるということです。
5.止(いた)れば、その好む所を観る→一人前になったら、何を好むかを観る
 一人前になったときに何を好むかを観ることで、その人物の教養が分かるということです。
6.窮すれば、その受けざる所を観る→貧乏になったら、何を受け取らないかを観る
 人間は窮すると何でも受けがちなので、困窮した際に何を受けないかを観ることで、その人物の節度が分かるということです。
7.賤(せん)なれば、その為さざる所を観る→落ちぶれたら、何をしないかを観る
 人間は落ちぶれると何をしでかすか分からない生き物なので、そうした場合でも何をしないのかを観ることで、その人物の節操が分かるということです。
8.通ずれば、その礼する所を観る→昇進したら、お礼を仕事で返すかどうかを観る
 偉くなった際にどうお礼をするのか、お金や地位、名誉かそれ以外なのかかを観ることで、その人物の品格が分かるということです。

こうした『呂氏春秋』は雑家の代表的書物であり、秦代思想史研究の唯一の資料ですので、一度触読んでみる機会を持ってみてはいかがでしょうか。

以下参考までに、現代語訳にて「十二紀」の一部抜粋です。

【孟春紀】
立春の3日前、太史は「某日が立春です。天の生育の徳は、木の位にあります」と天子に告げる。天子は3日間、斎戒する。
立春の当日、天子は三公、九卿、諸侯、大夫を引き連れて、東の郊外に出て迎春の儀式を行い、王城に帰って彼らに賞を与える。三公に命じて徳政を行い、 禁令を和らげ、功労者には賞を与え、困窮者には恩恵を施し、万民に及ぼす、賞賜は公平に行う。
天子は、万物の天すなわち本性を全うすることをその職務とする。
官吏を配置して万民の生命を保全し、軍を設置して外敵に備える。
物の本性(軽重)がわからない者が君主となれば道理に背いた行為をし、臣下となれば秩序を乱し、子となれば狂気の行動をとる。
聖人の色、音、味に対する態度は、生命に利益があればそれを取り、生命に害があれば捨てる。
聖人が万物を統率するやり方は、それぞれの天性に従い全うすることである。これを全徳の人という。
いにしえの人の中には、富貴になることを嫌がる者がいた。それは生命を重んずるからであり、名誉のためにしたのではない。
世界中の富を一身に集めてもわが生命に比ぶべくもない。
正しい道を求める者は、行動の結果を考えるのではなく、その原因となる惑いや慎重さということをはっきりさせるのである。
諸侯や貴族は誰でも長寿を欲しない者はいない。しかし毎日本来の生に逆らうような行為をしている。
聖王が苑囿や宮殿、車馬や衣服をつくったのは心をなぐさめ、風雨に備え、身体を休ませるためであった。しかしこれらを無理に倹約し質素にしたのではない。 すべては本性、もちまえの心に合うようにさせたのである。
天下を得た王者は数多いが、興隆するときには必ず公正で、滅亡するときには偏って公正を欠く。
天下は一人の天下ではなく、万人の天下である。天地は偉大であり、物を生み出しながら私物化せず、つくり出しながら所有しない。古の三皇、五帝の治世がそうであった。
上に立つ者は細やかな見通しや、こざかしい智慧はいらない。
人は若い時は単純で愚かだが、年とともに賢くなる。
キ傒は仇敵である解狐を推挙し、自分の子であるキ午を推挙した。 人々はその公平さを称賛した。
墨家の鉅子腹トンの子が人を殺した。秦恵文君はこれを許してやろうとしたが、 腹トンは墨者の法によってこれを殺した。
君主が暴乱の国に誅罰を与えて、しかもその国を自分のものにしたならば、王覇の君と言われることはない。

【仲春紀】
聖人は耳目鼻口の四官が欲したいと願っても、それらが生に害があるならば受け容れない。逆に四官が欲しなくても、生に有益であればそれらを受け容れる。
天子になっても自らの生命をそこないたくないとする者こそ、実は天下を委ねてよい者である。
国君になっても自らの生命をそこないたくないと言った王子捜のような人物こそ、越の民が君主にしたいと願う者である。
顔闔は魯の君に登用されようとしたが、生を重んずるために、いつわって逃げ出した。
道の真髄はその身を全うすることであり、その余りの力で国家を治め、さらにその塵あくたで天下を治めることだ。
聖人の行動は目的と手段が明確である。
子華子は言った「全生(六欲が調和している)が最高で、虧生(六欲が半ば調和している)がこれに次ぎ、死はそれに次ぎ、迫生(六欲が調和していない)が最低である」
天は人に貪る心と欲望を与えたが、聖人は節度を修めて欲望に歯止めをかけた。
凡庸な君主は欲望に節度を欠いているので、何かを行うたびに失敗する。
古の道を体得した者が長生きをするのはものごとの決定が素早いからである。決定が素早いと思慮することが少なくて済むので精神の浪費が少なくて済むのである。
孫叔敖は楚荘王に仕えたことを幸運だと世間では言うが、そうではない。 孫叔敖は日夜休まず、自分の生命によいことをする余裕がなかった。だから、楚が幸運であったと言うのだ。
墨子は白い絹糸を染める者を見て言った「青に染めれば青くなり、黄に染めれば黄色になる。入れる染料が変われば色の色も変わる」
だから国も染まること(感化)には慎重でなければならない。
国家にだけ感化があるのではなく、士にもやはり感化はある。
正しい道によって行えば、功名手柄を失うことはない。だから聖王は人を集めることに努めないで、集まるゆえんの物に努力を集中する。
民は利益のあるところに集まり、無ければ去る。それでも民が逃げ出さないのは、どこへ行っても状況が同じだからである。それは暴君にとっては都合のよいことであるが、 仁義をわきまえた君主は、仁の実践に努めなければならない。
賢不肖の評価は、必ず明確な理由が根底にあってつけられるものだ。

【季春紀】
陰陽の気をほどよく調和させ、万物の有益なところを選りすぐれば、精神は肉体の中で安定し、寿命を長くすることができる。
精気が集まれば、鳥を飛ばせ、獣を走らせ、珠玉を輝かせ、樹木を繁茂させ、聖人を明らかにさせる。
肉体や精気が活動しなければ病気となる。
食事に濃厚なものをとってはいけない。
卜筮が流行しているが、それだから病気がいよいよ流行るのである。祈祷やお祓いは本質からそれた末のことだからである。
伊尹は言った「天下を治めようとして、天下を治めることはできません。治めるべき対象は、まず自分自身にあるのですから」
古の聖王たちは、まず自身の完成を目指し、そののちに天下を考え、自身をきちんと修めたうえで天下を治めた。
夏の啓は有扈氏と甘沢の地で戦ったが勝てなかった。そこで啓は生活を質素にし、目上を尊敬し、賢者を尊び、 能者を優遇した。こうして一年、有扈氏は戦わずして服従してきた。
孔子は言った「戸外に少しも出ないで、なおかつ天下が治まるというのは、 たぶん自分自身に振り返ってものを見ることができてはじめてできることでしょう」
三代の興国たちは、すべての罪は己にあるとした。そこで毎日為すべきことにつとめて怠らず、ついに天下の王となった。
他人を判断する時には、八観と六験で行う。
八観とは、通達した人であれば彼が礼遇する相手を見、貴顕の人であれば彼が推薦する人を見、金持ちであれば彼が養っている者を見、意見を聞いた時には彼の行動を見、 無事の時には彼の好む物を見、慣れ親しんだ時には彼の言動を見、窮迫したときには彼の潔癖さを見、身分が低い時には彼のできないものが何かを見て、 彼の賢さを判断することができる。
六験とは、喜ばせて彼が守るところを見、楽しませて彼の性癖を見、怒らせて彼の節操さを見、恐れさせて彼の自恃の心を見、哀しませて彼の愛情を見、 苦しませて彼の志操を見ることである。
天のはたらきは円、地のはたらきは方形である。聖人はこれを手本として上下の秩序を立てた。君子は天のはたらきに合わせ、臣下は地のはたらきに合わせて行動し、 君臣のはたらきが入り乱れることがなければ、その国は隆盛する。
一とは最高の存在で、その源流は分からず、その端緒も分からず、その始めも分からず、終わりも分からない。しかも万物はこれを本家と仰いでいる。 聖人はこの一、すなわち天に則って、その天性を全うし、天下に号令を発する。官僚たちはこれを行政にうつして、日夜やむことなく下達につとめる。 これも天のめぐるはたらきである。
古の聖王が高官を採用する際には、方正な人物を求めた。近頃の君主はみな代々国を失うまいとして自分の子孫に後を継がせ、官吏を採用しても公正を守らせることが出来ない。

【孟夏紀】
立夏の日に先立つこと3日、太史はその旨を天子に告げて「某日が立夏です。徳は火の位の南方にあります」と言う。天子は3日間斎戒する。
立夏の当日、天子は三公、九卿、大夫を引き連れて夏の気を南の郊外に出迎える。王城へ帰って朝臣を賞し、諸侯には土地を与える。賞賜は公平なので喜ばない者はいない。
君主や親、臣下や子が欲するものが得られないのは、道理をわきまえないからである。道理をわきまえないことは、学問をしないことから生じる。学問をする者が師につき、 その師が通達した学者で、学生もすぐれた才能を持っていたならば、やがては聖人にならないはずがない。
説教するということは、説いて導くことであって、相手の歓心を得ることではない。師は必ず道理を通し正義を主張し、それによって尊敬されることを求めるべきである。
師に仕えることは父に仕えることと同じことである。だから師も知識の限り道義を尽くして教え導くのである。
地位は帝王にも至らず、知識も聖人に及ばないのに、人々は師について学ぼうとしない。どうしてそれで道理を体得できようか。
天は人に能力を与えた。学問とは何かを足し増やすということではなく、人間のもちまえの天性を遂げさせることである。
暗記暗誦に努め、師のごきげんを伺い、質問してお尋ねする。師の顔色や表情を読み取って気持ちに逆らうことはしない。部屋に戻ってよく考え、意味するところを求める。 時に仲間と議論し合い道理を論じ合う。
師が存命中は生活のお世話をし、気持ちを楽しませることを第一とする。亡くなられたら、敬しんで供養する。
君子の学問とは、ある学派の学問を祖述する際には必ず師の名を挙げたたえて道理を明らかにし、学派の発展のために力をつくし、伝統をより立派にするものである。
すぐれた師の教育は、弟子達に安心して学問させ、気分も解放させ、時に休息を与え、遊びも交え、態度はきちんとして、仕事はまじめにさせる。 この6つのことを通じて学べば、邪悪な心が芽生えることはなく、道理が常に勝つ。
下手な師は気持ちにむらがあって落ち着かず、取捨も一定せず、安定した心がない。
駄目な弟子は先生について学ぶことを嫌がりながら、学問は完成することを望み、先生について学ぶ日は短いのに、学問は精深でありたいと願う。
戎人が戎の言語を話し、楚人が楚の言語を話すのは、とくに誰から習ったというのではなく、その地で生長したからである。 こう考えると、亡国の君主でも賢主になり得ないとは考えられない。ただ生長する環境が悪かったのだ。
だから環境には十分配慮しなければならない。
およそ君主が成功する基礎は、大衆の支持する力にある。だから創業がひとまず安定すると大衆を見捨てるのは、その末を手に入れて大本を手放すようなものである。

【仲夏紀】
天下が太平で万物もそれぞれ落ち着き、万人が君主の教化に従うとき、音楽は生まれる。
音楽は天地自然の調和であり、陰陽の気の調和である。
音楽がはげしくなればなるほど民衆はいよいよ怨み、国家はいよいよ混乱し、君主の地位はいよいよ低下する。
古の聖王が音楽を重視したのは、音楽が人の心を楽しませるからである。その音楽の本質をわきまえないで、規模を大きくすれば、人を楽しませることがなくなる。
音楽の務めは人の心を和やかにすることにあり、人の心を和やかにするのは、何事もほどよく行うことにある。

【季夏紀】
聖人たちの世では、天地の気が交流して風を生じ、風は夏至冬至の節季ごとに変わった。聖人は月ごとにその風に併せて12の音調をつくった。
黄鐘の月(11月)には土木事業を起こさず、慎重にして大地の貯蔵を開くことなく、天地の気を密封せよ。
大呂の月(12月)には農民の心を農業ひとつにして徭役などに使ってはならない。
太蔟の月(1月)には立春で陽気がはめて生じ、草木が芽生える。農民に耕種の準備をさせ、時を失わないように指導する。
夾鐘の月(2月)には気候は穏やかだから、仁徳の政治を行って刑罰を去り、軍事行動を起こして民生を損なわないようにする。
姑洗の月(3月)には道路を補修し、小川や溝を修理する。
仲呂の月(4月)には軍事・徭役をすることなく、役人は巡回して農事を勧める。
蕤賓の月(5月)には陽気の真っ盛りであるから、若者たちの指導に十分配慮する。朝政がうまくいかないと若い草木も立ち枯れになる。
林鐘の月(6月)には草木が繁茂するが、立春にあたって陰気が生じるので、大事を発動することなく、陽気をいっそう保護するよう努める。
夷則の月(7月)には法律や刑罰を整備し、士卒を洗練し、武器を整え、不義の徒を誅罰して遠方の国々をなつかせる。
南呂の月(8月)には秋も深まり、虫も冬ごもりの準備に入る。農民を督促して収穫に精出させて怠けさせず、増収に心がけさせる。
無射の月(9月)には裁判を迅速に、法に従って罪を断じて手心は加えない。裁判は遅滞させず、早い結審に努力する。
応鐘の月(10月)には陰陽が上下に分かれて交わらず、天地の気は閉ざされて冬となる。この時期は喪服の親疏や順序を考え、送葬の儀典を整え正す。
孔甲が東陽の萯山で狩をして道に迷った。とある民家に入ったがちょうど出産の最中であった。ある者が、 この子は不運に見舞われると言ったので、孔甲はこの子をひきとって育てた。しかしあるとき天幕がゆれて支柱が倒れて、この子の足を斧で切ったように切断してしまい、 ついに彼は門番にまで身を落とした。孔甲は哀しんで破斧の歌をつくった。これが東方の国風の音楽の創始である。
禹は塗山氏の娘に出会って結婚したが、正式な礼を行わないで再び南方巡視に出かけた。塗山氏の娘は歌を作って悲しい気持ちを示した。 これが南方の国風の音楽の創始である。
河亶甲は都を囂から西河に遷したが、故都が忘れられず、そこではじめて西方の国風の音楽をつくった。 長公(辛余靡)はこの音楽を継承して西翟(狄)の地に住み着き、 秦繆公はその歌の調子を取ってはじめて秦国の音楽を創出した。
有娀氏にふたりの美女がおり、九重の高閣で飲食した。天帝が燕に命じてそのようすを探らせたが、ふたりの女はこの燕の鳴き声を気に入って捕えてしまった。 しかし燕は脱出して北へ飛び去った。女たちは燕を思って一曲作った。これが北方の国風の音楽の創始である。
周文王が病に臥したとき、地震があった。文王は「わたしに罪があり、だから天はこうした地震でわたしを罰したのだ」と言い、 それから諸侯に礼をもって交わり、賢士を礼遇し、群臣に賞賜した。これが文王の災害に対応する仕方であった。
宋景公の時代に熒惑(煋)が心の宿(宋の分野)に止まっていたので景公は恐れた。 子韋が災禍を宰相や民や収穫に移そうと進言したが、景公は「宰相や民や収穫に災禍をうつして、だれが自分達の君主として仰ごうか。 もう何も言うな」と言った。子韋はお祝いを述べ、熒惑は移動した。
五帝三王は人生の悦楽を極め尽くした。乱国の君主が、楽しみを極められないのは彼が凡庸だからである。
多くのものの協調が積み重なってできあがったものへの恵みは、あらゆるものが到来する。これに対して多くの邪悪が積み重なってできあがったものへの災いは、 あらゆるものが降りかかる。

【孟秋紀】
この日は立秋に入る。立秋の日に先立つこと3日、太史はその旨を天子に告げて「某日が立秋です。徳は金の位にあります」と言う。天子は3日間斎戒する。 立秋の当日には天子はみずから三公、九卿、諸侯、大夫を引き連れて秋の気を西の郊外に出迎える。帰って将軍や武人を表彰する。
軍とは威厳を誇示するものであり、威厳とは威力の表示であり、民がこれをもちたがるのは本性である。本性とは天から授与されたもので、人力ではどうにもならない。 だから古の聖王たちは正義の兵を興すことはあっても軍を廃止することはなかったのである。
怒りや叱責は家庭教育にはなくてはならず、刑罰は国家を治める上でなくすわけにはいかず、誅伐は天下の平和のために止めるわけにはいかない。 だから古の聖王は正義の兵を興すことはあっても軍を廃止することはなかったのである。
軍も水や火と同じように、上手に用いれば福をもたらし、下手に使えば禍を呼ぶのである。正義の軍が天下に良薬の働きをすること、まことに大である。
今の世は乱れているので、正義の軍が興ったならば、凡庸な君主はその民を保有し続けてはならないし、親も子がそれに従うのを禁じてはならない。
君主の思うべきことは有道を助けて無道を倒し、正義をたたえて不正を処罰することである。今、多くの学者は攻伐に反対している。 しかしそれでは専守論になり、有道を助けて無道を倒し、正義をたたえて不正を処罰することができない。
救守の説を主張する者は、無道を守り不義を援けようとはしていないが、結果はそうなっている。
軍を起こして攻伐するとき、よい場合と悪い場合があり、救守でもよいときと悪いときがある。ただ正義の兵の場合だけが必ずよいのである。 軍が正義にもとづいて動く時は、攻伐でもよく救守でもよい。
正義の軍が相手国の国境を越えて中に入ったならば、そこの官吏たちは頼れるものを得、民衆は死なずにすんだと安心する。
もしだれかが人の生死を司ることができたら、天下の者は先を争ってその人物に仕えるだろう。正義の軍が救出する人も実に多数である。 どうして歓迎しない者があろう。

【仲秋紀】
およそ兵は天下の凶器であり、凶器を使用すれば必ず人を殺すことになる。しかしこの殺人は多くの人を生かすためのものである。
用兵は、すばやく行動して勝利を得るのがよい。
鋭利な剣があっても素人であれば人を斬ることができない。だからといって闘争に悪剣を使うのはよくない。
武器は鋭利で兵は訓練されているが、用兵は時宜に適さず、指示も的を得ない。これでは悪兵を動かしているのと変わりはない。だからといって戦争に悪兵を使うのはよくない。
訓練された兵を選び、武器は鋭利にし、優れた将軍に軍を率いさせる。昔はこうして王者となり、覇者となる者がいた。
民衆は常に勇敢でもなく、常に臆病でもない。気力があれば精神は充実し、充実すれば勇敢になる。気力が失せれば精神は空虚となり、空虚となれば臆病になる。 勇敢と臆病の原因はいたって微妙で、ただ聖人だけがその真因を見抜いている。
用兵はその場の大勢に因循即応することを貴ぶ。因循即応とは、敵の険阻に応じて自己の防衛線をつくり、敵の謀略に応じて自己の計画を立てることである。
秦繆公が出遊したとき、馬車が壊れて馬が走り去ってしまった。土地の者がそれを捕まえて料理してしまった。 繆公は怒らずに「駿馬を食べて酒を飲まないと身体を悪くするぞ」と言って、その者たちに酒を与えて立ち去った。
それから1年、繆公は晋との戦いで窮地に立たされた。そのときあの土地の者300人が駆けつけて繆公の周辺で懸命に戦った。
趙簡子は二匹の白いラバを可愛がっていた。陽城胥渠が面会を求めて「私は病んでおり、ラバんも肝を薬にすれば治ると言われました」 と言った。董安于は怒ってこの者を殺すよう進言したが、趙簡子は「いったい人を殺して畜生を活かすというのは何とも不仁ではないか」 と言って、ラバを差し出した。
それからまもなく、趙は中山の狄を攻めた。そのとき陽城胥渠ら700人が先を争って城に攻め上り、敵の精兵を倒した。

【季秋紀】
商湯王は天下の君となったが、旱魃がおこって5年間収穫がなかった。湯王はみずから雨乞いを桑山の林で行い「わたしに罪があるのなら民にその責任を押しつけないで下さい。 民に罪があるのならわたしが責めを負いましょう」と祈願した。民は感動し、それが天にも伝わって雨が大いに降った。
周文王は民のために炮烙の刑を止めることを願ったのではない。実はこれによって民の心をつかみたいと思ったのである。 民心を得ることは千里四方の土地を得るよりもすばらしいことだからである。だから文王は智者と言われるのである。
国家の存在も滅亡も自身の賢明な行為も愚行も、すべて理由が根底に存在している。だから聖人はうわべの存亡や賢不肖を問題としないで、 真の理由を知ろうと努めるのである。
斉は魯を攻め、和平の条件に魯の国宝である岑鼎を要求した。魯君は偽物の鼎を柳下恵に持って行かそうとした。柳下恵は「君が偽物を出すのは岑鼎を守るためですか。 魯を守るためですか。わたしは国を破って君の国を保全しろと言われても、それは至難なことです」と言った。そこで魯君は本物の岑鼎を斉に贈った。
斉湣王は国を逐われて衛に出奔した。湣王は公玉丹に「どうしてわしは亡命してしまったのだろうか」と言った。 公玉丹は「王はまだご存じなかったのですか。その理由はあなたの賢さにあります。天下の者はみな愚かで、あなたの賢さを憎み、王を攻めたのです」と答えた。 湣王は溜息をついて「賢いことはかくも苦痛なものなのか」と言った。
これは湣王が道理をわかっていないことを示し、また公玉丹の不忠さを示すものである。
周の申喜という者は母と生き別れていた。あるとき乞食が歌うのを聞いて、それは悲しみがあふれていた。申喜は乞食にその理由を聞くと、なんとそれは実の母であった。
感情はおのずと外に表れる。どうしてことばによる説明が必要であろうか。

【孟冬紀】
この月は立冬に入る。立冬の日に先立つこと3日、太史はその旨を天子に告げて「某日が立冬です。徳は水の位にあります」と言う。天子は3日間斎戒する。 立冬の当日には、天子はみずから三公、九卿、大夫を引き連れて冬の気を北の郊外に出て迎える。王城へ帰って国事に死んだ者を賞し、 その遺族の妻子を憐れみ、ものを恵与する。
はっきりと生の意義を知ることは、聖人の要務である。はっきりと死の意義を知ることは聖人の究極目的である。
愛する者や尊敬する者を葬るのに、生きている者つまりあとに残された家族が強く望んでいる方法で行おうとするが、それでは死者の安息は得られない。
墓をつくるとき、高大さは山のよう、樹は林のよう、御殿は都のように美しい。しかい永遠の死者の立場で考えると、ぴったりしないものである。
各国の大墓で盗掘されないものはなかった。しかし世間では争って大墓をつくろうとする。何と悲しいことではないか。
季孫氏の葬儀の時、喪主が君主の美玉を死者につけて入棺しようとした。孔子はそれを見て庭を走って横切り、階段を急ぎ足で上って諌めた。 孔子の行動は非礼であったが、そこまでして季孫氏の過失を止めようとしたのである。
孫叔敖は没するとき子を戒めて、王から封地をもらうときは、必ず肥えてなく名も悪い、寝という地を欲しがるように言った。
子はよい土地を辞退して寝の地を請うたので、今に至るまでその地を保有し続けている。
宋の民が宝玉を見つけたので子罕に献上した。子罕は「お前は玉を宝としているが、わたしはそれを受け取らないことを宝としているのだ」 と言ってこれを断った。
百金と団子を子どもに見せたら、子どもは団子を取るだろう。和氏の璧と百金を田舎者に見せたら、田舎者は百金を取るだろう。 和氏の璧と道徳の至言を賢人に示せば、賢人は道徳の至言を取るだろう。
商の湯王はその三方の網を去り、ただ一面だけを残したのに、40もの国を引き入れることができた。これはただ鳥を捕えることだけにいえるのではない。
周文王が池を掘らせると死者の骨が出てきた。文王はこれを葬ってやったので天下の者は「王の恩沢は死人にまで行き届いている。どうして生きている人をないがしろにしよう」 と喜んだ。だから聖人はどんなものでも有効に用いるのである。

【仲冬紀】
楚荘王は狩で随兕を射止めたが、子培がこれを奪い取ってしまった。荘王はこれを誅殺しようとしたが左右の者が 「子培は賢く、忠義の臣です。きっと理由があるはずです」と諌めた。3ヶ月もたたないうちに子培は病気で死んだ。 子培は随兕を殺す者は3ヶ月もたたないうちに必ず死ぬということを古い記録から知っていたのである。荘王はのちにこのことを知り、子培の弟に手厚く褒賞を与えた。
宋の名医文摯は、斉王の病気を治すために斉王を激怒させたが、そのために殺されてしまった。文摯は殺されることを知っていたが太子のために難事を行って、 約束を全うしたのである。
闔閭は慶忌を殺そうとしたができなかった。要離が慶忌を殺すことを進み出た。その翌日、要離は罪を着せられ妻子は焼き殺された。 要離は脱走して、衛に亡命している慶忌のもとに行き、いつわって彼の部下となった。
慶忌が呉を討つと、要離は慶忌を殺した。しかし要離は、妻子を殺して主人(慶忌)を殺したことは不義として自殺した。
衛懿公は狄に攻められて殺され、肉を食われて肝だけになった。懿公の臣の弘演は他国に使者となっていたが、 帰国すると使命を懿公の肝に報告し、天を呼んで号泣して「どうかわたしの身体を外表として下さい」と言って自分の内臓を外に出して、懿公の肝をおさめて死んだ。
桓公はこれを聞いて「衛の滅亡は無道によるものだが、このような烈士もいるのだから、その社稷を存続させないわけにはいかない」 と言い、衛を再建した。
盗跖は泥棒にも道があると言い、倪説は6人の王者や五覇を批難し、金属製のつちを持って葬られて「あの世で彼らの頭をたたいてやるのだ」と言ったという。 このような弁論ならいっそないほうがましだ。
楚の直躬は自分の父が羊を盗んだことを告発した。役人が父を誅殺しようとすると直躬は自分が身代りになると申し出た。楚王はこれを聞くと直躬を赦して殺さなかった。
孔子はこれを評して「おかしな話だ、直躬の信というのは。父を利用して二度も評判を取っている」と言った。
斉のある村の東と西に勇者気取りの者がいた。ふたりは偶然道で出会って一緒に飲んだ。ひとりが「肉を食いたいな」と言うと、もうひとりが「お前も肉の塊だし、 俺もそうだ。肉をさがす必要もなかろう。ただ醤油があればいい」と言って、たがいに相手の肉を切り食らいあって死ぬまでそうした。このような勇気であれば、 ないほうがましである。
晋平公が大きな鐘を鋳造したとき、師曠だけが音階が正しくないと言った。 師曠は「のちに真に音楽を理解する者が現れたとき、この鐘の音階が合っていないことを見抜くでしょう。わたしはひそかにそれはわが君の恥になると思うのです」と言った。 はたしてのちに師涓が現れて、この鐘の不調が明白になった。
太公望は「賢人を尊重し実績を評価する」と言い、周公旦は「身内を大切にし、 恩愛を大事にする」と言った。太公望は「魯は弱体化するぞ」と言ったが、周公旦は「斉の呂氏はのっとられるぞ」と言った。
斉は強大化して覇者となったが、24代で田氏に政権を奪われた。魯は弱体化したが34代まで続いた。
呉起は西河を治めていたが、王錯の讒言によって召喚されることになった。呉起ははらはらと涙を流して 「君がわたしの能力を知り、それを存分に発揮させてくれたなら、西河を基盤にして天下に号令することができただろう。しかし君はわたしを理解しようとしない。 西河が秦に吸収されるのも間のないことだ」と言った。
呉起は魏を去って楚に行くと、西河はすべて秦に編入された。
魏の公叔座は病気で死ぬ前に魏恵王に 「わたしの御庶子の公孫鞅に国事をお任せください。さもなくば彼を殺して国外に出さないようにして下さい」と言ったが、 恵王はこれを信じなかった。
公叔座が死ぬと公孫鞅は秦へ赴き、重用されて秦は強大化し、一方の魏は弱体化した。

【季冬紀】
斉の北郭騒は晏嬰に母の面倒を見る分の援助を請うた。晏嬰は北郭騒が賢人であると聞いたので、これに金と食糧を与えた。 しばらくして晏嬰は斉君に疑われたため出奔し、北郭騒に別れを告げたが北郭騒は「どうぞお大事に」と言っただけであった。晏嬰は溜息をついて 「わたしの亡命も当然だ。人を見る目がないのだから」と言って去った。
一方、北郭騒は友人を呼んでともに斉君のところに行き、晏嬰の潔白を訴えて自殺した。その友人も北郭騒の首を役人に渡して自殺した。斉君は驚いて晏嬰を呼び戻した。
晏嬰は北郭騒が生命を賭して自分の潔白を明らかにしてくれたことを知り、溜息をついて「わたしの亡命も当然だ。人を見る目がないのだから」と言った。
晋文公は難しい時に人を得ることができ、容易なときにそれができなかった。これが文公が覇者にはなれて、王者になれなかった理由である。 介子推は利益を手にすることができながら、それを棄てた。世俗と遠くかけ離れた人物である。
爰旌且という者が旅の途中で飢えて倒れた。狐父の盗賊の丘という者がこれに飯を食べさせた。爰旌且は目が見え、話ができるようになって、 それが盗賊であると知ると「ああ、どうしてわたしに食べさせたのか。わたしは正義を重んじるから、盗賊のものを食べるわけにはいかない」と言い、 むりやり吐き出して倒れて息絶えた。
伯夷と叔斉は周文王をしたって周に行ったが、 文王は没して武王が位についていた。彼らは武王の政治を見て自分たちが思う道ではないとして首陽山で餓死した。
予譲の友人が予譲の復讐が誤っていると言った。予譲は「范氏・中行氏はわたしを並みの人間として待遇しました。 だからわたしも並みの人間としてお仕えした。智氏はわたしを一国の賢士として待遇してくれました。だからわたしも一国の賢士としてお仕えするのです」と言った。
始皇6年(B.C.241)、7月1日、秦王はわたくし(呂不韋)に十二紀の意義を問われた。わたくしは「十二紀とは、治乱興亡の由来を記述し、寿夭吉凶の法則を解明するものです」 とお答えした。

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八正道!「苦」を滅するための8種の徳目!

八正道ってご存知ですか?
これは、お釈迦様が「苦」を滅する方法として解き明かした八つの正しい道のことです。
涅槃に至る修行の基本ともされており、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の、8種の徳目から成るものですね。

8種の徳目を簡単にまとめてみましょう。

「正見」
・正しく見る、観察をすることで、何か原因でこういう結果になったのかを見ること。
「正思」
・正しく思うこと(正思惟)で、ものをよく深く考えるということ。
 そのため、財産、名誉など俗世間で重要視されるものや、感覚器官による快楽を求める五欲、人間の俗世間において渇望するもの(正思惟)から離れること。
「正語」
・いい言葉、正しい言葉を使うこと。そのため、嘘を離れ、無駄話を離れ、仲違いさせる言葉を離れ、粗暴な言葉を離れること
「正業」
・正しい行為を為すこと。そのため、殺生を離れ、盗みを離れ、特に社会道徳に反する性的関係を離れること。
「正命」
・出しい生活をすること。そのため、道徳に反する職業や仕事はせず、正当な生業を持って、人として恥ずかしくない生活を規律正しく営むこと。
正精進
・「励む」ということ。
 つまり、すでに起こった不善を断ずる、未来に起こる不善を生こらないようにする、過去に生じた善の増長、いまだ生じていない善を生じさせる、という四つの実践について努力すること。
「正念」
・正しく思い考えること。
 要は、四念処(身、受、心、法)に注意を向けて、常に今現在の内外の状況に気づいた状態でいること
「正定」
・精神統一を図るということ。要は正しい集中力(サマーディ)を完成すること。

私達は常に自分が正しい見方や判断をしており、それに従って行動していると考えています。
でも正しい見方って意外と難しく、
・自分の物差しで自分本位となるのではなく、不平・不足・不満などの苦の種をつくらない大きな立場で物事を判断すること
・様々な現象に現れた結果を何を基準としてどう捉えるかに関しては、自分の感情が入り混じらせずに差別的な判断をしないこと
には、結構難しい所作と労力が必要です。
要は、平等で見るだけでなく、差別せずに見るという、両方の観点と捉え方(=中道)が必要となる訳ですね。
でもこれに至るには、まずすべて物事は原因があって結果が生まれているということを理解し、その考えの下に、8種の徳目を修行しなければならないということなのです。

思いや考えを八正道によって規定し、それらをどういった形で行動に移していくのか?
これは、仏教に限らず、私達が日々考え意識していくべきことですね。

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老子より学ぶ!ありのままのあなたへ!

古代中国の春秋時代の思想家である老子(B.C.5世紀頃)の唱えた『道(タオ)』の思想は、戦国時代の荘子の無為の思想と並んで老荘思想と言われます。
老荘思想が最上の物とするのは「道」です。
「道」はこの世界のありとあらゆるものを生み出す根本原理であり、また天よりも上位にある物として使われています。
道教では、世俗的な欲望や物質的な価値を否定的に見て、人為的な計らいについてはただ何もせずに自然のままに生きる『無為自然』を重視します。
老子荘子は、世俗的な問題(地位・財産・権力・名誉・性欲)と関わらず『無為自然』を実践することが、人間の理想的な生き方(倫理)につながると考えました。
この世俗的な欲望(=煩悩)を否定して無為自然を勧める老荘思想は、釈迦の仏教でいう「諸行無常涅槃寂静」にも共通する部分があり、古代中国では「老荘の無為」と「仏教の涅槃」は同一のものと解釈される傾向にありました。
老子』『荘子』『周易』は三玄と呼ばれ、これをもとにした学問は玄学と呼ばれています。
荘子』については、こちらを参照ください。
荘子より学ぶ!何ものにも束縛されない絶対的な自由を求めて!
また『周易』は易経に記された爻辞、卦辞、卦画に基づいた占術ですので、以下を参考にしてみてください。
当たるも八卦、当たらぬも八卦 易経って何?
易経 実際に占う方法です
易経 実際に易を占ってみましょう。
易経 本来の在り方を知ることが大事です。
今回はそのうちの『老子』について、整理してみたいと思います。

老子は周王室の書庫の記録官だったとされますが実際には定かではありません。
東周の衰退を見て立ち去り、関所の役人の尹喜の依頼を受けて『老子(上下巻5000余字)』を書き残したと言われています。
老子』は、上下巻の最初の一字である『道』と『徳』から『老子道徳経』と呼ばれることもあります。

老子』は、人間の心のありようだけでなく、天地自然のなりたちや万物の根源についてなど、いわば自然科学的な視点から言及している点に特徴があり、知識や欲望はできるだけ捨て去り、人と争わず、ありのままに生きよ、という生き方が提唱されています。
老子』に見られるポイントは、時代の流れに取り残され、とまどっている人々に向けて、生きていくための処世術を教えたり、あるいは支配階層に向けて、不安定な時代に国をいかに治めていくかを提示する統治論として書かれている点にあります。
老子』には「頑張らなくていい」「ありのままのあなたでいい」といったメッセージが数多く含まれていますが、これは単なる「癒やしの書」としてだけでなく、乱世をいかに生き抜くかの「権謀術数の書」としての内容になっています。
老子』の思想は、常識に凝り固まった人々の考え方を打破し、煩雑な日常のしがらみから人々の心を解放する役割も持っていますので、これまでとは違った視点からの「もうひとつの価値観、生き方」の書として触れてみてはどうでしょうか。

以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。
こちらも参考にしてみてください。
 老子のすべて(道・徳)全81章

【道経(上篇)】
【體道1】
道というのは、これまで言われてきた道ではない。名も従来の名ではない。天地の始まりには何も無かった。だから無名である。天地に万物が生まれ、それぞれに名が付けられた。有名である。したがって有名は万物の母である。
故に無は常にその奥深き妙を見せ、有は常に無との境を見せる。此の両者は同じ所から出て名を異にしているだけだ。どちらも玄妙で、玄のまた玄は見通せないほど深遠なものである。

【養身2】
天下の人たちは皆、美が何であるか知っているが、それだけではいけない。美の裏には醜があるのだ。皆は善がどういうものか知っているが、それだけではいけない。裏には不善があるのだ。このように有無はともにあり、長短、高下、音声、前後といった具合に、すべてに相対的なものがある。だから道の教えを体得した聖人は、事を為すに当たって何もせず、何も言わない。道は万物を生むが、それを誇りに言わず、それが育ってもそれを自分のものとしない。それを頼りにすることもなく、成功すれば、いつまでもその場にいない。

【安民3】
賢を尊ばなければ、民の競争はなくなる。財貨を重んじなければ,盗みはなくなる。欲望をかきたてる物をみせなければ、民は心を乱さなくなる。これによって道を体得した聖人の治世は,民の心を単純にし、食料を十分に与え、反逆の意思を弱くし、体を頑強にしてやる。常に民を無知無欲にし、智者には口出しさせない。無為の政策をとれば治まらない事はないのだ。

【無源4】
道は無であり、見ることは出来ないが、その働きは無限である。淵のように深く、まさに万物の宗主である。鋭い切っ先を表すことなく、世の複雑なもつれを解き、光を和らげて塵の中に混じりこんでいる。湛々とした水のような静かな姿だ。道がどこから生まれたのか知らないが,天帝より前からあったようだ。

【虚用5】
天地には仁慈というものはない。万物を祭壇に供える飾り犬と同じに見ている。祭礼が済めば捨てられるのを黙って見みているだけだ。聖人にも仁慈はない。民が飾り犬のように死ぬのを見ているだけだ。天地の間は鍛冶屋のふいごのようなものだ。中は空なのに動くと際限なく風を噴き出す。

【成象6】
神は不滅で、玄牝(女性)と呼ばれる。玄牝の門は天地の根源と呼ばれ,永遠に存在し続け、これをどれだけ使っても疲れをしらず、尽きる事がない。

【韜光7】
天地は長久であるが,長久であるゆえんは、自己のために生きようとしないからで,それで長生きするのだ。  それゆえ聖人も自分のことを度外視して、かえって身の安全を保つのだ。これはまさに無私無欲のためでなかろうか。そして結局は自分の目的を果たすことになるのだ。

【易性8】
最高の善は水のようなものだ。水はよく万物を助けて争わず、みなが嫌がるような低地にとどまる。この点は「道」に近いといえる。住居は低地に設け、心は淵のように深く、人との交流は水のように親しく、言葉は誠実で、政治は筋道を大切に、ものごとの処理は流水のように滑らかに、行動は時にかなう。そして争わず,これだからこそ災難は起きないのだ。

【運夷9】
手にもつ器に水を満たし,零すまいと心配するくらいなら,はじめから満杯にすることはないのだ。刃物は刃を鋭くすれば、刃こぼれがして長持ちしない。金や玉が部屋一杯になれば,どうしてそれを守るのだ。富貴で高慢になれば、自ら災難を招く。成功すれば,速やかに身を引く。これこそが天の定めた道なのだ。

【能爲10】
心と身体が一体となり、道から離れないようにしたいものだ。気を一杯にして無心な幼児のようになりたいものだ。雑念を払い、過ちなしに済ませるようになりたいものだ。民を愛し、国をおさめるに無為の精神でやりたいものだ。  自然が変化する中で、女のような柔軟さを保ちたいものだ。 四方のすべてを知りながら、何も知らないとするようになりたいものだ。  道は万物を生み、これを繁殖させ、成長してもそれを自分のものとせず、万物を動かしながら、それを頼りにせず、頭になって万物を支配することもしない。これこそ玄徳という。

【無用11】
車の輪、三十本のスポークが車軸から出て輪を作る。このスポークの間に空間があってこそ、車輪としての働きが出来る。泥土をこねて器を作り、器の中に空間があってこそ器としての働きをする。戸口や窓をうがって部屋を作り、その中の空間こそが部屋としての働きをなす。

【檢欲12】
色とりどりの美しい色彩は人の目を盲にする。耳に快い音楽は人の耳を聾にする。豪勢な食事は人の味覚を損なう。馬で狩をすることは、その楽しみが人を熱狂させ、珍しい物は人を盗みに走らせる。  そこで聖人は民の腹を満たすことだけを求め、民の目をくらますようなことをしない。

【猒恥13】
人が 寵愛と恥辱に心を騒がせるのは驚くほどだ。また病気、災難が身に降りかかるのを死ぬほどに恐れる。  寵愛と恥辱への関心が驚くほどというのは何ゆえか。寵愛は上で、恥辱は下という意識があり、寵愛を与えられると人は歓喜して喜ぶが、失うと驚愕して恐れののく。後に恥辱が待っているからだ。  身に及ぶ災難を死ぬほどに恐れるのは、どういうことか。私に大病など災難があるのは私に身体があるからだ。もし私に身体がなければ、いかなる災難が降りかかろうと構わない。  故に自分の身を天下より大切にする人には天下を与えるべし。天下より自分の身を愛する人には天下を託してよい。

【賛玄14】
見ようとしても見えない。これを『夷』」と呼ぶ。  聞こうとしても聞こえない、これを『希』と呼ぶ。  触ろうとしても触れない、これを『微』」と呼ぶ。  この三つのものは追求の仕様がない。なぜならそれは全く同じものだからだ。  茫漠としているが、上の方は明るくなく、下の方も暗くはない。ただぼんやりとして形容の仕様がなく、形のない状態に戻っている。この姿なき形を『恍惚』という。迎えてもその前が見えず、従ってもその後ろが見えない。  これが昔から続く『道』の姿で、今の『有』を支配し、これによって万物の始まりを知ることが出来る。これを『道の法則』という。

【顯徳15】
古のよき『士』たる人は神妙にして、すべてのものに奥深く通じ、理解しがたいほど慎重だ。それゆえ、ここはどうしてもその姿を描かねばならない。  彼はことをするに先立って、冬に川を渡るように慎重だ。  周囲を囲む隣国の包囲攻撃を防ぐように、防衛に熟慮を重ねる。  身を引き締め、常に客人のように厳粛で、春に氷が溶けるようにこだわりがない。まだ刻まれていない材木のように純朴で、奥深い山の谷のごとく広大だ。  水は濁って不透明だが、この水を徐々に平静に戻すことが誰に出来るのか。  これを久しく安定に保つためには、水を絶えず動かし、徐々に流さなければならないが、誰がそれを行えるのか。  それが出来るのは『道』をわきまえた人だけである。 『道』をわきまえた人は完全を求めない。それを求めないからこそ古きを守りつつ、新しい成功を得るのだ。

【歸根16】
出来るだけ心を虚にして、静寂を守る。万物は成長しているが、私はその循環を見守っている。万物は成長の過程でさまざまに姿を変えるが、最後にはそれぞれの元の出発点に戻って行く。  出発点に戻るのを『静』といい、また『平常』とも言う。『平常』を認識することを『明晰』と呼ぶ。  『平常』を意識せず、妄動すれば結果は凶と出る。『平常』を意識してこそ、すべてを包容できるのだ。すべてが包容されてこそ公平無私で、公平無私であれば、人は王となり人々は服従する。王は天理にかなう。天理にかなえば、それは『道』にかなったことを意味し、『道』にかなえば永遠で、終生危険に陥らない。

【猒淳17】
もっとも善い支配者は、民はその存在を知るだけである。  次に善い支配者は、民は彼に親しみ、これを賞賛する。   更に次の支配者は、民はこれを恐れる。  最低の支配者は民は彼を軽蔑する。信任するに値しないからだ。  もっともよい支配者は、ゆったりと、ほとんど命令せず、事がうまく行くと、民たちは『これは誰のおかげでもなく、自然にこうなったのだ』という。

【俗薄18】
大いなる『道』が廃れて『仁義』が生まれた。聡明な知恵者が出てはなはだしい虚偽が生まれた。  肉親が和せず、家庭が乱れてはじめて『孝慈』なるものが生まれた。  国家が混乱して、初めて『忠臣』なるものが生まれた。

【還淳19】
学者たちが言う小賢しい『聖智』を捨てれば、民の利益は百倍になる。『仁義』を捨てれば、民は『孝慈』を取り戻し、『巧利』を捨てれば盗賊は姿を消す。  この三条では筆足らずだ。そこで人が従うように補筆しよう。それは『表面は単純、中も素朴で,私心をなくして欲望を抑えることが大切だ』ということである。

【異俗20】
学問を捨てれば、憂いはなくなる。返答の『はい』と『おう』ではどれほどの違いがあると言うのだ。『善』と『悪』ではどれほどの違いがあるというのだ。 人の恐れることを恐れないわけには行かないが、この荒れた状況はいまだに終わっていないのだ。  多くの人は憂いもなく、盛大な宴席でご馳走を食べている、また高楼に登って眺めを楽しんでいるのに、私だけはひっそりと何の兆しもなく、まだ笑うことの出来ない幼児のような惨めな顔で,帰る家もないかのようだ。  他の人は有り余るものを持っているのに、私だけは乏しい。 私は全くの愚か者のようだ。のろまで,他の人は明晰なのに、私は悶々としているだけだ。他の人は広々とした海にように、吹きぬける風のような才能を持っているというのに、私はかたくなで,幼くつたない。  だが,私一人がそうである訳は、私は他の人と違って,母である『道』に抱かれているからだ。

【虚心21】
大いなる『徳』の中身は『道』に一致している。『道』というものは目に見えず、漠然としている。だがその漠然とした中に実体がある。暗く深い、その中に微かな精気がある。この精気は具体性があり、真実がある。 古より今に至るまで,その名は消えず、それにより万物の始めを知ることが出来るのだ。  私がどうして万物の始まりの有様を知るのか、その根拠はここにある。

【益謙22】
木は曲がっていると、材木にならないため伐採されずに完全さが保たれる。 身をかがめていると、かえって真っ直ぐと身を起こすことが出来る。  土地が人の嫌がる低い窪地であれば、かえって水が満ち、物は古ぼけていると,作り直され新しくなることが出来るのだ。 物が少ないと逆に得ることが出来、多いとかえって迷ってしまう。  これをもって,聖人は『道』を天下を占う道具の『式』とする。自分の目で見ないため、逆にはっきりと分かり、自分を正しいとしないために,物の是非がはっきりとする。 自ら誇らない、だから成功する。うぬぼれない、だからこそ導くことが出来る。人と争わない、だからこそ天下に争うものがいないのだ。  『木は曲がっていると、かえって完全さが保たれる』という古言はまさに虚言でない。真にこうして証明できるのだ。

【虚無23】
言を少なくすることは自然なことである。疾風も朝の間にはやみ、にわか雨は一日中、降り続けることはない。誰がそうさせているのか、天と地である。天地の力をもってしても続けられないものをどうして人間に出来ようか。  道を得た人は、他の『道を持つ人』と同じくし、『徳』ある人があれば同じく『徳』を求め、どちらも持たない人があれば、それと同じくする。  『道』を同じくすれば、彼の人も『道の人』を得たいと願う。  『徳』を同じくすれば、彼の人も『徳の人』を求める。  何も持たない人は、同じような仲間を求めようとする。  人と協調して生きるには、自分を空しくしなければならぬ。信頼されなければ、信任されないということはこういうことだ。

【苦恩24】
背伸びしてつま立ちすれば,しっかりと立つことが出来ない。  早く行こうと大股で歩けば、かえって早く行けない。  自分の目だけで見ようとすれば、かえってはっきりと見えない。  自分を正しいと固執すれば、かえって是非が分からない。  自ら誇るものは成功しない。  自惚れるものは導くことができない。  これらのことは「道」の原則を知る人には役立たずの余計なものだ。  余計者は嫌われるが、「道」を得た人は原則を知るから、こうしたことになら ない。

【象元25】
天地に先立つ前から,混然となったものがあった。  音もなく形もないが,どこまでも独立した,誰にも頼らない存在で,とどまることなくぐるぐる巡る。それは天地万物の母とみなして良い。  私はその名前を知らないが、それを『道』と呼び、しいて名をつけて『大』と呼んだ。『大』は成長すれば去っていき、宇宙のはるか遠くに行って再び元に戻ってくる。 『道は大、天は大、地は大、人も大』という。宇宙に四つの『大』があり、人もそのひとつを占める。  『人』は地の法にのり、『地』は天の法にのり、『天』は道の法にのる。『道』はそれ自身、すなわち『自然』の法にのる。

【重徳26】
重いものは軽いものの基礎であり,静かなものが騒がしいものを抑える。 聖人は終日行軍しても、部隊の中央にある糧秣を運ぶ輸送部隊を離れることがない。道中に華やかなものが有っても,目を奪われることがなく,悠然としている。 万を越える兵の部隊を動かす君主であるのに、どうして身を天下より軽んじるのか。(身を軽んじてはいけない)身を軽くすれば本元を失い,騒げば落ち着きを失うのだ。

【巧用27】
行進の進め方がうまいと車のわだちを残さない。  言い方がうまい人は,失言もなく欠点を見せない。  計算がうまい人は、計算棒を使わずに計算できる。  門を閉めることのうまい人は、かんぬきを使わず開けることが出来ないように出来る。  結び方のうまい人は,縄を使っていないのに、ほどけなくする。  聖人は何時もうまく人を使うため、初めから無用の人はいない。  聖人は何時もうまくものを使うため、初めから無用なものはない。  これを内なる聡明さという。  善人は悪人の師であり、悪人もまた善人の反省の手本になる。  自分の師を尊ばず、手本を大切にしなければ、自分は智者と思っていても,本当は愚かなのだ。   こういうことを「奥深き原理」という。

【反朴28】
何が雄々しきか知っていても、柔和な牝の姿勢を守れば、天下の谷(古代の尊敬の対象)として人々の尊敬を得る。  天下の谷となれば、常に「徳」と離れることなく、乳児のような単純さに帰る。  白い輝きを持つことを知っていても、暗い位置に安んじて居れば,天下の『式』(古代の占いの道具)となる。天下の『式』となれば、『常徳』と違うことなく究極の真理に至る。 何が栄誉であるかをわきまえ、甘んじて屈辱の位置に身を置けば、周囲の信望を集める『谷』となる。周囲の信望を集めれば、『常徳』が身について,素朴な材木の状態に帰る。  材木は小さく削られると器になるが、聖人がこの材木を用いると人を統率する官長となる。とかく木を切ったり、削ったりの無理をしないのだ。

【無爲29】
誰かが天下を手に入れ、治めようと画策しても、私はそれが実現するのを見たことがない。天下は治めることが難しいものだ。何とか治めようとしても逆に壊してしまい、何とか掌握しようとしても逆に失ってしまう。  物事は有るものは先に進み、あるものは後ろに付き添い、あるものはそっと吹き、あるものは強く吹く。あるものは少し傷つき,あるものはすっかり壊れるなど,すべてのものは相対的で,片方だけに荷担することは出来ない。だから聖人は極端なもの、贅沢なもの、度を過ぎたものだけを取り入れず捨て去り、後は何もせず自然に任せるのだ。

【儉武30】
『道』を用いて君主を援けようとする人は,武力によって天下に覇を唱えようとしない。武力を用いれば必ず報復を招くからだ。 軍隊が駐留した場所は,撤収した後の田畑に茨が茂り,大きな戦いの後には必ず凶作がやってくる。 勝利すればそれだけで良く、その後は武力による強さを見せ付けないことだ。勝利しても,うぬぼれず、誇ることなく、高慢になってはいけない。武力で勝利すれば,やむを得ずこうなったと考えるべきで、強がってはいけないのだ。 ものごとは盛んになれば、必ず衰退に向かう。これは『道』にかなっていないからだ。『道』にかなっていなければ、必ず速やかに滅亡する。

偃武31】
『軍隊』、この不吉なものは誰もがその存在を憎む。だから『道』を備えた人は,それに近ずかない。 君子は普段のときは『左側』を尊び、武力を用いるときは『右側』を尊ぶ。 『軍隊』という不吉なものは君子が用いるものでなく、やむを得ずそれを用いても,利欲にかられず、あっさりと使うのが一番だ。 たとえ勝利しても、それを良としない。もし良とするならば、それは殺人を楽しんでいることになる。殺人を楽しみにする人は,天下に志を遂げることは出来ない。 吉事には『左側』を尊び、凶事には『右側』を尊ぶが、軍隊では副将が左に座席し、大将は『右側』に座席する。 つまり戦争は常に葬儀の作法によって行われるのだ。戦争では大勢の人が死ぬため、その哀悼の意味で、軍では戦いに勝利しても常に葬儀の作法がとられるのだ。

【聖徳32】
『道』は永遠に『無名』である。手が加えられていない素材のようなものだ。 名もない素材は小さいけれど、誰もそれを支配することは出来ない。  王侯がそれを持ち、守ることができるなら、万物はひとりでに王侯に従うことになるだろう。 天と地は相合し甘露を降らせるが、誰かが甘露に命じて広くまんべんに降らせているのでなく、ひとりでにまんべんに降っているのだ。  管理が始まると名前が出来る。名前が出来ると適当なところでとどめる事を知らねばならぬ。『限度』である。限度を知るならば、危険を免れることが出来るのだ。  『道』は天下に有るすべてのものが行き着く所だ。すべての谷川が大河、海に流れ込むのと同じである。

【辯徳33】
他人を理解できるものを『智』といい、自己を知るものを『明』 という。聡明である。  他人に勝つ者を『力』が有るといい、自己を克服できるものを『強』という。真の強者である。満足を知る者は富み、努力する者を『志』が有るという。よりどころを失わない者が永続し、死んでも『道』の精神を保っている人は滅びず、これを真の長寿者という。

【任成34】
『道』は水が氾濫するように、左右に広がり流れる。万物はこれを頼りに生まれて出てくるが、『道』はこれを拒まず、その功を名乗ろうともしない。 『道』は万物を慈しみ育てながら、それを支配しようともしない。  常に無欲なので、とりあえず『小』と名付くが、万物はすべて『道』に帰服して、しかも『道』は主とならないのだから、これは『大』と名付くべきなのだ。  これゆえ聖人は常に謙虚で『大』として振る舞わない。ゆえに人々は聖人に帰服し、『偉大なる存在』として尊敬するのだ。

【仁徳35】
『道』を守って天下を行けば、どこへ行こうと害はなく、平穏無事である。 宴席の音楽と豪華な料理は旅人の足を止めさせるが、『道』の話はそれを説いても味わいがなく、見えず、聞いても聞こえない。だが用いれば、効用は無限で使い切れないのだ。

【微明36】
ものを縮めたければ、逆にしばらく伸ばしてやる。 弱めたければ、しばらくこれを援けて強くしてやる。 廃止しようと思えば、しばらくこれを放置しておく。 こういうやり方は奥深き叡智という。こうして柔軟なものが剛強なものに勝つのである。 魚は深い淵から出て行けないのと同じく、こうした国の戦略は他国に見せてはいけない。

【爲政37】
『道』はその基本原則の『無為』により何もなさないように見えるが、実はあらゆるものを成し遂げているのである。  王侯がもし『道』による『無為自然』の原則を守っていれば、万物は自から伸び伸びと成長する。  だが成長の途中で、王侯が欲を出し作為的なことをしようとすれば、私は『材木のような素朴な心に帰れ』と諌めるだろう。  王侯が材木のように素朴で、無欲な状態になれば、すべての者が無欲無心になり、そうすれば天下は安定する。

【徳経(下篇)】
【論徳38】
最も高い有徳者は『徳』を行っても、それを『徳』として意識しないため、ここに本当の『徳』がある。低い有徳者は『徳』を意識して、それを見せびらかそうとするので『徳』はない。  高い有徳者は作為的でなく、それを施したという意識がない。低い有徳者は作為的で、しかも『徳』を施したと意識している。  本当に『仁』のある人は、それを行動しても『仁』を為したとは意識しない。  『義』を守る人は、それを行動で表わすが、常に『義にもとずいた行動をとった』と意識している。  『礼』を守る人は、それをはっきりと行動に表わし、相手がその『礼』に応じないと、ひざをつついて返礼を要求する。  これゆえ『道』が失われて『徳』が現れ、『徳』が失われて『仁』が現れ、『仁』が失われて『義』が現れる。こうして『義』が失われた最後に『礼』が現れるのだ。  そもそも『礼』というものは忠信が薄れた結果生まれるものなので、争乱の元になるものだ。  また人より前に知るという前識者の『智』は、偉大なる『道』を飾る造花のようなもので愚の始まりだ。  これをもって男丈夫は、このような『仁』『義』『礼』『智』という薄っぺらなモラルに執着せず、華を捨て実を取るのである。

【法本39】
最初に『道』から生まれた一つの生気のようなものが有った。 『天』はこれを得て清く、『地』はこれを得て安定し、『神』はこれを得て霊妙 になり、『谷』はこれを得て充実し、『万物』はこれを得て生き、『王侯』はこれを得て天下の頭になった。  天が清くなければ、恐らく避けてしまう。  地が安定してなければ、やがて崩れてしまう。  神が霊妙でなければ、恐らく力を失う。  谷が水で満たされなければ、すべてが枯渇してしまう。  万物が生育できなければ、あらゆるものが死滅する。  王侯が最高の地位を保てなければ、国は滅びてしまう。  身分の高い人、地位の高い人、つまり貴族や高官にとって身分の低い、卑しい庶民は彼らの根本であり、高さは低きをもって基礎とする。  これゆえ、王侯は古代から自分の事を『孤』(孤児)、『寡』(独り者)、『不穀』  (不幸)と自虐的に賞したが、これは貴さは卑しさをもって根本となすという考えからではなかろうか。  ゆえに多くの栄誉を求めると、かえって栄誉はなくなる。高貴な美玉になろうとは望まない。つまらない普通の石でよいのだ。

【去用40】
元に戻そうとするのが道の運動法則なのだ.。 柔弱なのは道の作用である。  天下の万物は有より生じ、有は無より生じる。

【同異41】
上士は道を聞けば、勤めてこれを行う。   中士は道を聞けば、半信半疑と成る。  下士が道を聞けば、話は大きいが中身がないと笑う。  だが、彼らに笑われなければ、本当の道でないのだ。  古の人はこう言っている。  『明るい道は暗く見え、前に進んでいる道は後ろに退いているように見える。平らの道は凸凹と険しく見える。  高い徳は俗っぽく見え、輝いている白は汚れて見え、広大な徳は何か欠けているように見え、健全な徳は悪賢く見え、純真な性格は移りやすく見えるものだ。  大きな四角は角がなく、大きく貴重な器物はなかなか完成しない。  とてつもなく大きい音は耳に聞こえず、限りなく大きいものは、その姿が見えない』と。  道は無名であるが、この道だけが万物を援け、よく育成しているのだ。

【道化42】
『道』は統一した『一』を生み出し、これが分裂して『二』が生まれる。対立する『二』は新しい『三』を生み出し、この第三者が万物を生み出す。  万物には『陰』と『陽』の対立する二つの局面があり、『陰』と『陽』はその中に生まれた『気』によって調和されている。  人が嫌う言葉は『孤』(孤児)、『寡』(独り者)、『不穀』(不幸)だが、王侯たちはそれを自称として使っている。  物事は常に、損は益に、あるいは益は損にと絶えず変化しているが、これが変化の法則である。私も人々が教えあっていることを教えよう。 『強固なものはろくな死に方をしない』と。これを教えの始まりとする。

【偏用43】
世の中で最も柔らかいもの(水)が、最も堅いものを制圧している。形の無い物は(岩盤のような)隙間のないもの所にも入っていけるからだ。  私はこれをもって『無為』の益を知る。『不言』の教え、『無為』の益は、天下でこれに及ぶものはない。

【立戒44】
名声と生命とでは、どちらが身近か。 生命と財産では、どちらが重要か。 得ることと、失うことではどちらが有害か。 こうしてみると、自分の体の健康を守ることが最も大切あることが分かる。  名誉や財産への愛着も度が過ぎ、惜しめば逆に多くを費やすことになる。蓄えすぎると帰って大きな損失を受ける。  満足することを知れば、辱めに合わずに済み、適当にとどめる事を知れば、危険に会わずに何時までも安全でいられる。

【洪徳45】
真に完成したものは、何か欠けているように見えるが、その働きは損なわれていない。 真に充実しているものは、中が虚ろのように見えるが、その働きはきわまる事がない。  最も真っ直ぐなものはゆがんで見え、最も器用なものは不器用に見える。最も優れた弁舌は、口下手に見える。 激しい運動をすれば冬の寒さに勝て、安静にしておれば夏の暑さに勝てる。無為で静かであれば、天下の模範になる。

【儉欲46】
天下に『道』が行われれば平和に成り、軍馬は耕作に使われる。 天下に『道』が行われず、戦乱が続けば、身ごもった母馬も狩り出され、国境の戦場で子を産むことになる。 罪は満足を知らない為政者の欲望より大きいものはなく、災は飽く事のない欲望より大きいものはない。 ゆえに、足るを知る事によって永遠に満足するのだ。

【鑒遠47】
聖人は門を出ないで、天下の事を知ることができる。窓の外を見ないで天の動きを知ることができる。 普通には遠くに行けば行くほど、知る事はいいかげんになるものだが、聖人は行かずして知り、見ずして分かり、行わないで成功するのだ。

【忘知48】
学問をすれば、日一日と知識は増える。だが『道』を修めれば、日一日と知識は減っていく。減らしに減らすと『無為』に至る。  『無為』をもって為せないものはない。天下を取るには常に無事が大切で、それを作為的に行えば、とても天下は取れない。

【任徳49】
聖人には固執した考えはない。民の意思をもって自分の意思とする。民が善と認めたものを善とするが、不善なるものも善とする。その人の心がけによって何時でも善が得られるからだ。  民が信じる人を信じるが、信じられないものも信じる。その人は心がけによって今後信を得る事ができるからだ。聖人は天下にあって、注目して見守る民の心を混沌とさせ、無知無欲の乳児のようにしてしまうのだ。

【貴生50】
人は生まれたら必ず死に向かう。長生する人は十分の三あり、早死にする人も十分の三ある。そのままなら生きていたのに、下手に動いて死ぬ人も十分の三ある。これはなぜか、生への執着があまりにも強いからだ。 かつて聞いた。『善く生を全うする人は陸地を歩いても犀や虎に会わず、戦場でも殺される事はない』と。  その人には犀も角を使えず、虎も爪を使えず、敵兵は武器を使えない。これはなぜか、彼が生に執着しないため、死の境地に入る事がないからだ。

【養徳51】
道が万物を生み出し,徳が万物を養育し、万物に形を与える。こうして万物が完成する。それゆえ万物は道を尊び、徳を重視するのだ。  道が尊敬され、徳が重視されるわけは,誰が命令したというより、昔から自然にそうなっているからだ。  こうして道が万物を生み出し、徳が万物を育て、万物を成長させ、万物に実を結ばせて成熟させ、保護するのである。  万物を生み育てながら自分の物とせず、万物を育てながら自分の力のせいだとせず、万物の頭になって彼らを支配したりしない。  これこそがもっとも深遠な『徳』なのである。

【歸元52】
天下の全てのものには皆、始まりがある。この始まりを天下の万物の根本とする。  万物の根本である母(道)を認識したからには、その子(万物)も認識できる。  万物を認識したからには、さらに根本をしっかりと守らなくてはならない。そうすれば終生危険は無い。  道を修めるには、知識や欲望の入る耳、目、鼻、口などの穴を塞ぐ。門を閉ざせば終生病は発生しない。穴を開き、知識、欲望の入るに任せれば、もはや救いようが無い。  小さな兆しを観察できる事を『明』と呼び、それに対応し柔軟さを保持する事を『強』という。  蓄えられている『光』を用いて、真の『明』に復帰すれば、身に災いは発生しない。これを『永遠の道を習熟した』という。

【益證53】
もし私に英知があり、『道』にもとずいた政治を行うとしたら、私は煩わしい政策をやたら施行しない。  大きな道は平らであるが(途中に検問所や通行税の徴収所などがあったりして)、人々は(そうしたものの無い)小道を選ぶ。  宮殿は非常に美しく清められているが、田畑は荒れ放題、民の倉庫は空っぽなのに、王侯、貴族たちは美しい着物を着て、鋭い剣を帯びている。  おいしい食べ物にも飽き、有り余る財産を保有する。まさに『非道』な話ではないか。

【修觀54】
うまく建てられたものは,揺り動かされず、うまく抱えられたものは,抜け落ちない。こうして子孫は安定し、何世代に亘って祭祀し絶える事が無い。 この原則を個人の単位で実践すれば、その徳は真になる。 家の単位で実践すれば、その徳はあまるほどになり、繁栄する。 村の単位で実践すれば,村は長く繁栄する。 国の単位で実践すれば、その国は豊かになる。 天下の単位で実践すれば、平和があまねくゆきわたる。 こうして人は個人の単位で自分を認識し、家の単位で家を認識し、村の単位で地域を認識し、国の単位で国を認識し、天下の単位で天下を認識する事が出来る。  どのようにして天下の状況を知るかは,これによって測るのである。

【玄符55】
『徳』を厚く中に秘めている人は,無知無欲の乳児と同じだ。毒虫も彼を刺さず、猛獣も彼を襲わず、猛禽も彼を攻撃しない。 彼の骨は弱く、筋肉も柔らかいが、手をしっかりと握っている。 彼は男女の交合も知らないのに、彼の性器は何時も立っているが、それは精気があふれているからだ。 彼が一日中、泣き叫んでも、声がかれる事が無いのは、彼が『和』の気を持っているからである。 『和』は平常心をもたらし、平常心を持つ事を『明晰』という。精気が増す事は喜ばしく、元気になることを剛強になると言うが、物事は剛強になると、必ず衰退に向かう。精気を増す事、元気を増す事に執着し,無理に剛強になることは『道』にかなっていない。『道』にかなっていないと必ず速やかに滅亡する。

【玄徳56】
道を知る人は言わず、言う人は道を分かっていない。 目、耳、鼻、口など(知識の入る)穴を塞ぎ、門を閉ざして鋭い切っ先を表すことなく、いろいろな世間のもつれをといて、その輝きを和らげながら、塵の中に混じっている。こういうものを『玄同』(道)という。 これを持つ人には気易く近ずけないし、遠ざかり疎んじることも出来ない。 利益を得させてもいけないし、損害をかぶらせてもいけない。むやみに彼を尊ぶこともいけないし、彼を卑しめることも出来ない。こういう人だからこそ、天下の人から尊敬されるのだ。

【淳風57】
正しい方法で国を治め、戦争では奇略を用い、無事に天下を統一する。私にどうしてその事が分かるのか、その根拠はこうである。  天下に禁令が多くなればなるほど民はますます困窮する。  民間に武器が多くなればなるほど、国家は混乱する。  技術が進めば進むほど、怪しげなものが出てくる。  法令が行き亘れば、行き亘るほど、盗賊が増える。  だから聖人は言う。『私が無為であれば、民は自ずと従順になり、私が平静を好めば、民は自ずと正しくなる。私がなにもしないと民は自ずと裕福に成り、私が無欲であれば、民は自ずと純朴になる』と。

【順化58】
政治が大まかだと、民は温厚になる。  政治が細かく厳しいと、民は不満を高める。  災禍には幸福が寄り添い、幸福には災禍が潜んでいる。  誰が終局を知っているのだろう。定まるところは無いのだ。  正常は何時でも異常になるし、善は何時でも怪しげなものに変化する。このため人が迷うのは遠い昔からだ。  こうしたわけで聖人は、正しくあっても無理をせず、厳しくあっても人を傷つけず、素直であっても無遠慮でなく、明るく輝いてもきらびやかでない。

【守道59】
人を治め、天に仕えるには『節約』の精神に勝るものは無い。  常に『節約』しているからこそ、どんな事に出会っても、それに早々と対応する準備が出来るのだ。  どんなことに出会っても、落ち着いて早々と準備が出来るのは、それは『節約』という徳が積み重ねられているからだ。 『節約』という徳が積み重ねられていると、いつでも勝利する。いつでも勝利するから、その力は計り知れない。  この計りようのない力があってこそ、国家の政治が管理できるのだ。  国の根本を大切に保てば、統治は永久に維持できるだろう。  それで言う『根を深く、しっかりと堅くすること、それが長寿の道である』と。

【居位60】
大国を治めるには、小魚を煮るように、余り箸でかき混ぜないことだ。(いたずらにいろいろな施策をしない)。 『道』を用いて(無為の精神で)天下を治めれば、精霊の鬼も力を発揮しない。 鬼が力を発揮しないのでなく、その神通力では人を害することが出来ないのだ。 いや、その神通力が人を害せないのでなく、聖人が人を害することがないため、聖人と鬼が互いに害し合うことがないのだ。 こうして聖人と鬼とは互いに『徳』を共有する。

【謙徳61】
大国はたとえれば河の下流である。天下のすべての物が行き着く所 であり、いわば天下の牝である。  牝が何時も牡に勝つのは、牝が穏やかに下にいるからだ。  大国が小国に身を低くして接すれば、小国の信頼を得る。  小国がへりくだって大国に接すれば、大国の信任を得る。  それゆえ時には大国がへりくだって小国の信頼を得、小国は時には大国にへりくだって大国の信任を得るのがよい。  大国は小国の面倒を見たいと欲しているに過ぎず、小国は大国に仕えたいと思っているだけなのだ。  それで大国も小国もともに望みが満たされるわけだが、大国はとくに上手にへりくだるべきである。

【爲道62】
道は万物の奥にあって、善人の宝物であり、悪人もまた持ちたいとするものである。  悪人がこれを持つと、口先上手に人々の尊敬を得て、にこやかな顔で人の上に立つ事が出来るからだ。しかし、たとえ悪人であっても、それを悪人だからといって捨て去ってよいものではない。  天子が即位し、補佐する大臣が決まると、天子を象徴する宝物を先頭にした四頭立ての馬車が献上される儀式が行われるが、そうしたものより、献上者は天子の前に座して『道』を勧めるだけの方が善いのだ。  昔から『道』を尊ぶゆえんは、求めるものが必ず得られ、罪のあるものも許されるといわれるでないか。だから天下の人々に尊ばれるのだ。

【恩始63】
無為とは何もしないことではなく、事態が困難になり、問題が重大にならないうちにそれを見越して人の知らない手をうっていくのである。だから何もしないように見えるのです。

【守微64】
ものごとは大事に至らない微小なあいだにうまく処理すべきです。それでこそ無為の実践が可能なのです。

【淳徳65】
「道」をりっぱに修めた昔の人は、それによって人民を聡明にしたのではなく、逆に人民を愚直にしようとしたのです。

【後己66】
大河や海が多くの川谷の王者になれるのは、これら尊ばれる川谷の下流にあるからで、それで王者になれるのだ。  これゆえ、民を治めようとすれば、まず最初に言葉でその謙虚さを示さなければならない。  民を指導しようとするなら、必ず自分を民の後ろに置かなければ成らない。  それゆえ「聖人」は民の上に立って治めても、民はその重さを感じない。民の前に立って指導しても、民の目の妨げにならない。  こうして天下の民は彼を上に戴きながら、彼を嫌う事は無いのだ。 彼は争わないので、彼と争っても勝てるものはいない。

【三寳67】
人々は私に言う。私の説く『道』は広大だが、他に似たものが無、いと。まさにそれが広大なるゆえんで、広大なるがゆえに似たものが無いのだ。  もし似たものがあれば「道」はずっと昔に、はるかに小さな物になっていたはずだ。  私には三つの宝があり、私はそれを大切にして守っている。  その宝は第一が『慈愛』、第二は『慎ましさ』、第三が『人々の先に立たない』ということだ。  慈愛があるから逆に勇敢になれ、慎ましいから逆に広く行え、天下の人と先を争わないからこそ頭になれるのだ。  だが、慈愛を捨てて勇敢のみを求め、慎ましさを捨てて広く行う事に執心し、譲る事を捨てて先を争えば、その結果は滅亡があるだけだ。  『慈愛』それを戦争に用いれば勝てるし、防衛に用いれば堅固になる。  天が人を救おうとする場合、『慈愛』で守るのだ。

【配天68】
優れた『士』は猛々しくない。よく戦うものは怒らない。よく勝つものはやたらに敵と戦わない。人をうまく用いるものは、人に対して謙虚な態度をとる。 これを『争わない徳』といい、『他人の力を用いる』といい、『天の道』にかなうという。これは昔からの規則なのだ。

【玄用69】
兵法の言葉に『戦は先に仕掛けてはいけない。守勢の立場を取り、一寸進むより、一尺退いて守れ』と。これを相手側から見れば『攻めるに敵の陣営がなく、つかんで持ち上げる敵の腕も無く、前に敵がいないから使うべき武器が無い』という。  敵の力を軽んじるより大きな災いはなく、敵の力を見くびると、先の三つの宝は失われてしまうだろう。ゆえに両軍の勢力が等しい場合には、兵の苦労を思い、先に退いた方が勝つのだ。

【知難70】
私の言葉は大変わかりやすく、大変実行しやすい。だが理解できる人は無く、実行できる人もいない。議論には主旨が必要で、ものごとを行うには主体者がいなければならない。  人々はそれを理解できないから、私の言う事を理解できない。  私の言う事を理解できる人は少ないから,私に習おうという人はほとんどいないが、それだけに,それらの人は尊いといえる。  それゆえ「聖人」は、外には粗末な着物を着ていながら、中に美玉をしのばせていると言うのだ。

【知病71】
知らざるを知ることは上等だ。知りながら、知らざるとする事は欠点である。この欠点を欠点だと気付くと、その欠点は解消する。 「聖人」には欠点が無い。彼は自分の欠点を欠点と考えるから欠点が無いのだ。

【愛己72】
民が天の権威を恐れないならば、恐ろしい天罰が下されるだろう。  自分の住むところを狭いとせず、自分の生計の道を嫌がってはならない。  自分で嫌がらないから、人から嫌がられないのだ。  聖人はただ自己を知ることのみ求めて、自分を表に出さず、自己を愛しても、自分を尊いとはしない。  だから私も自分を表わす事を捨てて、自己を知ることを取るのだ。

【任爲73】
(悪人がいた場合)あえて勇気を持ってこれを殺すか、勇気を持ってこれを殺さずに置くか、この二つは一つは利になり、一つは害になる。天が憎むのはどちらか分からない。誰も天意がどこにあるのか分からないのだ。聖人にとっても、この判断は難しい。  「天の道」は争わずして勝ち、言わずして万物の要求によく応じ、招くことなくやって来させ、ゆっくりとしながらも,うまく計画する。  天の網は広大で網目は荒いが、決して漏らす事は無い。

【制惑74】
民が死を恐れないならば、どうして死刑でもって民を脅かす事が出来るのか。 民が死を恐れるような(平和な)状態で、それでもなお不正を働く者がいるときは,そいつらを捕まえ殺す事が出来れば、誰も不正をしなくなるだろう。  死をつかさどるものは(天の命じた)死刑執行人だが、この死刑執行人に代わって人を処刑するのは、大工を真似て木を削るようなものだ。素人が大工を真似して木を削り、手を負傷しないことはありえないのだ。

【貪損75】
民が飢えるのは、お上が税を取り過ぎるからだ。だから民は飢えに苦しむ。  民を治めるのが難しいのは、すべてお上の行う政治からきている。民が自分の生命も省みず、抵抗するのは,お上が自分の生活を豊かにする事ばかり考えているからだ。だから民は自分の命を捨てても抵抗するのだ。  為政者としては、自分の生活を重んじない人の方が、自分の生活を重んじ過ぎる人よりはるかに賢明だ。

【戒強76】
人が生きている時、身体は柔軟だが、死ねば硬直する。  草木の生きている時は枝や幹は柔らかく脆いが、死ぬと枯れて堅くなる。  ゆえに堅固なものは死に、柔軟なものは生きる。  この事から軍隊は強大になれば何時か敗れ、枝も強大になれば折れる。  つまり剛強さが劣勢となり、柔軟さが優勢となるのだ。

【天道77】
天の道は弓を引いて的を射るのに似ている。的の矢が高過ぎれば、低く撃ち、低過ぎれば緩め、引き足りなければ、強く引く。  天の道は、余分を減らして不足を補う。人の場合はそうではない。足りずに苦しんでいる方から取って、余りある方に与えている。  有り余っている方を減らして、足りない方に与えることができるのは,一体誰だろうか。それは道を得た人だけだ。  聖人は万物を動かして自分の所為とせず、業が成功してもその成果に無関心で、自分の賢さをひらけかそうともしない。

【任信78】
天下には水より柔軟なものは無いが、堅強なものを攻撃する力で水に勝るものが無いのは、これに変わるものが無いからだ。  弱きが強きに勝ち、柔らかさが堅さに勝つ事は、天下の誰もが知っているが、実行できるものはいない。   ゆえに『聖人』は言う。『身を低くし,国中の屈辱を引きうけてこそ天下の王者といえる』と。  どうも正しい言葉は常識に反しているように見えるようだ。

【任契79】
大きな怨みは、どれだけ和らげても、必ず恨みが残る。これではとても『善』とは言えない。  これゆえ『聖人』は借金の証文を取っても、決して返済を厳しく要求しない。  徳のある人は、借用証書を握っているかのように落ち着き、徳なき者は税吏が税を取りたてるように,せっかちに責めたてる。『天の道』は決してえこひいきしないが、常に善人を助ける。

【獨立80】
国を小さくし、民を少なくする。  さまざまな道具はあるが、使用する事はない。 民の生命を重んじて,遠くに移り住まわせない。船や車はあるが、これに乗っていく所はない。  鎧,刀など武器はあるが、これを集めて軍隊にする事はない。   民には古代のように縄を結んで記録する方法を取らせている。  食べ物はおいしく、着るものはきれいだ。住まいも気持ちよく、皆,風俗になじんでいる。  隣国とは互いに望見する事は出来るし、鶏や犬の声も聞こえてくるが、老いて死ぬまで互いに行き来する事はない。

【顯質81】
真実の言葉は美しくなく、美しい言葉は真実でない。  善き人はうまく話せず、うまく話す人は善き人でない。  本当を知る人はひらけかさず、ひらけかす人は知っていない。  『聖人』は何も蓄えず、全ての力を人のために出し、かえって豊かになる。  『天の道』は万物に利益を与えて、害を与えることはない。   『聖人の道』は何をするにも人と争う事がない。

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東洋思想と西洋思想の違い 一考!

ブログの再構築を通して一環しているのは、日本文化の美しさや東洋思想の素晴らしさを軸にした整理です。
見直しを始めて数か月余りということもあって、内容としてはまだまだ概略の触りぐらいにしかなっていませんが、その対比を図る想定で、今後は少しずつ西洋思想に絡んだものも整理の対象として加えていきたいと考えています。

では、そもそも東洋思想と西洋思想の大きな違いとは何なのでしょう?

がっつりと大きく全体を俯瞰してみてみると、その違いとは宗教観に基づく思想観です。

そもそも東洋においては、宗教や哲学という境界線が曖昧です。
もともとそういった考え方がなく、一体となった思想体系を為し、分けて考えられてきていないといったほうが正しいのかもしれません。

他方西洋においては、宗教と哲学の境界線が明確で、神の存在を証明しようとする神学がその境界線を繋いだ上で成り立っています。
そのため、宗教が異なっても原則として一神教であり、聖書・聖典というものすら共有しているため、そこで構成される世界観すら非常に似通っているのです。
神を唯一絶体の存在とし、教義が聖書であるためその存在や立場が何一つかわらないため、そこに論理的矛盾や整合性に支障を来たしても、それを補完したり教義の矛盾を解消するために見直したり修正することが出来ません。

しかし東洋の宗教は多神教であり、神様の数だけ教義も存在しますし、教義を創始した存在を超える神すら存在し、教えもどんどん成長・進化していきます。
大別すれば仏教儒教道教がありますが、
仏教:お釈迦様という存在がありながら、その存在を超えた大日如来などの仏が数多存在する。
儒教孔子創始者としながらも、その教えは発展し数多の教義と解釈が存在する。
道教老子を基点としながらも、こちらもその教えは数多展開し変化している。
といった状況です。
こうしてみた場合、東洋には神様・仏様が数多存在しており、その数以上に教えや考え方、物事の捉え方が存在していることがわかります。
教えや考え方、物事の捉え方が数多あるということは、教義上の矛盾もその中で見直したり解釈を補完したり問題点を解消することができるということです。

そんな東洋思想に代表される禅(ZEN)や瞑想、タオイズムなどが西洋から注目されるのは必然です。
そのため、西洋思想の哲学(心理学や精神学など)や文化・芸術(小説、映画、音楽、絵画、彫刻、建築物など)に多くの影響を与えています。
一神教世界観として確立しているため、宗教としてその教義を変えることは出来ませんが、そこで抱えた矛盾や問題解決は、東洋思想のエッセンスを利用して解消しているともいえます。

こうした柔軟な東洋思想の奥は広く、壮大な宇宙観を為しています。
このサイトで東洋思想のひとつひとつを取り上げて整理していく目的は、その宇宙観をひとつに纏め上げることではなく、精神性の幅を限りなく広げるための支援に外なりません。
今後は西洋思想にもその範囲を広げながら、更にその裾野を広げていきたいと思っています。

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