知命立命 心地よい風景

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讖緯説は、国家の前途を予言するもの!その使い道とは?

讖緯(しんい)説とは中国の漢代の末から盛んになった思想で、歴史や政治上の変革を占星術や暦学の知識によって解釈し予言しようとする説です。
儒教の経典である経書に付託した予言の書の一つが緯書で、讖緯の説、讖緯思想、図讖ともいわれています。
考え方ですが、
・辛酉の年を基点として、
・干支が一巡する60年を一元、21元を一蔀(1260年)とし、
・一元毎の甲子の年、戊辰の年、辛酉の年には変革が起き(三革説といいます)
・一蔀毎に国家に大変革が訪れる
というものです。
601年(推古天皇)が辛酉の年にあたっているから、これより逆算して1260年(要は一蔀です)遡った紀元前660年をもって神武天皇の即位元年(辛酉)とし、それ以後の事件を時代にはめて歴史書としての体裁を整えたもので、後に編纂された「日本書紀」の紀年もこのとき採用した紀年法が元になっているといわれています。
平安初期・三善清行の上奏により辛酉に当たる901年を延喜と改元して後は明治時代になるまで、ほとんどの辛酉の年には歴代改元がありました。

直近の甲子の年には、下関戦争や禁門の変池田屋事件第一次世界大戦
戊辰の年には、明治維新戊辰戦争張作霖爆殺事件、済南事件
などが起きています。

甲子AD1864年 元治元年
戊辰AD1868年 明治元年
辛酉AD1921年 大正10年
甲子AD1924年 大正13年
戊辰AD1928年 昭和03年
辛酉AD1981年 昭和56年
甲子AD1984年 昭和59年
戊辰AD1988年 昭和63年
辛酉AD2041年 平成53年
甲子AD2044年 平成56年
戊辰AD2048年 平成60年

日本の次の三革の時期には、算命学の観点から見ても時代遷移地図の二順目、最後の権力期にあたりますので、ここでまた大きな国家な大変革が訪れる可能性があります。

ちなみに、日本で最初に制定された元号は大化(645年~)ですが、平成はそこから数えて247回目の改元となります。
元号四書五経の五経の字句から採用されることが多いようで、
・明治:易経の「聖人南面して天下に聴き、明にむかいて治むる」から
・大正:易経の「大いに享すに正を以てす、天の道なり」から
・昭和:書経の「百姓昭明なり、万邦を協和せしむ」から
・平成:書経の「地平らかに天成り、六府三事、允に治まる」と史記の「内平らかに外成る」から
採られているとのことです。

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呻吟語より学ぶ!修己治人。己を修め人を治む書!

儒学は”修己治人”己を修め人を治む”の学だと言われています。
つまり、人を治める立場の者はなによりもまずそういう立場にふさわしいように己を修め、自分を磨く必要があるということですね。
そういった意味では”呻吟語”は、人間とはどうあるべきか、人生をどう生きるべきかなど、われわれにとって切実な問題をさまざまな角度から解き明かしている書物です。

呻吟語”は、明の時代の陽明学者・呂坤(字は叔簡。呂新吾ともいわれますが新吾は雅号です)が30年に及ぶ長年に亘って良心の呻きから得た所の修己知人の箴言を書き記し収録した、全6巻で内篇・外篇に分かれ17章から成る自己練磨・革新と修養の哲学書です。

呻吟は嘆きうめくという意であり、呻吟語を貫く思想は以下の二つの言葉に集約されています。
【深沈厚重、安重深沈】
 深:深山のごとき人間の内容の深さ
 沈:冷静沈着で毅然としていること
 厚重:どっしりとしていて物事を修めること

17章の概略は、ざっとこのような感じです。

1章 性命篇:「第一級の人物」とはどんな人間か
2章 存心篇:もう一回り大きな人間になってみろ
3章 倫理篇:人間関係は天地の法則に則って考えよ
4章 談道篇:むずかしく考えるな、単純に考えよ
5章 修身篇:「第一級の人物」になるために何をすべきか
6章 問学篇:ほんとうに役に立つ勉強とは何か
7章 応務篇:袋小路に追い込まれたら発想を転換せよ
8章 養生篇:徳にあふれた人生を生きよ
9章 天地篇:宇宙の法則に順応して生きよ
10章 世運篇:時代変化をどう見抜けばいいのか
11章 聖賢篇:真のリーダーの思考と行動とは
12章 品藻篇:第一級の人物 その品格はどこから生まれるのか
13章 治道篇:国を治め、人を治めるリーダーの条件とは
14章 人情篇:人から信頼される人間になれ
15章 物理篇:大宇宙の心理をとことん探ってみよ
16章 広喩篇:仕事ができる人間はこんな発想をしている
17章 詞章篇:いったいどんな友人とつきあえばいいのか

では、この呻吟語を大きく6つのポイントにて整理してみることにします。

【第1 人間について
 ○道理はつねに後へ退りがち
  欲望は前へ前へと進もうとする。これに対し道理は後へ後へと退ろうとする。
  自分を錬磨しようとする者はこのことをしっかりと心に刻みこんでおかなければならない。
 ○困難な課題から先に取り組む
  まず困難な課題に取り組み、成果はあとでゆっくり楽しむ。これこそ人格を完成させ仕事を達成する第一の秘訣である。
  この方針をしっかりと肝に銘じて堅持するならば、いかように非難を浴びようとも決して動揺することはない。
  仮に一ヶ月・一年と続けても、効果はないかもしれない。
  しかし、挫けず堅持すればやがては自然に成果が期待できる。
  修行というのは段階を追って一歩づつ完成をはかり、効果があらわれてくるのをじっくりと待たねばならない。
 ○本物ほどわかりやすい
  道を深く体得している人物ほど、語る言葉、説明がわかりやすい。
  難しいことを言う人は、道を体得することが浅い。
  文章も同じで、読んでもよく意味の汲みとれない文章は、本人の理解がまだ不十分だとされても致し方ない。
 ○己を修め人を修める
  上に立つ人間は、それぞれの立場において重鎮することが必要です。
  言い換えると、以下のように表現されるようです。
   第一等の人物:その人が黙っていても何事も治まる人
   第二等の人物:あっさりしていて腹中に大きなものを養っている人
   第三等の人物:聡明で弁も立つ人
 ○男性の八つの理想的な姿
  男には八つの景色がある。
   泰山喬獄の身:泰山や高い山獄のようにどっしりと落ち着いて見えること
   海濶天空の腹:広々として海、蒼々として何の遮るものもない空のようにゆったりとした腹
   和風甘雨の色:和やかな春風、甘くてやわらかな雨のような顔色
   日照月臨の目:陽が輝き、月が照り映えているような輝きのある目
   施乾轉坤の手:天をめぐらし地を転がせるような手
   磐石砥柱の足:磐石のようにどっしりとし、砥柱の中でもきちんとたっている足
   臨深履薄の心:深渕に臨んだり、薄氷を履むときのいき届いた心
   玉潔冰清の骨:玉のように潔く、水のように清らかな骨

【第2 修養について】
 ○智愚は他なし。書を読むと書を読まざるとに在り。
 ○切れ味は内に秘める
  鋭い切れ味は、充分に磨いておかなければならないが、切れ味は内に秘めて鷹揚に構えている必要がある。
  ところが最近ではひたすら切れ味の鈍さだけを心配している。これは愚か以外のなにものでもない。
 ○過ちを指摘されたら喜べ
  自分の過ちを指摘してくれるのは、必ずしも過ちのない人だとは限らない。
  過ちのない人に過ちを指摘してほしいと願っていたのでは、一生かかっても自分の過ちを耳にする機会はない。
  相手がたとえどんな人であれ、過ちを指摘してもらえるのは、ありがたいことだと思わなければならない。
 ○重要なのは人格の完成
  広く学問を窮める。すばらしい技術を身につける。これはこれで一つの長所だと言ってよい。
  しかし、人格の形成に終わりがないのと比べれば、これらのことはある段階にまで達するとそれで終わってしまう。
  重要なのは、立派な人格の形成、これである。
  能力を身につけることに比べると、人格を磨くことは難しい。現代の日本で人格形成の面が疎かにされていやしないか?
 ○智愚・禍福・貧富・毀誉の分かれ目
  智愚の分かれ目は、本を読むか読まないかにある。
  禍福の分かれ目は、善を実行するかしないかにある。
  貧富の分かれ目は、勤勉であるかないかにある。
  毀誉の分かれ目は、思いやりがあるかないかにある。
 ○相手の人物如何は問わない
  発言を聞き行動を観察することは、相手の人物を判断するポイントである。
  発言には耳を傾けるが人物如何は問わないのは、自分を向上させるポイントである。
  そもそも相手の発言に耳を傾けるのは、自分にとってプラスになるからである。
  自分にプラスになるならば、相手の人物がどうあろうと、いっこうに構わないことを知るべきである。
 ○発言に説得力をもたせる秘訣
  発言に説得力をもたせる秘訣は、普段から人に信頼される行動をすることである。
  そうでなかったら、せっかく発言してもかえって禍のタネになる。
 ○才能や学問の使い方を誤るな
  一人前の社会人として、才能もなく学問もないというのは、褒められたことではない。
  しかし、才能もあり学問もあるというのは、逆にまた心配のタネである。
  才能や学問を身につけるのは難しいことではないが、それを使いこなすことは難しい。
  才能や学問を重視するのは、社会人として世に出るためであって、それを鼻にかけるためではない。
  社会のために役立てるためであって、人にひけらかすためではない。
  才能や学問とは剣のようなもので、それが必要とされるときには使うが、そうでなかったら鞘におさめておいて人に見せびらかさない。
  やたらに振り回せば必ず禍の原因となるので、気をつけなければならない。

【第3 処世について】
 ○世に処するには、ただ一の恕の字。
 ○仕事を処理・進める四つの重要なポイント
  一、好機と見たら、断固決断することが望まれる。弱気になってはならない。
  二、辛抱すべきときには、あくまで我慢に徹することが望まれる。腰くだけになってはならない。
  三、ものごとの処理は、思慮深く沈着であることが望まれる。浅はかであってはならない。
  四、変化への対応は、機敏であることが望まれる。手遅れになってはならない。

【第4 人品について】
 ○必要なのは実践
  実際に問題にぶつかってみないと、自分の能力などたかが知れていることに気づかない。
  問題にぶつかるたびに、知識が増え能力が磨かれていき、実践体験を積んで経験となるのである。
  実践体験に欠ける人物は、ただ理屈を説いているに過ぎず、知識も生きた智恵として働かない。
 ○どちらの道を選ぶのか
  天下が治まるかどうか、人民が生きていけるかどうか、国家が安泰であるかどうかは、われわれ指導者が天下国家のための道を選ぶのか、わが身の地位や収入を増やすだけの道を選ぶのかにかかっている。
 ○大体を知る
  人材登用の権限を握っている者は、大局的な判断力を身につけていなければならない。
  こざかしい知識で人間を評価すれば、すばらしい能力をもった人物をすべて見落としてしまう恐れがある。
  なぜか。大きな問題を処理できる者は小さな問題の処理を苦手にしているし、長期的な計画を得意にしている者は小さな才能には欠けている。
  また、重大な任務を遂行できる者は目先の対応を苦手にしている。
  さらに、頭が切れて柔軟かつ機敏な対応を得意としている人物、礼儀正しく見聞の広い人物などは、重大な危機に立たされたときにはあまり役には立たない。。
  大体を知るためのポイントは、以下の2点である。
   一、細部にとらわれない大局的な判断。
   二、一方にとらわれないバランス感覚。

【第5 治道について】
 ○不必要な介入を避ける
  政治のコツは、
   民生を安定させようと思うなら不必要な介入を避けること
   与えたいと思うなら取り立てないこと
   プラスを生みたいと思うならマイナスを出さないこと
  である。
  また、衰えた活力をよみがえらせようとするなら、流れに逆らうようなムリ押しは避けなければならない。
 ○自然の流れを誘導すること
  人間には五つの性情があるが、これらはみな自分にとってプラスになることから生じてくる。
  一、利益を見ると飛びつく。
  二、美人を見ると愛情を抱く。
  三、飲食を見ると貪る。
  四、安逸を見ると身を置く。
  五、愚者や弱者を見ると欺く。
  プラスになれば、あえて上達しようとしなくても自然に上達するが、悪事にしても増やそうとしなくても自然に増える。
  プラスになることを禁止するのと、プラスにならないことを強制するのとは、難しさの点で同じである。
  何事も自然の流れに逆らってもうまくいかないため、自然の流れを見極めながらうまく誘導することが政治のコツである。
 ○生かすために殺す
  聖人が人を処罰するのは、処罰そのものをなくすことが狙いであった。
  それゆえ、処罰すべきときには断固処罰し、あえて姑息な手段を弄さなかった。
  結果、ごくわずかな人間を処罰しただけで、大勢の人間を活かすことができたのである。
  ところが後世では、処罰をためらうようになった結果、逆にますます処罰を増やしている。
  ごくわずかな人間を処罰するに忍びず、その結果として天下に悪をはびこらせている。
  つまり、処罰すべき人間を放置したままにすることによって、関係ないものまでが大勢処罰される羽目に陥っている。
  後世の人民が大勢処罰に処せられるのは、上に立つ者の小さな思いやりが仇となっている結果である。
  上に立つ者には”仁”(思いやりの心)がなければならないが、小さな仁では余計に政治の根幹を歪めてしまう。
 ○一人の失敗に懲りて
  偶然の事件に触発されて変更のできない法律をつくり、一人の失敗に懲りて天下の人々を苦しめる。
  これ以上おかしな法律はない。
  ”羮に懲りて膾を吹く”ともいう。
  政治のバランス感覚が問われるのは、こういう問題に対応するときである。
 ○法律が多くなると
  礼儀も規定が煩くなると、却って実行され難くなり、ついには捨てて顧みられなくなる。
  法律もやたら数が多くなると、却って破られやすくなり、法破りの重罪ばかり増えてくる。
  ”天下に忌諱多くして、民いよいよ貧し。法物ますます章かにして、盗賊あること多し”(老子
 ○極点に達すると反動がくる
  暑さが退こうとするときには、一瞬かっと熱くなる。
  夜がまさに明けようとするときには、一瞬すっと暗くなる。
  球を勢いよく壁に投げつけると、ぽんと手もとにはね返ってくる。
  このように、物事は極点にまで達すると必ず反動が起こし、そこまで達しなければ反動は起こらない。
  愚者は、極点に達したことを喜ぶが、智者はむしろその反動を恐れる。
  従って、天下の乱れが極点に達するのは好ましいことである。
  泰平が極点に達した状態こそ、むしろ恐れるべきである。
 ○進言のコツ
  上級者に進言する場合に、難しいことが四つある。
   一、相手を知ること。
   二、自分をわきまえること。
   三、問題を把握すること。
   四、時期を誤らないこと。
  このうちの一つでも欠けていたのでは、成功しない。

【第6 人情について】
 ○批判には余地を残す
  人を批判する場合には、相手に5割の過ちがあっても、批判はそのうちの3,4割程度にしたほうがよい。
  そうすれば、相手も恐れ入って素直に耳を傾け、つまらぬ弁解もしないであろう。
  もし5割をそのままで批判すれば、こちらの度量の狭さをさらけ出すばかりか、相手を救う目的も達することができない。
  更に、それ以上の批判をしたならば、相手に弁解の口実を与えることになる。
  相手は、想定を超えたことによって元々の5割のことまで含めて弁解するし、批判した方も結果5割のことまで無効にしてしまう。
  厳しさが過ぎると必ず反発が起こるので、人を批判する場合にはこのことをくれぐれも戒めなければならない。
  批判に際しては、余地を留める配慮が望まれる。
 ○相手の立場になって考えてやる
  相手に思いやりを示すのに、六つの場合がある。
   一、見識がまだ不十分だったのではないか。
   二、見聞したことが、実情とズレていたのではないか。
   三、力量が足りなかったのではないか。
   四、心に何か人知れぬ悩みがあったのではないか。
   五、どこかに気持ちのゆるみがあったのではないか。
   六、何か別の考えをもっていたのではないか。
  この六つの思いやりを優先させ、それでも相手が言うことを聞かず、教えても態度を改めなかったら、初めて処罰する。
  上に立つ者は、相手を責める前に教えることを優先させ、相手を怒る前に理解することを優先させることを基本的な心構えとしなければならない。
 ○相手の能力を引き出す
  象は大量の水を飲み干せるが、鳥はわずか数滴の水しか飲むことができない。それで象も鳥も腹一杯に飲んでいる。
  牛や馬は大量の荷物を引くことができるが、蟻はわずかな量しか運ぶことができない。それで牛馬も蟻も全力を尽くしている。
  人を使う場合には、相手がそれぞれの長所を発揮できるように仕向け、、決して同じような実績を期待してはいけない。
  人間の能力には違いがあるので、人材の育成時にも同じ型に嵌め込むんではなく、それぞれの能力を引き出す配慮が望まれる。
 ○譲れば争いは起こらない
  二つの物がぶつかれば、必ず音を立てて壊れる。
  二人の人間が交われば、必ず争いが起こる。
  音を立てて壊れるのは、両方とも固いからであり、両方とも柔らかいなら、音も立たず壊れることもない。
  また、一方が固くても他方が柔らかいなら、やはり音も立たず壊れることもない。
  争いが起こるのも同じではないか。
  双方とも譲るなら争いは起こらないし、一方が欲深でも他方が譲るならこれまた争いは起こらない。
  それよりもさらに望ましいのは、柔らかいほうが固いほうを軟化させ、譲ったほうが欲深い相手を感化させることである。

こうした分類を元に、呻吟語のエッセンスを抽出してみることにします。

まずは、人として持つべき人格について、その形成の方法と心身の鍛錬法における心得です。

【人生の心得八カ条】
1.奮始怠終は修業の賊なり
 初心を最後まで貫徹する。

2.躁心浮気は蓄徳の賊なり
 やろうと思ったら集中せよ。

3.疾言厲色は処衆の賊なり
 憎しみ、怒りの心を捨てよ。

4.大事・難事には担当を看る
 大きな難題に立向かう時、真の能力が表れる。

5.逆境・順境には襟度を看る
 人生の順調、不調の時こそ、真の人格が表れる。

6.臨喜・臨怒には涵養を看る
 喜びや怒りの感情は思いのまま表しても、その心の奥は感情に囚われない。

7.群行・群止には識見を看る
 組織による行動、個人の行動には判断力が問われる。

8.精神爽奮すれば則ち百廃倶に興おこる。肢体怠弛すれば則ち百興倶に廃すたる
 ”やるぞ! ”と気持ちを切り替えよ。

次は、道を志すものが持つべき七つの見識についてです。

【人生に必要な七つの見識】
1.人情の識 - 感情と知性の調和
 人情の本義は「人間として自然に備わっている心の動き」のことである。
 人は単なる知性の存在ではなく複雑な感情・人情を保有しているため、その感情の本質を理解することが「人情の識」である。
 これには人生経験を積む必要があるが、人情という感情と知性をどのように調和させるかが大事であり、そこから生きる知恵が生まれる。
 人情と長幼の序は決して相反するものではなく、人間知の有効活用に資するものがある。

2.物理の識 - 現象に対応する知恵
 物理とは、物事の理のこと、物事の本質の理を知ることである。
 人が加えた歪みを見抜き、本質に迫る識見であり肝腎な識である。
 寒暑の自然を逆らわず受容して生命力を発展させるのが修行である。

3.事体の識 - 本質の把握
 物事の本質を洞察する識であり、表面現象ではなくその深奥にある本体の把握である。
 その現象が依拠する本質の把握であるため洞察力が肝要で、さもないと表面現象に右往左往し惑わされてしまう。

4.事勢の識 - 変化を見抜く思索
 物事は必ず変化し、エネルギーがあり、固定不動は有り得ない。
 それは機械的、論理的に動かない、微妙なエネルギーの動きを的確にとらえる洞察見識である。

5.事変の識 - 変化の方向性把握
 物事のエネルギーがどう変化し、どの方向に向かうのかを的確に把握する、事変の識である。
 法則性のない中で深い見識と洞察力の識である。

6.精細の識 - 部分精査
 変化する事変に内在するエネルギーがどう動くか、部分現象から方向性を詳細に精細に知る識である。
 大胆な全体像の中からこれまた見抜く識の涵養が必要である。

7.潤大の識 - 全体把握
 潤大とは広く大きいこと。精細な見識を持ちながら部分や末節に拘泥せず、広く全貌を把握する識である。
 変化するエネルギーとその方向性を認識しつつ、大勢を把握し決断して行動することが肝要であり貴い。

次は、行動する人の基本的な心得についてです。

【難関を突破する行動力】
◎四つの難
 人に真実を認識する見識を伝えるには4つの難関があり、それをクリアすることである。
1.人を審(つまびら)かにする。
 、多彩な知識があったとしても、相手をよく見て伝えかねればならぬ。
2.己を審かにする。
 自分はどういう人間であるかということを知っておくことが必要。
 耳学問で己に似つかわしくない放言をしてみたところで、相手に通じるはずはない。
3.事を審かにする。
 事を内容をしっかり取られること
4.時を審かにする。
 何事にも時、時機というものがあって、それを逸するとかえって害をおよぼすことがある。

この四つのうち一つでも、はっきりできなければ、事はかならず成功しない。

◎明白簡易
 事を行うには、明白簡易の四字を実行しなければならない。
 つまり、誰が見てもわかりやすく問題の道筋を整理し、提示することである。
 それによって、問題の所在や解決の方向性が的確に把握でき、速やかに対応することができる。

ざっとこんなところでしょうか。
呻吟語を読むことで、直面する問題についての多くの示唆を汲みとる手助けとなるやにしれません。
この中のひとつでもいいので、あなたの助けになれば、と思います。

以下、呻吟語原文の一部を参考として添付しておきます。

■ 深沈重厚なるは是れ第一等の資質、磊落豪雄なるは是れ第二等の資質、聡明才弁なるは是れ第三等の資質。
■ 此の心は、虚なるを貴ぶ。
■ 心は、従容自在にして有無の間に活発ならんことを要す。
■ 怨む可く・怒る可く・弁ず可く・訴ふ可く・喜ぶ可く・愕く可きの際に當りて、其気甚だ平かなるは、これは是れ多大の涵養なり。
■ 胸中只だ一の恋の字を擺脱すれば、便ち十分に爽浄、十分に自在なり。
■ 躁心・浮気・浅衷・狭量、此八字は徳に進む者の大忌なり、此八字を去るには静を主とす。
■ 寧耐は是れ事を思ふ第一の法なり、安祥は是れ事を処する第一の法なり、謙退は是れ身を保つ第一の法なり、涵容は是れ人を処する第一の法なり、富貴・貧賤・死生・常変を度外に置くは是れ心を養ふ第一の法なり。
■ 我心を去らんことを要せば、須らく時々に這この念頭は是れ天地万物たるか、是れ我たるかを省察せんことを要すべし。
■ 疑を蓄たくわふる者は真知を乱り、思を過ごす者は正贋に迷ふ。
■ 心は何を以って存する、曰く、只だ静を主とするに在り、只だ静にし了れば千酬萬応都て道理の上に在り、事々錯あやまらず。
■ 軽薄の心を脱し尽くせば、便ち天徳に達す可し。
■ 悪を悪にくむこと太はなはだ厳しきは便ち是れ一に悪なり、善を楽しむこと甚だ亟すみやかなるは便ち是れ一の善なり。
■ 豆を種ううれば其苗は必ず豆なり、瓜を種ううれば其苗は必ず瓜なり。
■ 情連なり志通ずれば、則ち万里の外も猶ほ堂を同じくし、門を共にして肩を比べ榻しじを一にするが如きなり。
■ 隔の一字は人情の大患なり、故に君臣・父子・夫婦・朋友・上下の交わりには務めて隔を去る。此字去らずして、而も怨み叛かざる者は未だ之れ有らざるなり。
■ 子弟、富貴の家に生まれたるは、十の九は驕惰きょうだ淫?いんいつ多く、大いに長進せず。
■ 言を慎むの地は、惟これ家庭を要かなめと為す。
■ 閨門の中(家庭内)、此の礼の字を少かき了をはれば、身亡ほろび家破るること皆此れより起る。
■ 曲木は縄たださるるを悪にくみ、頑石は攻めらるるを悪にくむ、善を責むるの言は慎まざる可らざるなり。
■ 道は是れ第一等、徳は是れ第二等、功は是れ第三等、名は是れ第四等。
■ 世の欲を悪あくは窮り無く、人の精力は限かぎり有り、限かぎり有るを以って窮り無きと闘へば則ち物の人に勝つこと、啻ただに千万のみならず、之を奈何ぞ病み且つ死せざらんや。
■ 天下の治と乱は、只だ相責めるか各々尽すかの四字にあり。
■ 生成は天の道心、災害は天の人心なり、道心は人の生成、人心は人の災害なり。
■ 大事・難事には擔たん当とうを看、逆境・順境には襟度きんどを看、喜に臨み怒に臨みては涵養を看、羣ぐん行こう・羣止ぐんしには識見を看みる。
■ 其心を大にして天下の物を容れ、其心を虚しくして天下の善を受け、其心を平かにして天下の事を論じ、其心を潜めて天下の理を観、其心を定めて天下の変に応ず。
■ 我得れば人必ず失ひ、我利あれば人必ず害あり、我栄あれば人必ず辱あり、我美名あれば人必ず婢色有り。
■ 心は愈々操れば愈々精明に、身は愈々労すれば愈々強健なり、但だ自おのづから過ぐ可からざるのみ。
■ 君子は、自ら知り自ら信ずるを貴ぶ。
■ 智愚は書を読むと書を読まざるとに在り、禍福は善を為すと善を為さざるとに在り、貧富は勤倹なると勤倹ならざるとに在り、毀誉は仁恕なると仁恕ならざるとに在り。
■ 恭敬謙謹は有心の善なり、狎侮傲凌は有心の悪なり。
■ 自ら是とし自ら私するは己の為にするに似たり、其の実は己を害すること更に甚だし。
■ 万物は、足るを知るに安く、厭あく無きに死す。
■ 我を毀るの言は聞く可し、我を毀るの人は必ずしも問はざるなり、我聞きて之を改めば是れ又一の業を受けざるの師を得るなり。
■ 精明は世の畏るる所なり、而るに之を暴あらはす、才能は世の妬む所なり、而るに之を市うる、没せざるかな。
■ 蝸かたつむりは涎よだれを以って覓もとめられ、蝉は聲を以って黏もちせられ、蛍は光を以って獲らる、故に身を愛する者は赫々かくかくの名を貴ばず。
■ 大いに相反する者は大いに相似たり、此れ理勢の自然なり、故に怒極まれば則ち笑ひ、喜極まれば則ち悲しむ。
■ 智者は、命と闘はず、法と闘はず、理と闘はず、勢と闘はず。
■ 富めるは能く施すを以って徳と為し、貧しきは求むる無きを以って徳と為し、貴きは人に下るを以って徳と為し、賤しきは勢を忘るるを以って徳と為す。
■ 其の善有りて彰はす者は、必ず其の悪有りて?おほう者なり。
■ 其の悪を悪むこと厳ならざる者は必ず己に悪有る者なり、其の善を好むこと亟すみやかならざる者は必ず己に善無き者なり。
■ 懶散らんさんの二字は、身を立つるの賊なり。
■ 物は全盛を忌み、事は全美を忌み、人は全名を忌む。
■ 人の過あやまちを聞くを喜ばんよりは己の過あやまちを聞くを喜ぶに若かず、己の善を道いふを楽しまんよりは人の善を道いふを楽しむに若かず。
■ 君子天道を論ずるには禍福を言はず、人を論ずるには利害を言はず、吾が性分の当に為すべきよりの外は皆心を庸もちひず。
■ 過寛は人を殺し、過美は身を殺す。
■ 我心を去り了れば、便ち是れ天清く地寧き世界なり。
■ 悟とは吾が心なり、能く吾が心を見れば便ち是れ真の悟なり。
■ 天は是れ我の天、物は是れ我の物なり、至誠の通ずる所感格せざる無し。
■ 君子は其の知る可きを知り、其の知る可からざるを知らず。
■ 学問は、心を澄ますを以って大根本と為し、口を慎むを以って大節目と為す。
■ 天地万物は其情一毫も吾が身と相干渉せざる無く、其理一毫も吾が身と相発明せざる無し。
■ 才学を貴ぶは、以って身を成すなり、以って世を済すくふなり、以って人に夸ほこるに非ざるなり。
■ 学問の要訣は只だ八箇の字有り、徳性を涵養し気質を変化す。
■ 我を除き了らざれば、学問と算し得ず。
■ 任じ難きの事に任ずるには力有りて而も気無からんことを要す、処し難きの人を処するには知る有りて而も言ふ無からんことを要す。
■ 世に処し人を処するには、言を察し色を観、徳を度り力を量る。
■ 一葉を観て樹の死生を知る、一面を観て人の病むか否かを知る、一言を観て識の是非を知る、一事を観て心の邪正を知る。
■ 天下の事を善くするには、亦通ずる者が権に当るに在るのみ。
■ 天下の事を処するには、前面に常に一分を長くし出す、此れを之れ豫よと謂ふ、後面に常に一分を餘し出す、此れを之れ裕ゆうと謂ふ。
■ 禍福の先と為る可からず。
■ 義に臨みては利害を計ること莫かれ、人を論ずるには成敗を計ること莫かれ。
■ 明白簡易、之を行ひて身を終ふ可し。
■ 勢いきおひは、智者の藉よりて以って功を成す所、愚者の逆さからひて以って敗を取る所のものなり。
■ 功なる者は、気化の賊なり、万物の禍なり、心術の蠹となり、財用の災なり、君子は貴ばず。
■ 人我を信ぜずば之を弁ずとも何の益あらん、人若し我を信ぜば何ぞ弁ずるを事とせん。
■ 人を処し・己を処し・事を処するには、都すべて餘あまり有らんことを要す餘あまり無ければ便ち救性無し。
■ 需まつに当りては久しきを厭ふこと莫かれ、久しき時と得る時と相あひ隣となりす。
■ 餘あまり有るは、事に当るの妙道なり。
■ 天下の事は意外に在るもの常に多し、衆人は眼前に事無きことを見得れば都て心を放下す、明哲の士は只だ意外に在りて工夫を做す、故に毎に万全にして後の憂い無し。
■ 君子は、才無きを之れ患ふるに非ず、善く才を用ひざるを患ふるのみ、故に惟だ有徳者のみ能く才を用ふ。
■ 識見無きの人は與ともに説話し難し、偏りたる識見の人は更に與ともに説話し難し。
■ 方厳なるは、是れ人を処する大病痛なり。
■ 天下後世の事を謀るには、最も草々にす可からず、当に深く思ひ遠く慮るべし。
■ 天下の事は、勢に乗じ時を待たんことを要す。
■ 飯は嚼かまずして就ち嚥のむこと休なかれ、路は看ずして就ち走ること休なかれ、人は擇ばずして就ち交はること休なかれ、話は想はずして就ち説くこと休なかれ、事は思はずして就ち做すこと休なかれ。
■ 前面の千里を見るには、背後の一寸を見るに若かず。
■ 誉既に汝に帰せば毀は将た安んぞ辞せん、利既に汝に帰せば害は将た安んぞ辞せん、功既に汝に帰せば罪は将た安んぞ辞せん。
■ 上士は意を会す、故に人を体するや意を以ってし、人を観るや亦意を以ってす。
■ 毀るを聞きて怒るは只だ是れ量廣からざるなり、真の善悪は我に在り、毀誉は我に於て分毫の相あひ干あづかる無し。
■ 大事に当るには、心神定まり心気足らんことを要す。
■ 富貴は家の災なり、才能は身の殃わざわひなり、聲名は謗の媒なかだちなり、歓楽は悲の藉しきものなり、故に惟だ順境に処するを難しと為す。
■ 錯あやまる処有れば更に宜しく鎮定すべし、忙乱す可からず、一たび忙乱すれば則ち相因りて錯あやまる者窮り無し。
■ 柔は剛に勝ち、訥は弁を止め、譲は争を?はぢしめ、謙は傲を伏す。
■ 易きを忽ゆるがせにすれば、則ち難きを失ふ。
■ 過ぎて人を責望するは、身を亡ぼすの念なり。
■ 時を識るは易く、勢を識るは難し。
■ 人をして畏る可からしむれば未だ之を悪にくまざる者有らず、悪にくみは毀そしりを生ず、人をして親しむ可からしむれば未だ之を愛せざる者有らず、愛は誉ほまれを生ず。
■ 視聴言動思は常に閉ぢて而して時に啓ひらくこの五閉は、生を養ひ徳を養ふの道なり。
■ 極まらざれば則ち離れず合はず、極まれば則ち必ず離れ必ず合ふ。
■ 陽極まらざれば則ち陰を生ずる能はず、陰極まらざれば則ち陽を生ずる能はず。
■ 終をはりの極きわみは始はじめと接し、困の極きわみは亨と接す。
■ 上才は為して而も為さず、中才は只だ為す有るを見る、下才は一も為す所無し。
■ 根本無きの気節は酒漢が人を毆うつが如し、酔へる時は勇なれども醒むる時は索然として分毫の気力無し。
■ 激するを以って直と為し浅きを以って誠と為すは、皆賢者の過なり。
■ 聖人は道徳を以って功名と為す者なり、賢人は功名を以って功名と為す者なり、衆人は富貴を以って功名と為す者なり。
■ 其の処することの未だ必ずしも当らざる者は必ず其の思ふことの精くわしからざる者なり、其の思ふことの精くわしからざる者は必ず其の心の切ならざる者なり。
■ 勢いきおひは、時有りて窮す。
■ 君主憂ふれば則ち天下楽しみ、君主楽しめば則ち天下憂ふ。
■ 善く威を用ふる者は軽々しく怒らず、善く恩を用ふる者は妄りに施さず。
■ 上に居るの患は、功無きを賞し罪あるを赦すよりも大なるは莫し。
■ 民を足らすは、王政の大本なり。
■ 書を印するには先づ個の印板の真ならんことを要す、陶を為つくるには先づ模も子しの好よからんことを要す、邪官を以って邪官を挙げ俗士を以って俗士を取らば国治まらんことを欲すとも得んや。
■ 賢人は只だ是れ一味、聖人は五味を備ふ。
■ 恩恵は当に餘あまり有らしむべく、威刑は窮む可からざるなり。
■ 権の在る所は、利の帰する所なり。
■ 任とは任まかするなり、其便宜に聴まかせて信任して成せいを責むるなり、若し牽制束縛すれば任に非ず。
■ 凡そ戦の道は、生を貪る者は死し、死を忘るる者は生き、勝に狃なるる者は敗れ、敗を恥づる者は勝つ。
■ 礼繁ければ則ち行はれ難く、法繁ければ則ち犯され易い。
■ 民に廉恥の心少きは上の徳の乏しきことを知るを得べく、民に敬畏の念少きは上の威光の薄きことを知るを得べし。
■ 天の君を立つるは、以って民の為めにするなり。
■ 専欲は為り難く、衆怒は犯し難し。
■ 天の将に旦あけんとするや先づ晦し、物極まれば則ち反る、極まらざれば則ち反らざるなり。
■ 窮寇は追ふ可からざるなり、遁辞は攻む可からざるなり、貧民は威おどす可からざるなり。
■ 天下動乱して多事なる時は、君子の真実なる情態を明かに知り得べし。
■ 善く世に処する者は、人の自然の情を得んことを要す。
■ 礼重ければ法軽く、礼厳なれば法恕なり。
■ 多事の秋ときに当りて、才無きの君子を用ふるは才有るの小人を用ふるに如かず。
■ 福は禍無きよりも大なるは莫し、禍は福を求むるよりも大なるは莫し。
■ 天下国家・身の敗亡するは、積漸の二字を出でず、積の微・漸の始は為めに寒心す可きかな。
■ 火の大いに灼もゆるものは烟けむり無し、水の順流するものは聲無し、人の情平かなるものは語無し。
■ 水の千流萬派は一源に始まる、木の千枝萬葉は一本に出づ、人の千酬萬応は一心に発す、身の千病萬症は一臓に根ざす、故に病は一を治めて而して千萬皆除かれ、政は一を埋めて而して千萬皆挙がる。
■ 萬事必ず故有り、萬事に応ずるに必ず其故を求む。
■ 鏡は空にして我相がそう無し、故に物を照らすこと分毫を爽たがへず。
■ 小人を処するは、遠ざけず近づけざるの間に在り。
■ 上等の手段は賊を用ふ、其次は賊を拏とらふ、其次は賊を躱た着して走る。
■ 極まれば必ず反るは、自然の勢なり。
■ 人身、内堅くして外密ならば、何の外咸か能く入らん。
■ 君子を用ふるは其才に当るに在り、小人を用ふるは其毒を制するに在り。
■ 政を為すには、門察を以って第一の要と為す。
■ 民風を変ずるは易く士風を変ずるは難し、士風を変ずるは易く仕風を変ずるは難し、仕風変ずれば天下治まる。
■ 水は以って苗を潤す、水多ければ則ち苗腐る、治を為すに一に寛なるは民の福に非ざるなり。
■ 人格者は、発言や行動の前に熟慮する!
■ 道を得ることの深き者(その道を極めている人)にして然る後に能く浅言す(話が端的で分かり易い)、深言する者(難しく話す人)は道を得ることの浅き者(その道を極めていない者)なり。
■ 疾言厲色(きつい言葉で血相を変えて怒鳴りつける)は、衆を処するの賊なり(周囲の人が付いてこない)。
■ 言を察し色を観、徳を度り力を量る、この八字は世に処し人を処するに一時も少き得ざる底なり(相手の言葉の真意を掴み、表情から心の内を読み、相手の徳性の有無を掴み力量を推察する、世間を渡り人に接する上でこれらは欠くことの出来ないものである)。
■ 明哲の士(明敏な人)は、ただ意外に在りて工夫を伽す、故に毎に万全にして後の憂い無し(常に変化に備えて構えているため何が起きても後顧に憂いを残すことは無い)

■ 事あらかじめすれば則ち立つ(あらゆることは準備次第で上手く行く)。
■ 事に当たらざれば、自家の才を済さざるを知らず(物事を始めてみなければ、自分の才能の未熟さは分からない)。

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歴史や古典から学ぶこと!103年前・72年前から日本の未来を見据えてみよう!

今年は第一次世界大戦から103年、敗戦から72年という時期にあたり、私達は改めて歴史から学ぶことが肝要です。
戦後の歴史教育では、しっかりと近代史に踏み込まず、昭和の敗戦とは何か?どういったものなのか?本当に何が起きていたのか?なぜ起きたのか?を考えないまま、にここまで至っています。
今回は、そうしたことに少し触れてみたいと思います。

まず、何故日本が第一次世界大戦に参戦していったのか?を私達は良く知りません。

1914年という時期は、明治維新から60年弱の年月を経て、維新動乱の激動を生きた世代が(当時の寿命を考えると)ほとんどいなくなってしまっている時期でした。
当時は日露戦争勝利して10年ほどが経過しており、日本が世界とあたかも対等な立場であるかのような認識の下に、その熱の真っ只中にあった時期です。
そして、戦争の痛みを肌でわかっている世代がいない中、サラエボ事件に端を発する欧州の混乱に乗じ、日本が戦争という道具で海外(特に欧州)に打って出ようと画策したことは、当時の日本の勢いを考えてもおそらく間違いないでしょう。
当時はまさにイギリスと同盟(日英同盟)を結んでいたことから、日本はその大義名分の下に集団的自衛権の発動を行い、ドイツに宣戦布告した訳です。
当時、どこの国も日本が参戦することなど望んでいなかったと思われますが、中国にあるドイツの植民地奪回という名目のために、日本が自ら戦争に参戦していった訳です。

第一次世界大戦とはまさに、オスマン、ロシア、ドイツ、オーストリアハンガリーといった帝国主義が終焉を迎えた転機となった出来事。
世界の流れは、帝国主義が斜陽化し、植民地化政策から次の新たな時代への転換点に移ろうとしていた時期ですが、日本だけはこうした世界情勢や流れを理解できていないまま、時代に逆行するように帝国主義・植民地化主義に突き進んでいったのです。
国際社会での立ち位置というものが見えておらず、国益だけを主張するばかりでは、何の成果も出てきません。
もしも、当時の日本がその流れを読み、世界秩序の変遷の流れに乗ることができていたなら、もしかすると世界をリードするような立場にも成りえたかもしれません。
ましてや、勝つ見込みのない太平洋戦争を引き起こして敗戦という結末に至るようなことにはなかったと思えるのです。
これは、当時の政治をリードする人物、日本を世界の舞台のリーダーへと引っ張る人物の不在が国を傾かせてしまった、歴史から見た紛れもない事実だと思えるのです。

そして今の日本は、戦後生まれの団塊世代が高齢者の年代に入っており、戦後72年ということで、太平洋戦争を体験した人が希少となっている、戦争を知らない年代。
戦争を直視しておらず、その悲惨な影は知っていても、身をもって体験した世代が消えてしまっている今、まさに第一次世界大戦や太平洋戦争と同じような歴史の過ちを繰り返すのではないか、と危惧されるのです。

どうですか、この歴史の状況は、時期的にまさに今の日本や中国から見た、今後の未来を示唆しているとは思えませんか?
100年前の日本の状況が、またこの時代にも再来しないか、その萌芽が見え隠れしていませんか?

現代に抱えている課題を見極め、歴史や古典に学ぶことから、同じ過ちを繰り返さないことが肝要です。
私がこのブログで、古典から学ぶきっかけを少しずつ切り出しているのも、その一環。
来年に向けて、もう少しアジア地域の未来について、精神練磨してしっかりと見つめ直す時期に来ています。
私達ひとりひとりが、きちんと考える力を付けることから、始めて参りましょう。

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酔古堂剣掃より学ぶ!悠々たる人の生き方!

徳川時代から明治・大正を中心に広く普及し、多くの文人墨家が愛読したものとして『菜根譚』よりずっと内容が豊富で面白いとまで言われていた『酔古堂剣掃』。
国内では昭和53年から数回増版され、平成元年までは細々と出版された後、今ではほぼ絶版状態になっているような状態です。
今のように先行きが不安な時代だからこそ、こうした佳書はもっと多くの人に読まれるようになってほしいと思い、整理してみることにしました。

『酔古堂剣掃』は、中国・明朝末の教養人・陸紹珩(字は湘客)が長年愛読した儒仏道の古典である史記漢書などの中から会心の名言・嘉句を抜粋し、収録した読書録です。
特徴としては、『菜根譚』と同様に自然の描写と観察が豊富で優れており、世の名利から距離を置いた悠々たる人の生き方を活写した風雅の書といわれています。

原本は十二巻で成り立っており、一巻毎に片言隻句の内容が分類された構成となっています。
第一巻:醒(せい)…心を醒まさせる句を載せるとする。
  世情が乱れると、人は酔ったように正気ではなくなってしまいます。まさに今の時代ですね。
  そこで、本来の人間らしい生活をするには活眼を開くしかないですよ、目を醒ましましょう!という警鐘を、一番最初の巻としています。
第二巻:情(じょう)…情味のある句を載せるとする。
  目を醒ましても、冷めるのでは理屈っぽかったり意地っ張りな傾向に陥るので、人情味を持ち合わせて大切にしましょう、ということです。
第三巻:峭(しょう)…聳然とした句を載せるとする。
  峭は山の険しい形を表しており、情に流されるだけではだらしなくなってしまうので、このままではいけない、奮起するところから始めよう、と繋げている訳です。
第四巻:霊(れい)…魂の句を載せるとする。
  奮起するにしても、目的もなく暴走するのではなく、魂・志を持ちあわせましょう、ということです。
第五巻:素(そ)…素朴な句を載せるとする。
  感覚や感情だけで突き進むのではなく、平素・平常の心で自然体でいきましょう、ということです。
第六巻:景(けい)…景色の句を載せるとする。
  ここまでくると、ようやくいろんな景色が見えてくるので、その景色を楽しみましょう、ということです。
第七巻:韻(いん)…韻律のある句を載せるとする。
  そんな景色も平凡・単調ではなく、春夏秋冬それぞれにいろいろなリズム・韻律が生まれてくる、ということです。
第八巻:奇(き)…奇抜な句を載せるとする。
  景色に韻律が加わると、平凡ではなくなる、要は奇抜になってこなければならない、ということです。
第九巻:綺(き)…煌びやかな句を載せるとする。
  ではどうずればよいか、それには風情やロマンを持たせる必要がある、ということです。
第十巻:豪(ごう)…豪邁な句を載せるとする。
  こうした風情も、線が細くなると退廃してしまうので線を太くする、つまりは気魄を優れたものにする、ということです。
第十一巻:法(ほう)…締めくくり(法)のある句を載せるとする。
  こうした豪も、豪邁・気性が強くなり、常軌を逸して型破りなことをしがちになるので、法に則りましょう、ということです。
第十二巻:倩(せん)…大丈夫の句を載せるとする。
  そういたことから、立派な人になりましょう、ということで締めくくります。

内容は、「足るを知る虚無観」「好煩悩と百忍百耐」「生活・自然・風流」「山居・幽居の楽しみ」などから自然と共生して生きる喜びを味わえと訴えている、人格よりも経済力を、過程よりも結果を重視しがちな現代人に対する警鐘の書ともいえる内容です。

そんな『酔古堂剣掃』から、幾つかピックアックしてみます。
後半は、徐々に飲みたくなるような名言・嘉句を並べてみました。

”志は高華なるを要し、趣は淡白ならんことを要す”
志は高く掲げ、でも感情に荒ぶることなく穏やかでいよう、ということです。

”眼裡、点の灰塵なくして方に書千巻を読むべし。 胸中、些の渣滓なくして纔に能く世に処すること一番す”
眼中に一点の曇りもなくなってこそ、本当の読書・学問ができる。
胸中に一切のかすを無くして明朗闊達であって、初めて世に処していける、ということです。

士大夫、三日書を読まざれば、則ち理義胸中に交らず。 便ち覚ゆ、面目憎むべく、語言味無きを”
三日も書を読まなければ、哲学が胸中より離れ、面構えや認証が悪くなり、言葉も味が無いような気がする。

”書を読みて倦む時、須らく剣を看るべし。英発の気、磨せず。文を作りて苦しむの際、詩を謌うべし。鬱結の懐、随いて暢ぶ”
書物を読んで疲れたときは、ぜひ刀を看るがよい。発する気が消磨していないことがわかるからである。
文章を作って苦しむときは、詩を吟ずるがよい。むすぼれた懐いが次第に暢やかになるからである。

”友に交はるには、すべからく三分の侠気を帯ぶべく、人と作るには要ず一点の素心を存すべし。”
友人と交わるには必ず三分の侠気を帯び、人間たるには一点の純真な心を保つべきである。

”人情に近からざれば世を挙げて皆畏途なり。物情を察せざれば一生倶(とも)に夢境なり”
人情を得ない、人情がピッタリ来ないと世を挙げて、人の世の中は実に怖い・警戒しなければならない。
人情に近くない、人情に反するとなると世の中は難しい。
物事がいかにあるべきかという実情を察しないと、人間の一生とは何だかわからない夢のようなもの。
だから、人情と物情を明らかにすることは、非常に大切なことである。
天下は昏迷不醒。そこで迷うて醒めない人々の悪酔いを醒めさせてやりたいものだということです。

”才人の行は多くは放なり。当に正を以て之を斂むべし。正人の行は多くは板あり。当に趣を以て之を通ずべし”
才人の行いは多く放埓になるから、正義をもってこれを収斂するべきである。正しい人の行いは多くは型にはまって単調になるから、趣味や芸術をもってこれを行うようにするべきである。

”嬾には臥すべし、風つべからず。静には座すべし、思うべからず。悶には対すべし、独なるべからず。労せば酒のむべし、食うべからず。酔えば睡るべし、淫すべからず”
人はものうい、気合が入らないときには、ぐずぐずせずに寝てしまえ。
静かで落ち着いたときには正座して、くだらないことを考えるな。
人は一人だとどうしても考え込んだり、くだらないことに悩みがちだが、友や佳書といった意義や権威あるものに差し向かって対峙しなさい。
疲れたら、酒を飲め、疲れて食べると腹を壊したりするので、気をつけろ。
酔ってしまえば眠るに限る、酔って淫するようなことはしない方がよい。
これは五不可といって有名な格言であるようですが、たいていの人間はこの逆をやっているという戒めでもあります。

”花は半開を看、酒は微酔を欲す”
華は半分開いたぐらいが丁度よい、酒はほんのり酔うぐらいが丁度よい。

”肝胆相照らせば、天下と共に秋月を分たんと欲す。意気相許せば、天下と共に春風に座せんと欲す”
お互いに心の中を打ち明けて気が合う人と一緒にいるぐらい楽しいことはない。
秋の月というのは心が澄んで、清くきれいだ。
気が合う友と心を通わせれば、天下の世の中でいつまでも一緒にいたいと思うものだ。
こんな友を得られるだけの人物にならなければなりませんね。

”刺を投じて空しく労するは原と生計にあらず。裾を曳いて自ら屈するは豈に是れ交遊ならんや”
名刺を差し出して、社長さんや重役やらあちこちウロウロして功名を図るのは人がいかに生きるべきかの本質の謀ではない。
腰を低くしてご機嫌を取って回ることが、本当の交際をは言えないのである。
単に毎日の生活を立てる生計でなく、自分はいかに生くべきかという人の根源的生き方を問うているものです。

”法飲は宜しく舒なるべし。放飲は宜しく雅なるべし。病飲は宜しく少なかるべし。愁飲は宜しく酔うべし。
 春飲は郊に宜し。夏飲は洞に宜し。秋飲は船に宜し。冬飲は室に宜し。夜飲は月に宜し”
形式ばった酒宴では硬くなってはならない。
わがまま勝手に飲むのは、洗練されセンスがなければならない。
病気で大酒を飲むのは駄目だが、少しぐらい使うのであればよい。
泣き上戸が飲むのは、迷惑で困り者である。
春は郊外で、夏は涼しいところで、秋は船で、冬は部屋で、夜は月を愛でながら飲むのがよい。

”花を鑑賞するには須らく豪友と結ぶべし。妓を観るには須らく淡友と結ぶべし。山に登るには須らく逸友と結ぶべし。水に汎(うか)ぶには須らく曠友と結ぶべし。月に対するには須らく冷友と結ぶべし。雪を待つには須らく艶友と結ぶべし。酒を捉るには須らく韻友と結ぶべし”

花見に行くなら豪爽な友にすればよい。芸妓を観るにはあっさりした友がいい。登山をするなら俗気のない友にするのがいい。舟遊びをするにはおおらかな友がいい。雪見の友なら美女がよい。酒の友なら風流人しかいない。

生きることは運命であり宿命ですが、”いかにあるべきか”を知ることを”知命”と言います。
そして、それを如何に創造・実践していくこと、一身の一時的な利害などに囚われず世の中を救おうと心を尽くすことが”立命”というものです。
日本やこれからの私達はこの”知命”を立て”立命”していかなければなりません。
このような整理も、そのための誰かのお役に立てれば幸いです。

以下、一部抜粋。

「酔古堂剣掃」を刻すの叙

書は以て人の神智を益すべし。剣は以て人の心膽を壮にすべし。
是れ古人の書剣を併称する所以にして、而して文事ある者は必ず武略ある也。
但し世上の奇書、多くは西土に出づ。而して刀剣は則ち、我が邦ひとり宇宙に冠絶せり。
ただに紫電・白虹のみならず、[尸+羊]を切り蛟を断つ也。
余、夙に刀剣の癖あり。一室に坐して、左に劍、右に書、竊かに以て南面百城※(天子富豪)の楽に比す。
其れ抑鬱無聊の時に当る毎に、輙ち匣を発(ひら)き払拭してこれを翫す。
其の星動龍飛、光彩陸離を視れば、すなはち大声叫快し、妻児婢僕は皆な騒然として以て狂となす。
余の精神が煥発し、霊慧は開豁にして、面上三斗の俗塵の一掃せらるるを知らざる也。
古人のいはゆる「書を検して燭を焼くこと短し。剣を看て引杯長し。」※杜甫「夜宴左氏庄」
読書倦む時は須く剣を看るべし。英発の気を磨せざるは、皆な先づ吾が志を獲ると謂ふべし。然らば今の此の楽しみ也。
余の之(ゆ)く所は独り。世の人の之く所と同じくせず。
若(も)し夫れ読書の中に、実に剣の趣を看る者は、其れ惟(た)だ酔古堂剣掃なり。
其の命名すでに奇。而して門を分って更に奇なり。
蓋し古人の名言快語を裒(あつ)め、以て帙と成す。字字は簡澹。句句は雋(俊)妙。以て精神を煥發すべく、以て靈慧を開豁すべし。
また猶ほ剣を看るごときにして星動龍飛、光彩陸離。其の快意、言ふに勝ふべけんや。
往年たまたま謄本を獲る。これを刻せんと欲すれば以て一部を当てて剣を説く。然るに魯魚(誤字)頗る多く、因循未だ果さず。
ちかごろ崇蘭館の所蔵する原本を借りて校訂、而してこれを開雕(出版)す。
嗟呼。此者を読み、その英発の気を磨し、以て面上三斗の俗塵を一掃せよ。
而して神智を自ら益すべし。心膽を自ら壮とすべし。
則ちこの書を以て、我が宗近・正宗の利剣と為す。また豈に不可ならんや。是を序と為す。
 嘉永壬子(五年)蒲月(五月) 陶所池内、容安書屋に於いて時題を奉る。三井高敏、隷(書)す

酔古堂剣掃-醒部
1
中山の酒を飲みて一酔すれば千日を経る、今の世の昏々として定まらざること、一日も酔わぬこと無きが如く、誰一人として酔わざる者の無きが如し。
栄達に奔る者は朝廷に酔い、利欲に奔る者は民間に酔い、富豪の者は女色、音楽、車馬に酔い、天下は終に昏迷して醒めること無きが如し。
ここに一服の清涼を得て、人々の眼を醒まさん。
醒せい第一を集む。

2
自らの才ばかりを頼りにして世を軽んずれば、?よくの如くに背後より害を為す者が現れるであろう。
外面を飾って人を欺けば、咸陽宮の方鏡が目の前にあるが如く、いずれはその心底を見透かされるであろう。

3
くだらない人物が豪傑をあべこべに批判するを怪しむも、批判に慣れて何も思わざれば小人と同じ。
世の中が自分を虐げるを惜しむも、困難はその人物の真贋を見るに過ぎざるを知らず。

4
花咲き誇り、柳の満つる所、驕ることなく推し開けば、わずかにこれ処するに足る。
風吹き荒み、雨の激しき時、惑うことなく見定めれば、まさに為すべきところを知る。

5
あっさりして捉われざる心境は、必ず絶頂の時より試み来るべし。
定まりて動ぜざる心境は、むしろ非常の時に向かいて窺い知るべし。

6
恩を売るは、人より与えられた恩徳に報いることの厚きに遠く及ばない。
誉を求めるは、世間の称賛より逃れることの適切なるに遠く及ばない。
情を矯正するは、その節操を正して心より直くするに遠く及ばない。

7
人と交わるにその人を褒めて名誉有らしむるは易く、その人の知らざるところにおける謗りを無からしむるは難し。
人と交わるにすぐに仲良くなりて喜ばしむるは易く、交わり久しくしてこれを敬するに至らしめるは難し。

8
人の悪を責めるには、厳しきに過ぎてはならない。
その人の、責めるを受けるに堪える気持ちを察するのだ。
人に善を教えるには、高きに過ぎてはならない。
その人の、従う気持ちが自然にして芽生えるように導くのだ。

9
人情に近からざれば、世の中に安んずるところ無し。
物事を察する能はざれば、一生夢の中に在るが如く、定まるところ無し。

10
志の発露なき士に遇いては、自らの志を吐露してはならない。
怒りを発して人を容るる無きの輩を見ては、口を防ぎ止めてこれとは語らぬ方がよい。

11
ひもを結び冠を整えるの態度は、これを頭が焦げ、額がただれるの時に施すなかれ。
歩行正しきを守るの規定は、これを死を救い、傷つくを助くるの日に用いるなかれ。

12
事を議る者は、その身を事の外に置いて、利害の情を十分に知り議りて決すべし。
事に当たりて実行する者は、その身を事の中に置いて、利害を忘れて尽力すべし。

13
倹約は美徳である。
然れども倹に過ぎれば、物をしみばかりで欲深く、心はいやしくなりて却って風雅の道を失う。
謙譲は徳行である。
然れども譲に過ぎれば、諂いとなり、細部を過剰に気に掛けるようになり、その多くは他を伺って己無く、ただ機をみて動かんとの心を出だす。

14
拙の如くにして内には巧を蔵す、さすれば暗くして明らかなり。
濁の如くにして清を宿す、さすれば屈して以て伸長となる。

15
徳を為して徳を望まず、恩を施して恩を示さず。
貧賤の交わりの長く久しき所以なり。
望めば甚だしく、欲せば足るを知らず。
利得の交わりの必ず破れし所以なり。

16
怨みは徳を徳とするが故に生ず。
故に人に自然と徳を感じさせるには、徳と怨の両方を忘れてしまうに勝るものはない。
仇は恩を恩とするが故に立つ。
故に人に自然と恩を感じさせるには、恩と仇の両方を無くしてしまうに勝るものはない。

17
天が我が福を薄くすれば、吾は吾が徳を厚くしてこれを迎える。
天が我が身を多忙にすれば、吾は吾が心に余裕を持たせてこれを補う。
天が我に偶然を与えれば、吾は吾が為すべきところを心に秘して以てこの偶然を処す。

18
あっさりして無欲な者は必ず栄華を欲する者に疑われ、節操を持する者は必ず驕り高ぶる者の忌むところとなる。

19
事が窮まり、勢いが衰えていく時に当たらば、まさにその初心を尋ねるとよい。
功が成り、行うところ達したならば、その末路を察して戒めねばならない。

20
好み醜む心が甚だ明らかなれば、物情を介せずして合うことなく、賢を崇敬し愚を軽侮するの心が甚だ明らかなれば、人情を介せずして親しまず。
故に何事においても内は精明にして、外は兼ね容れるべし。
さすれば好醜いずれもその平を得て、賢愚共にその益を受く。
そうであって初めて天地に通ずる徳といえるのである。

21
弁舌を好みて禍いを招くは、沈黙を好みてその性を喜ばすに遠く及ばない。
交友を広くして誉れを得るは、独居して自らを修めるに遠く及ばない。
費えを厚くして他事を営むは、事を省きて倹約しその分を守るに遠く及ばない。
才能をひけらかして妬みを受けるは、精一を旨にして己を慎み迂遠なるが如く在るに遠く及ばない。

22
千金を費やして賢人豪傑と交友することは、瓢箪半分ほどの食糧を以て飢餓を救うのと比べてどうだろうか。
大きな屋敷を構えて賓客を招来することは、小さな茅葺きの家を以て孤独で貧しき者の身を寄せる場とするのと比べてどうだろうか。

23
恩の多い寡ないは問題ではない。
困窮したときに施すわずかな飲料も、死力を尽した報いを得ることがある。
怨みの浅い深いは関係ない。
一杯の羹で気分を害したに過ぎずとも、時に亡国の禍を招く。

24
仕官の途は功を挙げ名を達す。
然れども常に林下の風味を思えば、権勢への望みは自ずから軽くなる。
世渡りの途は財を蓄え衣食満つ。
然れども常に泉下の光景を思えば、利欲の心は自ずから淡くなる。

25
富貴の極みに居る者は、水が溢れそうでなんとか溢れずにあるようなものである。
わずかでも節操を忘れば凋落に至る。
危難の極みに居る者は、木が折れそうでなんとか折れずにあるようなものである。
わずかでも他に頼れば滅亡に至る。

26
心に脱しきれば自ずから事もまた脱す。
例えるならば根が抜けて草の生ぜざるがごとし。
世間を脱してなお名を好む者は、生臭き肉ありて蚋の集まるに似たり。

27
情は最も定まり難きものである。
故に多情の人は、必ず情に薄くなる。
性は自ずから常道あり。
故に己が天性を尽くして飾らざる者は、その性を失わずしてその生全し。

28
才高くして心を貧賤に安んずる者なれば、栄達して貴位へと至るに足る。
善人なりて意を貧賤に馳せる者なれば、富みて金銭を用いるに足る。

29
語を伝えることを喜ぶ者は、共に語るには足らない。
事を議論することを好む者は、共に図るには足らない。

30
甘い言葉の多くは、その事の良し悪しを論ぜず、ただ人を喜ばせるを旨として惑わせる。
奮発させる言葉の多くは、その事の利害を顧みず、ただ人を激するを旨として暴走させる。

31
真に廉なる者は、あまりに大なるが故に人々は廉とは察せない。
これ名を立てし者を貪欲であるとする所以である。
真に巧みなる者は、あまりに大なるが故に形跡無し。
これ術を用いる者を拙なき者とする所以である。

32
悪事を為してその悪事が人に知られることを畏れるは、悪ではあるがその中にも善の心が開かれている。
善事を為してその善事を人に知られることを望むは、善を行なってはいるが悪の根ざしといえよう。

33
世俗を逃れて山林に入る楽しみを談ずる者は、まだその真の楽しみを得てはいない。
名利を談ずることを厭う者は、まだ名利から脱しきれてはいない。

34
冷たきより熱きを視て、然る後に熱き処に奔走するの益なきを知り、冗長より閑に入り、然る後に閑中の味わい最も深きを覚る。

35
冷たきより熱きを視て、然る後に熱き処に奔走するの益なきを知り、冗長より閑に入り、然る後に閑中の味わい最も深きを覚る。

36
雌伏すること久しき者は、雄飛して高きに往く。
すぐ花開きて早熟なる者は、早く散りて久しからず。

37
利欲に惑う者は、富貴なるとも心は貧し。
足るを知る者は、貧賤なるとも心は富む。
高位に居る者は、身は安んじて精神労す。
下位に居る者は、身は労して精神安んず。

38
人物偉大なれば、三軒足らずの小村に住むとも、その境遇に束縛されず。
形ばかりの矮小なれば、大都市に居るとも、心情迫りて安からず。

39
時間を惜みて励む者は、千古に卓越せんとの大志あり。
微才を憐れみ容るる者は、将に将たるの心あり。

40
感慨の極みは、転じて屈託なき笑いを生じ、歓喜の極みは、転じて声なき涙を生ず。

41
天が人に禍を下さんと欲すれば、必ず先ずわずかな福を以てこれを驕らし、微福を受けさせた訳を知り得るかを看るのである。
天が人に福を下さんと欲すれば、必ず先ずわずかな禍を以てこれを戒め、微禍を受けさせた訳を知り得るかを看るのである。

42
書画を俗物に品評されるは、末代までの恥である。
鼎彜を商人に鑑定されるは、千古の憂いというべきか。

43
英傑の本質はこれを懐に入れて初めて現れ、超脱の趣は己の足らざるを察して初めて知る。

44
名声高ければ忌み嫌われ、寵愛深ければ嫉妬を生ず。

45
想いを結ぶところ奢侈にして華美ならば、その見るところ全て満足せず。
心を致すところ清浄にして素朴なれば、その行うところ全て利欲を厭う。

46
人情に過ぎる者は、共に賢愚を図るには足らない。
好誼に過ぎる者は、共に賞罰を図るには足らない。
感情に過ぎる者は、共に得失を図るには足らない。
興味に過ぎる者は、共に進退を図るには足らない。

47
世の人々、破綻のところは多くその振る舞いから生じ、過誤のところは多くその執着から生じ、艱難のところは多くその欲心窮まり無きところから生ず。

48
隠棲は勝れた事である。
然れども、少しでも拘泥するところがあれば、人ごみに在ると変わらない。
書画を鑑賞するは風雅な事である。
然れども、少しでも貪り狂うところがあれば、利欲のためと変わらない。
詩酒を嗜むは楽しき事である。
然れども、少しでも求めに応じて行うのであれば、苦悩のところと変わらない。
客を好むは快活なる事である。
然れども、少しでも俗人に乱さるれば、忍耐のところと変わらない。

49
多く両句の書を読みて、少しく一句の話を説き、両行の書を読み得て、幾句の話を説き得。

50
普通の者を判断するは、大事な所で逸脱せぬかに在る。
豪傑を判断するは、細部に手抜かりせぬかに在る。

51
七分ばかりの正しき道を留めて以てその生を尽くし、三分ばかりの余裕を留めて以てその死を超ゆ。

52
財貨を軽んずれば以て人を集めるに足り、自己を律すれば以て人を服するに足り、度量が寛大なれば以て人を得るに足り、自ら率先すれば人を率いるに足る。

53
迷いに迷って迷いを識らば、即ち釈然として全てに通ず。
放ち難き想いをもって一たび放たば、即ち率然として全てに和す。

54
大事や難事には、それを担うだけの人物たるかを看る。
逆境や順境には、それで心が萎えたり調子に乗ったりせぬかを看る。
喜びや怒りには、感情の動きに左右されないかを看る。
集団の中に在れば、多数に流されて本質を見失わないかを看る。

55
余裕を存するはこれ事を処するの第一法。
貪らざるはこれ身を保つの第一法。
寛容なるはこれ人を処するの第一法。
拘泥せざるはこれ心を養うの第一法。

56
事を処するには、第一に熟考し、そして着実に処すべし。
熟考すれば情に合致し、着実に処せば遊離せず。

57
到底人が忍ぶこと出来ぬような心逆のことを忍び得て、初めて到底人の為しえぬ事功をなし得ん。

58
軽々しく与えれば取ること必ず濫れ、簡単に信ずる者は疑うこともまた易し。

59
丘や山に達する程の善を積むも、未だ君子と為すには足らず。
糸や毛の如き僅かな利欲を貪れば、たちまち小人に落つ。

60
知者は命と闘はず、法と闘はず、理と闘はず、勢と闘はず。

61
人の良心は夜の物静かな頃にあらわれ、人の真情はわずかな食べ物の間にもあらわれる。
故に我を以てその良心に気付かせることは、その人自身が省みることに遠く及ばない。
我を以てその情の動きを責めることは、その人自身が吐露して気付くことに遠く及ばない。

62
侠の一字、昔はこれを意気に加え、今はこれを外面に加える。
本当はただ、気魄気骨がどれだけあるかなのだ。

63
実業せずして食し、服し、口を動かして批評を加う。
故に知る。
何もせぬ人に限って、好んで事を生ずるものなるを。

64
執着して已まざるの病根は、一に恋の字に在り。
万変窮まらざるの妙用は、一に耐の字に在り。

65
むしろ世に随うばかりの凡庸なる者になるとも、世を欺くの豪傑には為ること無かれ。

66
世の中に自分に従順なるを好まざる人無し、故に媚び諂いの術に窮まりなし。
世の中は尽く批判批評するの輩、故に讒言の路を塞ぐは難し。

67
善言を進め、善言を受ける。
これが行き来する船の如くであれば、交わりて通ぜざるなし。

68
清福せいふくは天の大事とするところである。
故にもしも心を亡なって望むようになれば、福をすぐに消してしまう。
清名は天の敬意するところである。
故に少しでも汚れるところがあれば、名をすぐに消してしまう。

69
人の批判批評を為すものは心を亡ない、それを受ける者は心安し。

70
蒲柳の如きは秋を迎えて零落凋傷す。
松柏の如きは霜雪を経るもいよいよ青々たり。

71
人が名節を欲し、格好良くありたいと願い、男伊達を抱くは、酒を好むが如く当然のことである。
だが、安直に求めて溺れる者少なからず、故に徳性を以てこれを消すべきである。

72
好んで内情を語り、好んで人を誹り乱す者は、必ず鬼神の忌む所となる。
思いがけない災いに出会わぬとしても、必ず思いがけぬところで窮するであろう。

73
至れる人は微言にして測り知れず、聖人は簡易にして深意あり、賢人は明瞭にして察し易く、衆人は多言にして中身なく、小人は妄言して乱すのみ。

74
士君子にして人を感化させることが出来ぬのは、結局のところ学問を尽くしきれずして真に至らぬからである。

75
一言にして全てを混乱させ、一事にして全てを台無しにする者あり。
よくよく注意しなければならない。

76
人から善言を受けること、商売人の利益を求めるが如く、わずかなものでも着実に積み重ねてゆけば、自然と心豊かに老熟するであろう。

77
財産多ければ、ただこれまさに臨終の時、子孫の眼は涙を少し溜めるばかりで、その他は知らず、財産に眼を光らせ心を奪われる。
財産少なければ、ただこれまさに臨終の時、子孫の眼は涙を溜めるばかりで、その他は知らず、哀しみに耽りて終う。

78
読書は、必ず書中の眼目を感じ得て始めて読んだと言える。

79
光景調和して心気澄み渡り、地勢雄大にして壮心已まず。

80
善を尽せば善神これに従い、悪を尽せば悪神これに従う。
これを知らば以て鬼神を使役するが如きなり。

81
一人の志なき秀才を出だすは、一人の陰徳を積む凡人を出だすに遠く及ばない。

82
わずかでもまぶたを閉ずれば、夢の中に落つ。
人、夢に在りては自己たるを得ず。
眼光地に落つればその生を終う。
生前に自己を知らず、死後にどうして自己を知らん。

83
仏は解脱に至り、仙人もまた無境に至る。
聖人は天理を求めて天に至るも天を知らず。
天理を求めて天に至りたるを知らずして、天理を得る。
もし、天理を求めて天に至りたるを知らば、どうして天理を得るだろうか。

84
万事、酒杯の手にあるが如くに楽しむべし。
人生百年、いつまでも月の空に懸かるを見ていられる訳ではないのだから。

85
憂いや疑いは酒杯の中に映る蛇に過ぎず、そうと知れば両眉晴れるを得ん。
得失は夢に鹿を隠すに同じ、そうと知れば固執せずして前進あるのみ。

86
名茶や美酒には自ずから真味あり。
物好きな人、香の物を投じてこれを助け、却って最善となす。
これ人格高尚なる人や、風流なる人の、誤りて俗世に墜ちると何の違いがあるだろうか。

87
花咲き誇る石の坂、少しく座りて少しく酔う。
歌えば独り高らかに、心情最も細やかに。
茶は頻りに勧めて皆と楽しみ、深味最も苦きを欲す。

88
黙すべき時に黙するはよく語るに勝り、禁不禁の境を知るは事を処して明らかである。
世に混じりて在るは身を隠し、心を安んずるは境遇に適して素行自得ならざるはなし。

89
隠逸の真趣に心を馳せずとも、そのような志を抱く英傑は知らねばならない。

90
鋭気収めて自然と憤怒悠々たるを覚え、心神収めて自然と言語簡明なるを覚え、人を容れて自然と味識和合するを覚え、静を守りて自然と天地広大なるを覚ゆ。

91
事を処するには果断果決、心を存するには寛大寛容、己を持するには厳酷精明、人と共にするには和気藹々。

92
住居すれば必ずしも悪しき隣人を避けられるわけではなく、人と会うに必ずしも損友を避けられるわけではない。
ただ、よく自らを持して惑わされぬ者のみ、これと交わってよく己を存す。

93
自己の至りし所を知らんと欲さば、ただ早朝清明なるの時、心中想いしところはこれ如何と点険すれば、恐らくは察するところあらん。

94
平坦な道なるとも、車の往生せざる無く、巨波大波なろうとも、舟の渡らざるは無し。
事無きを図れば必ず事生じ、事有るを戒慎せば、必ず無事なるを得ん。

95
都会に在るも隠棲するも、その中ともに事を有す。
今の人の忙しき処、昔の人の閑を得し処である。

96
人と生まれたからには書を読むべきである。
暇をみつけては読み、余裕ができればよく読み、そして自らのものとするのである。
読みて読まざる人の如くであれば、これを善く読む者という。
世間の清福をうけること、いまだこれに過ぎたるはなし。

酔古堂剣掃-法部
1
僧侶や隠者の如き姿が天下に満ちてより、一世を超越し衆に優れし者、遂に世俗と調子を合わせ基準を同じくしてこれを矯正す、故に今世の道はすでに古の道と同じからず。
迂遠で陳腐なる者は、既に法に拘泥して自己を失い、一世を超越せし者は、また法を軽んじて自己あるのみ。
されば士君子たるもの、拘泥することなく軽んずることなく、その中ちゅうを得て放越せざるを期せんのみ。
どうして必ずしも世俗より逃れるを望まんや。
法第十一を集む。

2
いかなる世も才の乏しき世は無し。
天地の道に達せんとの精神を以て、是非を知る素のままの心を尽くして中庸を得ん。

3
尽して過ぎざる意を存すべし。
これを事において留めば、何時如何なるときも円滑となり、これを物において留めば、その働きに余裕が生じ、これを情において留めば、その味わい深きは全てを包み、これを言において留めば、その致すところ深遠にして測り知れず、これを興において留めば、その趣き多くして世を楽しみ、これを才において留めば、精神満ちて天地に通ず。

4
世には法則というものがあり、因縁というものがあり、人情というものがある。
因縁は人情に非ざれば長くは続かず、人情は法に則らざれば流れ易くして収まらず。

5
世には理の必し難き所の事多し、宋人の道学を執ること莫れ。
世には情の通じ難き所の事多し、晋人の風流を説くこと莫れ。

6
朝廷に仕えて国を危うきに導いてしまうぐらいであれば、民間に在りて世に関与するほうがよい。
隠遁して朝廷に仕える者に誇るぐらいであれば、朝廷に在りて自然を楽しむ趣きを有しているほうがよい。

7
遠望広大に先を見通す者は、その心、ますます小心翼翼たり。
高位長者に至りし者は、その挙措動作、ますます慎み節す。

8
真の心なるが故に万友に交わるを得。
偽心にては、一人に対してすら真に交わるということは得られぬであろう。

9
年少なれば心を没頭させるがよい。
没頭させれば浮ついた気持ちを収めて一に定まる。
老年なれば心は閑静なるがよい。
閑静なれば安んじてその生を楽しめるであろう。

10
晋人は老荘を論じて虚無を尊び、宋人は性理を論じて致知に向かう。
晋人は以て世俗を超越し、宋人は以て心を定めてその身を安んず。
これを合わせば美しく、これを分かてばどちらも破る。

11
事を始めるならば、自らの心が満足せぬことを行なってはならない。
事に当たらば、これを行い尽くさざるの心を抱いてはならない。

12
忙しき中に事を処すには、必ず間を得てよくよく吟味し、実行に当たりて節を持するに至るは、必ず平時に秘したる想いに由る。

13
日常に顕れ来たる節義は、人の知らざるところを戒尽するに由りて養われ、天下経綸の大事業は、深淵に臨み薄氷を踏むが如く戦戦兢兢たるの心持ちに由りて操とり出だす。

14
貨財を積むの心を以て学問を積み、功名を求むるの念を以て道徳を求め、妻子を愛するの心を以て父母を愛し、爵位を保つの策を以て国家を保つ。

15
何を以てか下達する、惟だ非を飾るに有り。
何を以てか上達する、過ちを改むるに如しくは無し。

16
わずかでも忍びざるの心を起せば、これ民を生じ物を生ずるの根本となる。
わずかでも非を為さざるの気象を存せば、これ天を支え地を支えるの柱石となる。

17
君子は青天に対して懼るれども、雷霆を聞いて驚かず。
平地を履みて恐るれども、風波を歩みて駭かず。

18
心喜びて軽々しく承諾してはならない、心奪われて怒りを発してはならない、心快くして多方に手を出してはならない、心倦みて終わりを全うせざるようではいけない。

19
意の念慮は想起するが如くにこれを防ぎ、口の言語は押し止めるが如くにこれを防ぎ、身の汚染は奪うが如くにこれを防ぎ、行の過ちは事を果断するが如くにこれを防ぐ。

20
白き砂が泥土の中に在れば、泥土と共に黒くなる。
染まっていくこと習慣となりて久しき故なり。
他山の石は玉を磨くべし。
切磋琢磨するは己を修める所以なり。

21
後生の輩の胸中、意気の両字に落つ。
趣きを以て勝る者あり、味を以て勝る者あり。
然れども寧味に饒きも、寧ろ趣きに饒きこと無からん。

22
片片として子瞻の壁に絵いし、点点として原憲の羹にしんす。

23
花の咲き満ちるは財貨も及ばず、春意の萌え出づるは貧者を救う。

24
思慮を少なくして心を養い、情欲を切り去りて精を養い、言語を謹みて気を養う。

25
身を立つること高き一歩なれば方に超脱す。
世に処するに退く一歩なれば方に安楽なり。

26
士君子たる者、貧しくして財を以て救済するを得ずとも、人の惑いに遭遇して一言の下にこれを目覚めさせ、人の危急に遭遇して一言の下にこれを解きて救えば、それで計り知れぬ功徳である。

27
既に敗れた事を救わんとする者は、崖に臨む馬を御するが如く、軽々しく鞭打つようなことをしてはならない。
事が成らんとする功を図る者は、奔流の中に在る小舟を引くが如く、最後まで棹を止めてはならない。

28
事無くして常に事ある時の如くに事を防げば、多少は予想外の事変を補正することが出来るであろう。
事ありて常に事無き時の如くに事を治めば、事局を越える危険を消すことが出来るであろう。

29
是非邪正に交わりて少しでも迎合する心を抱けば、位次立たずしてその正を失う。
利害得失に会いてこれを明らかに分かてば、功利に眩みて私心に惑う。

30
事が人の秘事に当たったならば、これを護りかばうを思うを要す。
少しのあばかんとする心も抱いてはならない。
人が貧賤にあらば、これを敬い貴ぶを思うを要す。
少しのおごり高ぶる態度も示してはならない。

31
ちょっと嫌な事があるからと肉親を疎んじてはならない。
新たに怨みが生じたからと旧恩を忘れてはならない。

32
富貴の人に対しては、礼を以て接するのは難しくないが、本心より思うことは難しい。
貧賤の人に対しては、恩を施すことは難しくないが、これを真に礼することは難しい。

33
礼義廉恥は己を律すべきものであって、人に対して要求すべきものではない。
己を律するときは過ち少なく、人を糾すときは即ち離る。

34
およそ物事というものは善悪を兼ね入れて暴かぬでよきは暴かざるべし。
さすれば独り己を益するのみならず、天下人民皆の益となる。
何でも明らかにして甚追するは、独り人を損させるのみならず、自らの損にもなる。

35
人の詐りを覚りても言葉に表さず、人の侮りを受けても怒りを生ぜず。
この不言不動の趣には、限りない意味があり、また限りない学ぶべきものがある。

36
爵位は分に過ぎたるを得てはならない、分に過ぎれば必ず破れてしまう。
自らの力を以て事を為せると雖も必ず余裕を存さねばならない、余裕有らざれば必ず衰えてしまう。

37
旧友を遇するには、意気を新たにして接すべし。
人に知られざる事を処するには、心を清浄にして為すべし。
衰え朽ちたる人を待つには、往年に接した以上の恩礼を以て接すべ

38
人を用いるには甚だしきに過ぎざるを要す。
甚だしければ正しきに従い效う者は去ってしまう。
交友は善悪の区別なく交わってはならない。
区別せざれば阿諛迎合の者が来たりて乱すに至らん。

39
憂勤はこれ美徳である。
然れども憂勤に過ぎて苦に至らば、性に適さず、情を喜ばさず。
淡白はこれ高風である。
然れども淡白に過ぎて枯に至らば、経世済民ならずして只の世捨て人である。

40
人を興起せしむるには平生の習いより脱するを要し、少しも世俗の習いを矯正するの心を抱いてはならない。
世に応じて事功を為すには時勢に随うを要し、少しも時勢におもねり義理を破るの念を起してはならない。

41
富貴の家にして窮途の親戚が頻繁に往来することあれば、これ忠厚を存すというべし。

42
師に従って名士に会うは、教えを垂れるの実益少なく、弟子となりて試験に及第するを望むは、教えを受けるの真心少なし。

43
男子徳有るは便ち是れ才、女子才無きは便ち是れ徳なり。

44
病の楽しみを想うべし、苦境の景色を経験すべし。

45
才の衆に優れ、一国に並ぶべきのない程の者なれば、必ず常人には測るべからざるの功業を負う。
この故に、才が少しでも衆を抑えこめば、たちまち忌む心が生じ、行が少しでも時に違えば、たちまち嫉視生じて非難至り、死後の声名が空しく墓中の骸骨を誉めるばかりである。
たとえ途窮まり落ちぶれるとも、誰が宮外にさまよう美人を憐れむだろうか。

46
位高き人が貧しき者と交わる場合には、驕り高ぶる気象が表れやすく、貧しき者が位高き者と交わる場合には、貴位に屈せざるの気骨を存すべし。

47
君子の身を処するや、寧ろ人の己に負くとも、己の人に負くこと無し。
小人の事を処するや、寧ろ己の人に負とも、人の己に負くこと無からしむ。

48
硯神を淬妃と曰ひ、墨神を回氏と曰ひ、紙神を尚卿と曰ひ、筆神を昌化と曰ひ、又た佩阿と曰ふ。

49
治世の要は、半部の論語、出世の要は、一巻の南華あり。

50
禍は己の欲を縦いままにするより大なるは莫く、悪は人の悪を言ふより大なるはなし。

51
世に知られ称えられる者を求めることは簡単だが、真に自己を知る者を求めることは難しい。
表面を飾る者を求めることは簡単だが、知られざる処において愧ずる所の無き者を求めることは難しい。

52
聖人の言葉はどんな時も常に持ち来たりて、読み、発し、想うべし。

53
事の末に巧みにならんことを期するよりは、事の初めに拙ならざらんことを戒めるに若かず。

54
君子には三つの惜しむことがある。
生を受けて学ばざる、これ一の惜しむべきことである。
学ばずして一日一日が無駄に過ぎていく、これ二の惜しむべきことである。
そして遂には己を得ずして一生を終える、これ三の惜しむべきことである。

55
昼は妻子のあり方を以て確かめ、夜には夢に何を観るかで確かめる。
ふたつの者、いずれも恥じるところ無ければ、始めて学んでいると言える。

56
士大夫たるもの、三日も聖賢の書を読まねば、義理が胸中より離れ、面構えは悪くなり、言葉には味が無くなるを覚えるであろう。

57
外面ばかりの交際を密にするよりは、誠心より交わる友を親しむに及ばない。
新たに恩を施すよりは、旧き貸しに報いるに及ばない。

58
士たる者は当に王公をして己が名声を聞からしめ、実際に会うことは稀なるべし。
むしろ王公をして来たらざるを訝らしめ、その去らずして長く留まるを厭わしてはならない。

59
人が得意のときには心から喜び、人が失意のときは心から悲しむべし。
これらはいずれも自らの身心を全くして達する所以、人の成功を忌み、人の失敗を楽しむ事が、どうして人事に関係しようか。
いたずらに自らの身心を破るのみである。

60
重恩を受けては酬い難く、高名を得てはつり合い難し。

61
客をもてなすの礼は、当に古人の意を存すべし。
ただ一羽の鶏、一握りの黍、酒を数回酌み交わし、飯を食らいてやむ。
これを以て法と為す。

62
心を処するには深遠を旨とす、明白に過ぎれば必ず偏す。
事をなすには余裕を旨とす、甚だしきに過ぎれば必ず窮す。

63
士たる者の貴ぶべき所は、節義正しきを大と為す。
貴位はこれを失うも、時宜を得ればまた来たる。
節義を失えば、その身を終えるまで人と為ること無し。

64
勢いは頼りすぎるべからず、言語は言い尽くすべからず、福は授かりすぎるべからず。
何事においても不尽の処を存するは、意味深長なる趣あり

65
静座して然る後に日頃の気の定まらざるを知り、沈黙を守りて然る後に日頃の言葉の騒がしきを知り、事を省きて然る後に日頃の無事を費やすを知り、戸を閉じて然る後に日頃の交友の煩雑なるを知り、欲を寡くして然る後に日頃の通病の多きを知り、人情に近づきて然る後に日頃の存念の過酷なるを知る。

66
喜びに乗じて言に過ぎれば多く信頼を失い、怒りにまかせて言に過ぎれば多く事態を失う。

67
広く交われば費用が掛かり、費用が掛かれば稼がねばならず、稼ぐ必要があれば人に求めること多くなり、求めが多ければ恥辱を得ること多し。

68
心残りになるような事を為してはならない。
中途半端で済ます心を生じてはならない。

69
一字も軽しく人に与ふ可からず、一言も軽しく人に諾だくす可からず、一笑も軽しく人に假す可からず。

70
人に対すれば正を忘れず、廉潔を抱いて己を律し、忠誠の心を以て君に事つかえ、恭謹の心を以て長に事え、誠信を以て物事に接し、寛容を以て下の者を待ち、敬意を以て事に処す。
これ官に勤めるの七要である。

71
聖人大事業を成す者、戦戦兢兢の小心より来たる。

72
酒が入れば舌が出て、舌が出れば妄言す。
我は思う、酒で身を滅ぼすぐらいならば、酒を棄てるに如かず、と。

73
青き空に太陽が輝き、穏やかな風に雲が漂えば、人に喜色を生じさせるのみならず、かささぎもまた好い音で鳴く。
もし風が荒ぶり雨が吹きつけ、雷鳴轟き閃光発すれば、鳥は林へと隠れ、人もまた戸を閉じる。
故に君子は大和の元気を以て主と為す。

74
胸中に重んずるところ、気概ばかりを主とすれば、友に交わるも人情を得ず。
楚辞や詩経ばかりを主とすれば、読書をするも心に達せず。

75
友として交わるならば先ずその人物を察すべし、交わりて後は信じ抜くべし。

76
ただ倹約を以て廉謹なるに向かい、ただ恕の心を以て徳を成す。

77
書を読むに貴賤・貧富・老少は問題ではない。
書を読むこと一巻なれば、誰しもが一巻の益を得て、書を読むこと一日ならば、誰しもが一日の益を得る。

78
その心持ちは細部に拘らずして平易平坦にし、その発するところは表裏なくして飾らぬようにし、その則るところは形式張らずに人情に合わせ、その交わるところは簡にして少なくす。

79
好醜は太だ明らかなる可からず、議論は務めて尽す可からず、情勢は殫く竭す可からず、好悪は驟に施す可からず。

80
穏やかにたゆたう波、はっとするような夢は、人に道心を発起させる。

81
読書には成長させるに足る書を積むべし。

82
口を開けば人を誹謗中傷するは軽薄なることの第一である。
ただ徳を失うのみに足らず、身をも失うに足る。

83
人の恩は念ふべし、忘るべからず。
人の仇は忘るべし、念ふべからず。

84
人の言葉を受け入れない者に対しては、余計な言葉を発するべきではない。
これ人と善く交わるための法則である。

85
君子の人たるや、人の過失に遇えば人情を斟酌するところを探し求め、無闇に過失を暴いて咎めるようなことはしない。

86
もしも自分に心酔してくれる人が居ったならば、その人は我が範疇にある。
その人を活かすも殺すも自分に責任がある。
もしも自分が誰かに心酔したのならば、我はその人の範疇にある。
心酔した以上はどうなろうともその人に尽すのみである。

87
自分が人を重んずるからこそ、人もまた重んずるのである。
人が自分を軽んずるのは、自分自身が人を軽んじているからに過ぎない。

88
無風流に遇えば静かに黙っているのがよい。
調子よく戯れると怨みを生ずるであろう。

89
世を超脱するの者は他を顧みざること多し、常に精密謹厳なるを学ぶべし。
厳密なるに過ぎたる者は常に拘泥して性を損ず、当に円転窮まりなきところを思うべし。

90
精錬された金や輝くほどに磨かれた玉のような、他に類をみない程の人品にならんと欲するならば、烈火の中より鍛え来たるべし。
地に掲げ、天に達するほどの事功を立てんと欲するならば、常に薄氷を踏むが如くに戦戦兢兢たるの志を存すべし。

91
性は欲望に溺れず善く収め、怒は速やかに去りて留むるなく、語は激さずして温然和気を旨とし、飲は節度をたもって過ぎざるべし。

92
よく富貴なることを軽んずるにも関わらず、その富貴を軽んずる心を軽んずることが出来ず、よく名義を重んずるも、その名義を重んずるの心を重んじてしまうのは、いうならば世俗の塵気をいまだ掃うことが出来ず、そして心に萌えでる些細な思いに捉われてしまっているのである。
この処をとり除いて擺脱せねば、石を取り去るも草が生じてしまうように、いつまでたっても達することは叶わないのである。

93
騒がしきことは志を散逸させることはもとよりなれども、単に静かなるだけもまた心を枯らすばかりである。
故に道を志す者は心を深く蔵して虚の如く、志の赴くままに楽しみて円通窮まりなきを養うべし。

94
昨日の非はすぐさま取り去らなければならない。
これを取り去らねば、燃え残った根から草木が生え出るように、遂にはくだらぬ心情にまみれて道理を失うであろう。
今日の是とするところに拘泥してはならない。
これに拘泥すれば無心たることを得ず、遂には欲心生ずる根とならん。

95
小人に対すれば、厳格なるには難からずして悪まざるに難し。
君子に対すれば、恭敬なるには難からずして真に礼を尽すは難し。

96
私事で恩をうることは、公共の事を助けるに遠く及ばない。
新しい友を得ることは、親しき友を大切にするに遠く及ばない。
世に名を立てることは、ひそかに徳化するに遠く及ばない。
飛び抜けたるを貴ぶは、日々の行いを大事にするに遠く及ばない。

97
一時の思いで先祖の禁戒を犯し、一言にして天地の和を破り、一事にして子孫に禍を遺す者あり。
最も戒めるべきところである。

98
現実に馳せて心を用いざれば事を成すことはなく、現実を超脱して心を用いざればその真を知ることはない。

99
老いたる人の通病はいたずらに人に従うことである。
年若き人の通病はいたずらに世の中を歯牙にもかけぬことである。

100
善をなすも表裏始終に違いがあるのならば、みせかけの善人に過ぎない。
悪をなして表裏始終に違いがないのならば、かえってこれを気骨ある者という。

101
本当に心に入れば、どのような近いところでも玄門となる。
絶頂とならば、何にも勝る快事なり。

102
水滸伝に足らぬものなどあるだろうか。
ただ長寿を思うの一事無し。
これは欠陥ではない。
豪放磊落な男達の、意気な心を示すのみ。
これを以てますます作者の妙を知る。

103
世間に便宜を訪ね求めることを悟り知る者は、すでにこれかつて便宜を失いたるを経験せし者である。

104
書は志を同じくする友である。
一篇を読む毎に、自ずから心に染み入るを覚ゆ。
仏は晩年の友である。
ただ半偈を窺えば、なんとも死後の真に空なるを思う。

105
衣服に垢がついて洗わず、器物を欠損して補わざれば、人に対して恥ずる有り。
行い正しからざるに改めず、徳量足らざるに修養せざれば、天に対してどうして恥じぬことがあろうか。

106
天地共に醒めず、昏く沈んで酔夢の間に落ちてしまった。
この洪濛なる状態もどうせ客に過ぎないのだから、さっさと天にいる主人を尋ねよう。

107
老熟して達せし人には必ず常訓とするところあり、必ず則法とするところあり、ほんのわずかなことでもこれを手本とすべし。
心定まらずして悶々たる人は、吐くこともできず食らうこともできず、少しの間でも対するに足らず。

108
友を重んずる者は交際を始めること極めて難く、友とするに相応しいかをよくよく点険する。
故にその友となること非常に重し。
友を軽んずる者は交際を始めること極めて易く、友とするに相応しいかをほとんど問題とせず。
故にその友となること非常に軽し。

「酔古堂剣掃」後叙
天下は廣きかな、いまだ嘗て才子の無きことはあらざる。
而して才子は往々不平の気を是に懐くか。
放浪烟月、流連 麹蘗(きくげつ:酒の謂)、珠に簾画 の欄を以て嬌歌慢舞、以って一時の楽に於いて快 を取るも則ち楽かな。
然れども興尽き、酒醒めれば則ち意況は索然。無聊、殊さらに甚だしく、向ふ所快意を以っ て 排悶(気晴らし)せん者も逼足し、以って其の不平を長ずるのみ。
一室に匡坐(正坐)して上下千古 目を明るく 心を快く 以 て胸中の抑塞を蕩滌(洗い流す)するはそれただ読書にあらんか。
而して其の書、不平により成る ものなれば、其れ人為に感ずること尤も深き也。
予、頃(このご)ろ明の陸湘客の『剣掃』なるものを得る。これを読むに、蓋し湘客また一の不平才子也。まさに其の鬱悶を排せんこと を以って此の書を著し出 すべし(出したのだらう)。
自序に云ふ、甲子の秋、京邸に落魄し乃ち手録 するところを出して刻して『剣掃』と曰く、甲子即ち天啓四年(1624)、魏[玉+當](宦官魏忠賢の謂)横 恣(ほしいまま)にして、挙朝(国中みな)婦 人(の様に意気地無き)たりし秋也。
則ち湘客の此書において不平を[寫]すを知るべき也。
此書に輯めたる古人の名言砕語は、部を外れ、奇警は雅潔を剪裁す。
人一たび帙を繙けば手を釈くあたはず、自ら賛して謂ふところ、“快読一過すれば、恍として百 年も幻泡のごとく、世事も棋秤(囲碁あそび)のごとく、向來の傀儡(わだかまり)、 一時に倶に化するを覺ゆ”とは信(まこと)なり。
嗚乎、湘客は不平の人にして、快適の書を為す。また後世の不平の人をして之を読ましむ。
快意此れにあら ずんば何ぞや。
子長(子張:後藤松陰)曰く、古来の書を 著はすは大抵聖賢君子が発憤の為す所なり。
蓋し不平の人に非ざれば不平の情の自ら解くことを知らず。
人皆その要を得るも、固より不足を怪 しむ也。
余、池内士辰(陶所)と謀って曰く、梓して以って世に行は んは今也と。
天下の才子、幸ひに太平極治の運に際す。
而ら ば此の快意の書を読み、ただ應に其れ瑞雲祥烟の紙上に往來するのみを覚ゆるべし。
嘉永六年癸丑(1853)春日、頼醇(三樹三 郎) 真塾にて撰并びに書す。

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武士道より学ぶ!新渡戸稲造の表す思想と陽明学の精神!

今回は2回程に渡って、『武士道』について整理しています。
前回は、『武士道』としての精神性についてでした。
※)『武士道』より学ぶ 大和魂編!ますらをの道を行く

海外の方がイメージとして持っているブシドーと、私達日本人の血脈として流れている『武士道』精神。
そしてその精神が陽明学として息づいていくプロセス。
このあたりの切り口が今回のポイントです。

まずは『武士道』の根幹にある武士の役割からです。

【武士の役割と穢れ】
以前、神道における考え方※)にふれたことがありますが、神道の神は、実は穢れを非常に嫌う存在です。
※)このあたりの整理した内容については、以下を参考にしてください。
 ・神道と仏教 神仏習合って何でしょう?
 ・神道、仏教、儒教 事始め

穢れというのは、諸悪の根源であり、精神的な汚れであり、簡単に洗い流すことができるものではなく、禊やお祓いを行うことでしか取り除くことができないものです。
従って、穢れが付くと神様に嫌われ疎まれることになるため、禊やお祓いをしなければならなくなる訳です。
特に大きな穢れは人の死であり、その穢れに触れると、魂が穢れて大きな不幸を招くと考えられています。
身内に不幸があって喪中に入るということは、穢れが身についているということ。
それを払い落とすには時間を要するため、喪中の間に神社に立ち入ったりハレの場に出ることは、その場を穢すことから嫌われるために、立ち入りを禁止する、という考え方になるのです。
これはあくまで神道としての考え方、信仰によるもので、科学的には一切実体がないものですが、それが存在すると信じている人達にとっては大きな問題です。
穢れとは、神様と同様、信じるものにとっては影響がある宗教的な概念ということなのです。

こうしたことから古来から日本人というものは、穢れを嫌い、穢れていないもの、汚れていないこと、清く正しく美しいものを美徳としてきました。
怨霊なども同義で、これは恨み、妬み、憎しみを具現化したものですから、明らかに穢れたものです。
そして、穢れは禊やお祓いを行うことでしか取り除くことができないものですから、神様の力によって強制的に打ち倒すのではなく、なだめふせた上で祓い、消滅させるのではなく、清い神、正しい神へと変えていこうという発想になっていくのです。

こうした日本人の精神の根底に流れる神道の穢れの考え方ですが、これが古来の戦、戦乱の中においては大きな矛盾を生みます。
それは、戦乱ですから敵が襲い掛かってくれば槍や刀を持って相手を殺傷し、倒さなければなりません。
しかし、人を殺傷するということは、穢れを生み、それは自らに降りかかるということです。
神道の思想がない他国では、こうした穢れの考え方がないので、戦いともなれば自分や家族を守るために自らが剣を持って敵を殺傷するのは当たり前の発想です。
だから、武士、という存在は決して生まれません。
しかし、穢れの考え方のある日本では、位が高くなれば、こうした殺傷行為は他者に任せて、自らは穢れから出来る限り遠い位置に居ようと考える。
そのためには、自分に代わって穢れを引き受ける存在、武士が必要となってくる訳です。

新渡戸稲造の『武士道』】
こうした武士の存在ですが、そのあり方を明確にするために、新渡戸稲造は1899年に刊行された英文『武士道』で、武士(=サムライ)というものを再定義しました。
穢れの考え方以上に必然とされるのは、国家の治安維持のために組織立った軍隊が必要で、戦が起きたときには攻め込んでくる敵を打ち倒さない限り、平和は維持できないという発想です。
それを、国家に対する忠節という言葉で包んでわかりやすく説いたのが『武士道』というものだったと考えられます。
「日本に『武士道』あり」と世界に広く示した新渡戸稲造の『武士道』が、当時の日本人が想像する以上に西洋で受け入れられたのは、サムライの論理が非常に西洋的で、彼らにとってわかりやすく理解しやすい発想だったからに相違ないからでした。

そもそも『武士道』を示した新渡戸は、キリスト教徒の多いアメリカの現実に衝撃をうけ、同時にキリスト教の倫理観の高さに感銘を受けたそうです。
新渡戸は、近代において人間が陥りやすい拝金主義や唯物主義の根っこにある個人主義に対して、封建時代の武士は社会全体への義務を負う存在として認識していたようです。
同時に新渡戸にとっての武士とは、国際社会において日本人の倫理感の高さ、国民一人一人が社会全体への義務を負うように教育されていると説明するのに最適のモデルであったと考えたようです。

『武士道』は成文化された法律という訳ではありませんが、武士が守るべきものであり、道徳の作法です。
つまり、戦士たる高貴な人の本来の職分のみならず、日常生活における規範をもそれは意味しているのです。
日本に『武士道』があるように、ヨーロッパには騎士道がありますが、新渡戸が表現した『武士道』とは「騎士道の規律」であり、「高貴な身分に付随する義務」でした。
そのため『武士道』は、儒教仏教の長所だけを継承していながらも、義を中心にして勇・仁・礼・誠と名誉を深く重んじるのはむしろ騎士道とも共通するところを狙ったのだと思われるのdす。
その影響は欧米に広く行き渡り、アメリカ第26代大統領セオドア・ルーズベルトは、この本に大きな感銘を受け、5人の我が子と、当時の大臣や上下両院の議員などに分配し「これを読め。日本『武士道』の高尚なる思想は、我々アメリカ人が学ぶべきことである」と言ったという逸話まで残っているのです。

更に新渡戸は、『武士道』が日本人の感情生活を支配している二つの特徴をあわせ持っていると述べています。
それは、すなわち忠節という言葉に表される愛国心と主君への忠誠心です。
これらのものは教義というより、その推進力として作用した。というのは、中世のキリスト教の教会とは異なり、神道はその信者にほとんど何も信仰上の約束事を規定しませんでしたが、代わりに行為の基準となる形式を与えたのです。

【『武士道』と陽明学
儒教と『武士道』を比べると、儒教が「仁」を徳目の最上位に置いたのに対し、『武士道』はその中心に「義」を置いています。
そのため、武士の行動基準はすべてこの義を基とし「仁」「義」「礼」「智」「信」の五常の徳を「仁義」「忠義」「信義」「節義」「礼儀」などに読み替えた上で「廉恥」「潔白」「質素」「倹約」「勇気」「名誉」といったものを加えながら、武士の行動哲学としたのです。
そして、これらの道徳律の集大成として、「誠」の徳が最高の位置にすえられたのです。

このように『武士道』とは儒教のアレンジであったとしても、『論語』や『孟子』は武家の若者にとって大切な教科書となり、大人の間では議論の際の最高の拠り所となっていました。
また、知性そのものは道徳的感情に従うものと考えられた『武士道』は、知識のための知識を軽視した知識は本来、目的ではなく、智恵を得る手段であるとしました。
このように知識は、人生における実際的な知識適用の行為「知行合一」と同一のものとみなされていたのです。
新渡戸稲造によれば、日本人の心はこうした王陽明による陽明学の教えを受け入れるために、特に開かれていたといいます。
陽明が人間性の根本に「良知」というものを考えたことは、単なる学説としてみれば一つの理論にすぎません。
しかし、この理論は「知行合一でなければならない」という信念に支えられており、その信念が時代の要求に応じて武士の生き方を規定していったのです。
陽明学※)が極端なまでに精神的なものを持つ理由もそこにありました。
※)陽明学については、以下に幾つか整理したものがありますので、参考にしてください。
 ・朱子学と陽明学の違い、日本陽明学とは!
 ・伝習録より学ぶ!心を統治、練磨することの大切さ!
 ・吉田松陰の命日に想う

そもそも『武士道』なるものは、その人間の生死の関わるところに生まれてきたのです。
”その死が後背に退いたといっても、自分を律する規範がそこで霞むようなことがあってはならない。
 宗教的な信念によるものでなければ、自分の心による絶対的な判断力なのである。”
陽明学はこれを「良知」と名づけ、それを発動することに最高の意味を与えたのです。
生死をかけて武士の道を教える方法が、時代とともに古くなるにつれて、陽明学がそれに代るものとして位置付けられ、当時の日本における精神至上主義を強めていったのです。
明治維新の立役者でもある吉田松陰陽明学を学び、その教えは高杉晋作や久坂玄端を始めとする多くの幕末維新の志士へと受け継がれ、それは西郷隆盛にまで至ります。
明治の時代を切り開いた『武士道』は、その原点は陽明学とともにあったのです。

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王朝物語サーガ:源氏物語の流れを汲む古典文学!

王朝物語は、平安時代後期から室町時代前期にかけて作られた小説・物語群のうち、和文と平仮名表記をもっぱらとし、王朝期の風俗や美意識・文学観念に依拠しつつ製作されたものを指すものです。
これらに共通するのは王朝の風俗を色濃く反映した作り物語フィクションであり、主題は恋にあるという点です。
貴族の男女の恋模様が纏綿たる情緒の中に、あるときは初々しくまたあるときは悲劇的に連綿と綴られて行くもので、当時の教養であった歌(和歌)が物語の随所にちりばめられて興趣を誘うものが多いことが特徴です。

そんな中で原作の物語があるのに、何かの事情から作り改めた物語を改作物語と呼んでます。
更には、原作のほうは散逸し、改作側しか残っていないものも多く、こうした散逸してしまった物語を散逸物語と呼びます。
原作が残っていないということは、そもそもの原作の独自性がどこで、改作でどう手直しされているのかが判断できません。
古典を読む場合、それが原作なのか、改作なのか、散逸なのかを見比べながら読み解くというのも一興です。

こうした王朝物語ですが、源氏物語を始めとして、ある程度メジャーなものは限られており、大半はほどんと省みられることも少ない希少本になっています。
歴史に埋もれがちな王朝物語。
お休みの折などに、こうした古きよき時代の日本文学に触れてみてはいかがでしょうか。

竹取物語
竹取物語』は通称で、『竹取翁の物語』とも『かぐや姫の物語』とも呼ばれる。
かぐや姫が竹の中から生まれたという竹中生誕説話(異常出生説話)、かぐやが3ヶ月で大きくなったという急成長説話、かぐや姫の神異によって竹取の翁が富み栄えたという致富長者説話、複数の求婚者へ難題を課していずれも失敗する求婚難題説話、帝の求婚を拒否する帝求婚説話、かぐや姫が月へ戻るという昇天説話(羽衣説話)、最後に富士山の地名由来を説き明かす地名起源説話など、非常に多様な要素が含まれているにもかかわらず、高い完成度を有していることから物語、または古代小説の最初期作品である。
以下でも少し触れていますので、参考にしてください。
十三夜再び 171年ぶりの「後の十三夜」

伊勢物語
業平の歌物語
『在五が物語』、『在五中将物語』、『在五中将の日記』とも呼ばれる。
ある男の元服から死にいたるまでを数行程度の仮名の文と歌で作った章段を連ねることによって描く。
各話の内容は男女の恋愛を中心に、親子愛、主従愛、友情、社交生活など多岐にわたるが、主人公だけでなく、彼と関わる登場人物も匿名の「女」や「人」であることが多いため、単に業平の物語であるばかりでなく、普遍的な人間関係の諸相を描き出した物語である。

平中物語:
歌物語。
主人公の「平中」は、平安時代中期の歌人平貞文。『伊勢物語』の影響が大きい作品であるが伊勢物語に比べ地文が多いという。

多武峯少将物語 篁物語:
右少将藤原高光が961年(応和元年)8月多武峯に移り、草庵をむすぶまでを、藤原高光と妻(少将敦敏の女)、妹(愛宮)らとのあいだでかわされた和歌を中心に叙する。

宇津保物語:
竹取物語』にみられた伝奇的性格を受け継ぎ、日本文学史上最古の大長編伝奇小説である。
遣唐使清原俊蔭は渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着する。天人・仙人から秘琴の技を伝えられた俊蔭は、23年を経て日本へ帰着した。俊蔭は官職を辞して、娘へ秘琴と清原家の再興を託した後に死んだ。俊蔭の娘は、太政大臣の子息(藤原兼雅)との間に子をもうけたが、貧しさをかこち、北山の森の木の空洞 – うつほで子(藤原仲忠)を育てながら秘琴の技を教えた。兼雅は二人と再会し、仲忠を引き取った。〔俊陰〕
そのころ、源正頼娘の貴宮(あて宮)が大変な評判で求婚者が絶えなかった。求婚者には春宮(皇太子)、仲忠、源涼、源実忠、源仲純、上野宮、三春高基らがいたが続々と脱落し、互いにライバルと認める仲忠と涼が宮中で見事な秘琴の勝負を繰りひろげたものの、結局、あて宮は春宮に入内し、藤壺と呼ばれるようになった。〔藤原の君〜あて宮〕
仲忠は女一宮と結婚し、その間に娘の犬宮(いぬ宮)が生まれた。俊蔭娘は帝に見いだされ尚侍となる。仲忠は大納言へ昇進し、春宮は新帝に、藤壺腹の皇子が春宮になった。〔蔵開・上〜国譲・下〕
仲忠は母にいぬ宮へ秘琴を伝えるようお願いし、いぬ宮は琴の秘技を身につける。いぬ宮は2人の上皇嵯峨院と朱雀院を邸宅に招いて秘琴を披露し、一同に深い感動を与えるシーンで物語は終わる。〔楼上・上〜下〕

落窪物語:原作:落窪おちくぼ物語 改作:落窪の草子
継子いじめの物語
露骨な表現や下卑た笑いもみられることから当時の男性下級貴族であろうと言われている。
主人公は中納言源忠頼の娘(落窪の姫)である。母と死別した落窪の姫は継母のもとで暮らすことになったが、継母からは冷遇を受けて落窪の間に住まわされ、不幸な境遇にあった。しかし、そこに現われた貴公子、右近の少将道頼に見出されて、姫君に懸想した道頼は彼女のもとに通うようになった。姫君は継母に幽閉されるが、そこを道頼に救出され、二人は結ばれる。道頼は姫君をいじめた継母に復讐を果たし、中納言一家は道頼の庇護を得て幸福な生活を送るようになった。

源氏物語
紫式部(詳細は作者を参照)の著した、通常54帖(詳細は巻数を参照)よりなるとされる。写本・版本により多少の違いはあるものの、おおむね100万文字・22万文節400字詰め原稿用紙で約2400枚に及ぶおよそ500名近くの人物が登場し、70年余りの出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む典型的な王朝物語である。物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされる。
以下でも少し触れていますので、参考にしてください。
今日(11/1)古典の日に、源氏物語を読む!

狭衣物語:原作:狭衣物語 改作:狭衣の草子
狭衣中将の恋物語
狭衣大将は、従妹・源氏宮に想いを寄せているが東宮も彼女に懸想しており叶わぬ恋であった。ある時、仁和寺の僧に浚われそうになっていた飛鳥井姫を救出し契りを結ぶ。やがて彼女は身売りされ、瀬戸内海で入水したが救われて出家、狭衣の子を産んで病死。一方で狭衣は女二の宮と誤って契りを結び、宮は彼の子を生んで尼となった。東宮が即位した後、源氏宮は神託により斎院(賀茂神社の巫女)となる。全ての愛人を失った狭衣大将は年長の女一の宮との結婚を余儀なくされる。狭衣は出家を望むが、神託により皇位につくことになる。艶麗な文体で評価が高いが、安易な御都合主義的展開を批判される。

浜松中納言物語:
中国まで舞台の大ロマン
浜松中納言は母と共に左大将の家で養われ、その家の大君と恋に落ちる。ある時、故父宮が唐の皇子に転生していると夢で見て唐に渡り、皇子の母后と契り若宮が生まれる。中納言は若宮を連れて日本に帰ってみると、大君は中納言の子を生んだ後に尼となっていた。中納言は大君と母后の双方への想いで揺れる事になる。唐后の母(故上野宮の娘)は帥の宮との間に吉野姫を儲けており、中納言に姫を託す。その後、唐后が中納言の夢に現われ「死して再び中納言と結ばれるため吉野姫の腹に宿った」と告げた。
三島由紀夫はこの『浜松中納言物語』に強く惹かれて、輪廻転生をテーマとした『豊饒の海』を執筆したと言われている。
※)豊饒の海に関しては、こちらも参考にしてください。
 ・三島由紀夫!豊饒の海に織り込められた人間の姿!
※)『浜松中納言物語』については、別途整理したいと思います。

夜半の寝覚:原作:夜の寝覚(一部散逸) 改作:夜の寝覚物語
寝覚めの君の恋物語
関白左大臣の子・中納言は、源氏の大臣の大君と結婚するが、その妹である中の君と契り中の君は女の子を産む。彼女は姉・大君に遠慮して父の元に姿を隠し、やがて老関白の後妻として男児(実は中納言の子)を生む。一方、中納言は大君病死後に後妻として朱雀院の女一の宮を迎える。老関白の娘が入内し中の君も後見として宮中に入るが、冷泉帝は娘より中の君に言い寄る。現世に嫌気がさした中の君は出家を思うが、その後も息子が冷泉帝の女二の宮と恋愛騒動を起すなどで出家が叶わない。一女性を中心にストーリーを描いた作品。

とりかへばや物語:原作:とりかへばや(散逸) 改作:今とりかへばや
男女取替えのお色気小説
大納言の二人の子はそれぞれ男女逆として育てられる。中納言(女君)は右大臣の四の君と結婚するが、四の君は宰相中将と密通して懐妊しこれを知った中納言は苦悩。その中納言も宰相中将に女と知られ彼の子を妊娠。一方で尚侍(男君)は女東宮と通じ妊娠させてしまう。そのため兄妹は相互に入れ替わり、尚侍(女君)は女東宮の子を産み中納言(男君)は四の君と夫婦生活を送る。宰相中将の人物描写が浅薄との批判がある。

堤中納言物語
10編の短編物語および1編の断片からなる短編小説集
10編の物語の中のいずれにも「堤中納言」という人物は登場せず、この表題が何に由来するものなのかは不明。複数の物語をばらけないように包んでおいたため「つつみの物語」と称され、それがいつの間にか実在の堤中納言藤原兼輔)に関連づけられて考えられた結果として堤中納言物語となった、など様々な説がある。

栄花物語
仮名文による歴史物語。女性の手になる編年体物語風史書。
六国史の後継たるべく宇多天皇の治世から起筆し、摂関権力の弱体化した堀河朝の寛治6年2月(1092年)まで、15代約200年間の時代を扱う。藤原道長の死までを記述した30巻と、その続編としての10巻に分かれる。

今昔物語:
日本のアラビアンナイトと呼ばれる説話集。全31巻(8巻・18巻・21巻は欠損)
編纂当時には存在したものが後に失われたのではなく、未編纂に終わり、当初から存在しなかったと考えられている。また、欠話・欠文も多く見られる。
天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の三部で構成され約1000余りの説話が収録されている。各部では先ず因果応報譚などの仏教説話が紹介され、そのあとに諸々の物話が続く体裁をとっている。
いくつかの例外を除いて、それぞれの物語はいずれも「今昔」という結びの句で終わる。
その他の特徴としては、よく似た物話を二篇(ときには三篇)続けて紹介する「二話一類様式」があげられる。

松浦宮物語:
少将氏忠は幼馴染であるかんなびの女王に恋慕し菊の宴の夜に契りを結ぶが、やがて女王は入内し少将は遣唐副使として渡唐。唐では帝から信任を受け、ある夜に帝の妹・華陽公主より琴の秘曲を伝授される。二人は惹かれあい後日に契るが、水晶の玉を形見に公主は没した。帝の病没後、皇弟が反乱し少将は新帝・母后を連れて蜀に逃れ乱を治める。その後、正体不明の女性と契りを結ぶ。女性の正体は母后であり、少将は天童・母后は天衆で阿修羅退治の為に天から下されたと秘密が明かされ鏡が形見として渡される。帰国した少将が玉をもって法要を行うと華陽公主が蘇り再会。そんなある日、鏡をのぞいてみると母后の姿が見えた。

いはで忍ぶ物語:
全8巻の長編物語と見られるが、現存するのは第1巻・第2巻のみ。『源氏物語』『狭衣物語』の影響が濃い。
内大臣と関白の恋の鞘当て、そして右大将(関白の息子)の悲恋と出家を描く。
内大臣は先帝一条院の皇子で関白太政大臣の養子となっているが、一品宮(時の帝である白河帝の第二皇女)と結婚し、一男一女をもうけている。二位中将(後の関白)は母によく似た一品宮を恋慕し、「いはでしのぶ」嘆きに沈んでいた。
内大臣はある時、異母兄・伏見入道の二人の娘、大君・中君と知り合う。入道の希望で内大臣は姉の大君を妻にするが、白河帝によって大君を奪われてしまい、一品宮も誤解から父白河帝に連れ戻されてしまう。その後一品宮は出家し、最愛の一品宮を失った内大臣は悲嘆のうちに病死した。
一方、関白(二位中将)は一品宮の面影を求めて、大君・中君姉妹のみならず斎院(伏見入道の妹)とも密通する。大君は嵯峨帝(白河帝の子)に寵愛され皇后となり、中君は関白との間に若君をもうけて妻となった。また斎院も男子(後の右大将)を産んだが、一品宮に我が子を託して死去、関白を悲しませた。
その後嵯峨帝に皇子がないことから、内大臣と一品宮の息子が嵯峨帝の養子となり、今上帝として即位する。母一品宮は女院となり、妹宮(二品宮)は関白の北の方となった。また関白と斎院の子・右大将も二品宮を恋慕していたが、思い叶わず失意のうちに出家した。

風につれなき物語:
擬古物語鎌倉時代屈指の長編物語と考えられるが、現在は冒頭の、しかもストーリーを短縮して編集したとおぼしき1巻のみが現存する。
題名の由来は不明だが、男君たちに対する女主人公の「風につれなき」態度を表したものと考えられている。病気・死・出家の描写や世のはかなさを嘆く歌が多いことから、『源氏物語』特に宇治十帖の影響を色濃く受けている。
故関白には長男の関白左大臣次男の右大臣左大将・長女の大宮(吉野帝の母)・次女の式部卿宮北の方がいる。兄関白には2人の美しい娘がおり、長女(姉姫)は弘徽殿女御として吉野帝に入内して寵愛を受け、やがて中宮となる。弟右大臣には三位中将・藤壺女御などの子供がいる。その後、藤壺女御(弟右大臣の娘)が吉野帝の子を懐妊するが、皇子誕生を願う弟右大臣の熱心な祈祷もむなしく、生まれたのは皇女(女一の宮)だった。4年後、関白の次女(妹姫)は美しく成長し、吉野帝と権中納言(もとの三位中将)から好意を寄せられるがつれなく拒絶する。その後、弘徽殿中宮は皇子(堀川帝)を産むが、妹姫に皇子の養育を頼んで崩御する。吉野帝は残された妹姫に入内を催促し、また権中納言も妹姫に言い寄るが、皇子の養育に専念する妹姫はつれない態度を崩さない。
その後の部分は現存しないが、『風葉和歌集』に収録された和歌の内容から妹姫は独身のまま皇子(堀川帝として即位する)の准母として女院となったらしい。

宇治拾遺物語
今昔物語集』と並んで説話文学の傑作とされる。全197話、15巻から成る。
日本、天竺(インド)や大唐(中国)の三国を舞台とし、「あはれ」な話、「をかし」な話、「恐ろしき」話など多彩な説話を集めたものであると解説されている。ただ、オリジナルの説話は少なく、『今昔物語集』など先行する様々な説話集と共通する話が多い。
貴族から庶民までの幅広い登場人物、日常的な話題から珍奇な滑稽談など幅広い内容の説話を含む。
収録された説話の内容は、大別すると次の三種に分けられる。
仏教説話(破戒僧や高僧の話題、発心・往生談など)
・世俗説話(滑稽談、盗人や鳥獣の話、恋愛話など)
・民間伝承(「雀報恩の事」など)

住吉物語:原作:(散逸) 改作:住吉物語
住吉物語は元来は落窪物語と同様に源氏物語に先行して作られたものであるが、後世に改作されたといわれる。
母を失い父・中納言のもとで育てられる姫君に四位少将が求婚するが、継母が妨害し自分の娘と少将を結びつける。一方で父は姫君の亡母との約束通り姫君の入内を図るが継母は法師と姫君密通の噂を巻き阻止する。そこで左兵衛督との結婚が持ち上がるが継母は老人である主計頭に姫君を盗ませようとしたため、姫君は乳母子と共に亡母の乳母が隠棲している住吉に脱出した。一方で中将(かつての少将)は姫君を忘れられず夢で姫君の居場所を知り住吉に赴き再会。二人は都に戻って結婚する。

無名草子:
鎌倉時代初期の評論。藤原俊成女という女性の立場から述べる王朝物語で、日本の散文作品に対する文芸評論書としては最古のものである。
そこでは、源氏物語のみならず上記のような物語、更に散逸した多くの物語について論じられ、物語の筋、文章の質、ヒロインや主人公の性格・心理描写などについて批評されている。中には作り直しを推奨される物語すらあり、しばしば過去作品のリメイクが行われた事が示唆される。
これは散逸物語の研究資料としてのみならず、中世初期における人々の中古文学享受史が伺える貴重な作品である。

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旧約聖書:エクソダス 神と王をきっかけにして。

映画『エクソダス:神と王』の舞台は紀元前1300年のエジプト。
最強の王国として名をはせるエジプトの王家に養子として迎えられて育ったモーゼは、兄弟同然のような固い絆で結ばれていたはずのエジプト王ラムセスと袂を分かちます。
その裏には、苦境に立たされている40万にも及ぶヘブライの人々を救わねばならないというモーゼの信念があったのです。
そして、彼らのための新天地「約束の地」を探し求めることに。過酷な旅を続ける一方で、彼はエジプトを相手にした戦いを余儀なくされていくことに。。。

今から58年前。チャールトン・ヘストン扮するモーゼと、ユル・ブリンナー扮するラムセスで話題となった『十戒』とう映画がありました。
子供の頃にテレビで見て驚いた壮大な時代背景の物語が、『ダークナイト』でバットマンに扮していたクリスチャン・ベイルのモーゼと、『華麗なるギャツビー』でデイジーの夫役だったジョエル・エドガートンのラムセスで蘇ってきます。


監督は、『エイリアン』『ブレードランナー』『ブラック・レイン』『グラディエーター』のリドリー・スコット
旧約聖書出エジプト記に登場する、モーゼのエピソードをベースにした来年早々(2015年1月30日)公開のアドベンチャームービーですが、せっかくならモチーフが聖書なだけに年末のこの時期に公開すればよかったのに、と思わざるを得ません。

そんな旧約聖書ですが、出エジプト記だけでなく壮大なる物語がてんこ盛りです。
もっとちゃんと知りたい!美しい絵画でおさらい【旧約聖書】
ちなみにざっと目次だけ見ても、ひとつの章だけで十分一本の映画が取れそうなスケール感ですよね。
※)それぞれのについては、いずれ少しずつにでも整理していこうとは思っています。
ですので、ユダヤ教キリスト教に関わりがない方でも、世界最古の文献のひとつとして、興味がある章から読み解いてみてはいかがでしょうか。
映画『エクソダス:神と王』が、そんなきっかけとなればいいですね。

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旧約聖書 目次」

【【律法の書】】
【創世記】
天地創造と原初の人類
天地創造 1章
アダムとイヴ、失楽園 2章 – 3章
カインとアベル 4章
ノアの方舟 5章 – 11章
バベルの塔 11章
・太祖たちの物語
アブラハムの生涯 12章 – 25章
ソドムとゴモラの滅亡 18章 – 19章
イサクをささげようとするアブラハム 22章
イサクの生涯 26章 – 27章
イスラエルと呼ばれたヤコブの生涯 27章 – 36章
・ヨセフの物語
夢見るヨセフ 37章 – 38章
エジプトでのヨセフ 38章 – 41章
ヨセフと兄弟たち 42章 – 45章
その後のヨセフ 46章 – 50章

出エジプト記
・エジプト脱出
ヤコブ後のエジプトにおけるユダヤ人の状況(1章)
モーセの物語(2章 – 4章)
ファラオとの交渉と十の災い(5章 – 11章)
民のエジプト脱出と葦の海の奇跡(12章 – 15章)
シナイ山への旅(16章 – 19章)
・神と民の契約
十戒の授与(20章)
契約の書(20章 – 23章)
契約の締結(24章)
幕屋建設指示とその規定(25章 – 28章)
儀式と安息日の規定(29章 – 31章)
金の子牛(32章 – 33章)
戒めの再授与(34章)
安息日と幕屋の規定(35章 – 39章)
幕屋の建設(40章)

レビ記
・祭司の規定
献げ物に関する規定(1章~7章)
アロンの故事とそれにちなむ祭司の聖別などの規定(8章~10章)
清浄と不浄に関する規定(11章~16章)
・神聖法集
献げ物と動物の扱いに関する規定(17章)
厭うべき性関係に関する規定(18章)
神と人との関係におけるタブーに関する規定(19章)
死刑に関する規定(20章)
祭司の汚れに関する規定(21章)
献げ物に関する規定(22章)
祝い日に関する規定(23章)
幕屋に関する規定(24章1-9節)
神への冒涜などに関する規定(24章10-23節)
安息年とヨベルの年に関する規定(25章)
偶像崇拝の禁止と祝福と呪いに関する規定(26章)
誓いと関係する献げ物の規定(27章)

民数記
シナイ山における人口調査と出発に至るまでの記述、ナジル人など種々の規定
1章 シナイの荒野における人口調査、レビ人の務め
2章 幕屋と宿営地に関する神の指示
3章 レビ人の祭司としての職務
4章~6章 レビ人の氏族の調査、汚れやナジル人に関する規定
7章~9章 祭壇の奉献と聖所の祝別
シナイ山からモアブにいたる道中の記述、カナンへの斥候の報告にうろたえる民の姿
10章~12章 イスラエルの民の荒れ野の旅と不満、モーセを蔑ろにしたアロンとミリアムへの罰
13章~14章 カナンを偵察した斥候の報告と民の嘆き
15章~17章 コラの反逆、アロンの杖
18章~19章 アロンの子孫とレビ人の祭司としての役割
・カナンの民との戦い、ヨルダン川にたどりつくまで
20章~21章 メリバの出来事、ミリアムとアロンの死、カナン人アラドの王の死、青銅の蛇による罰、アモリの王シホンとオグとの戦い
22章~24章 バラクとバラムの物語、バラムとろば
25章~27章 カナン入りを前にした人口調査。後継者ヨシュアの任命
28章~29章 献げ物に関する規定
30章~32章 ミディアンへの勝利、逃れの街の規定
33章~36章 エジプトを出てからの旅程、イスラエルの嗣業の土地、レビ人の町、相続人が女性である場合の規定

申命記
・第1の説話(1章~4章)
40年にわたる荒れ野の旅をふりかえり、神への忠実を説く。
・第2の説話(5章~26章)
前半の5章から11章で十戒が繰り返し教えられ、後半の12章から26章で律法が与えられている。
・最後の説話(27章~30章)
神と律法への従順、神とイスラエルの契約の確認、従順なものへの報いと不従順なものへの罰が言及される。
・32章1節~47節
モーセの歌』といわれるものである。
・33章
モーセイスラエルの各部族に祝福を与える。
・32章48節~52節および34章
モーセの死と埋葬が描かれて、モーセ五書の幕が閉じられる。

【【歴史の書】】
ヨシュア記】
ヨシュアによる占領(1-11章)
・土地の配分(12-21章)
・シケム契約(22-24章)
士師記
・時代背景(1:1-3:6)
・士師たちの活躍(3:7-16章)
・ダン族の定住(17-18章)
・ベニヤミン族の討伐(19-21章)
【ルツ記】
【サムエル記 第Ⅰ】
【サムエル記 第Ⅱ】
【列王記 第Ⅰ】
【列王記 第Ⅱ】
【歴代誌 第Ⅰ】
【歴代誌 第Ⅱ】
エズラ記】
【ネヘミヤ記】
エステル記】

【【【詩書】】】
ヨブ記
詩篇
箴言
伝道者の書
雅歌

【【【大預言書】】】
イザヤ書
エレミヤ書
哀歌
エゼキエル書
ダニエル書

【【【小預言書】】】
ホセア書
ヨエル書
アモス
オバデヤ書
ヨナ書
ミカ書
ナホム書
ハバクク
ゼパニヤ書
ハガイ書
ゼカリヤ書
マラキ書

【【旧約聖書続編】】
トビト記
ユディト記
エステル記(ギリシャ語)
マカバイ記 一
マカバイ記 二
知恵の書
シラ書〔集会の書〕
バルク書
エレミヤの手紙
ダニエル書補遺 アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌
スザンナ
ベルと竜
エズラ記(ギリシャ語)
エズラ記(ラテン語
マナセの祈り

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孝経より学ぶ!生きていくために大切にすべきもの!

『孝経』は、曽子の門人が孔子の言動をしるしたという中国の経書七経のひとつです。
儒教の根本理念である孝を述べ、つぎに天子、諸侯、郷大夫、士、庶人の孝を細説し、そして孝道を実践するための具体的内容を説く、全1巻18章からなる書物です。
七経は、儒教における7種類の経典のことで、本来は詩経書経易経礼記(『大学』・『中庸』を含む)・楽経・春秋・論語の7種類を指していましたが、後漢以後既に散逸していた楽経に代わって孝経を入れた7種類を指すようになっています。
そんな『孝経』です。

孔子は家庭・宗族内の道徳である「孝」や「弟」(弟の兄に対する道徳)を重視しこの実践こそ「仁」を具現する大元となるもので、親や身内への孝弟、そしてそれを他人にまで及ぼしていくとき、仁愛の理想世界が現出すると説きました
結果「孝弟」は、儒家の道徳思想と人倫の根本をなす概念となっています。
「孝」の実践については『礼記』『論語』『孟子』でも説かれていますが、『孝経』はこれを巧みに社会関係や祖先との関係にまでおし広げて論理化してあります。
つまり「孝」とは、
・親に仕えて孝養をつくすとともに君主に仕えて国家社会に業績を残し、それによって自らの名声とともに家名をも揚げて先祖を顕彰することである。
・「孝」は親と子の問題であり、君と臣との関係であり、先祖と子孫とを結ぶ行為でもある。
としたのです。
孔子を始めとする儒家が「孝」を道徳思想の根本とするのは、儒家の道徳が本来宗族主義道徳であり、この家族の秩序を維持することが、ひいては国家社会の秩序を維持する根本の道であると考えたからです。
よって「孝」は家族の秩序維持の原理であると同時に国家社会のそれであり、道徳の原理であると同時に政治のそれでもあったのです。
要は、「孝」を最高道徳、治国の根本とした訳ですね。
しかし「孝」を封建的道徳と考え、親が子に服従を強制するかのような概念を持つのは誤りで、孝経には親の不義に対しては厳しく諫言すべきであると説いているのです。

こうした儒教の思想を新たに解釈したのが陽明学です。
日本の陽明学者である中江藤樹は「翁問答」で
「人間千々よろづのまよひ、みな私よりおこれり。わたくしは、我身をわが物と思ふよりおこれり。孝はその私をやぶりすつる主人公」(エゴイズムからの自己の解放は、宇宙的な生命との合一によるが、その手がかりは、父母から始祖、始祖から天地、天地から太虚というように自己の生命の根源に思いを致すことであり、その起点として孝がある)と解釈しました。
※)「翁問答」については、先般の整理したものも参考にしてください。
 ・翁問答より学ぶ!心学の提唱・明徳と普遍道徳・全孝について
こうして日本における「孝」は無限の広がりを持つものとされ、肉体の死生を超越する主体の強さの根拠として新たに解釈されていったのです。

そんな『孝経』ですが、日本人は漢書の渡来以前より「孝」を重視し、皇室・将軍家・武士・寺子屋では、漢籍の習い始めに用いていました。
今は核家族が進み、親が孝行の生きた手本を示す場が少なくなってきています。
友達感覚の親子を渇望し、挙句にそれぞれが孤と化していく家庭が増えていることも事実です。
しかし、家族は楽しいだけの場ではなく、生涯を通じて礼節を学び、祖先を敬いながら、子孫のために良き先祖となるべく精神の持続を共有化する運命共同体であるはずです。
動物の世界では、子が成長すれば親からの離脱・絶縁となりますが、人は子の成人後も絆を保ち、祖先から子孫への命脈を大切にする生き物。
動物的な生き方は、いずれ滅びるしかない道です。
人として生きていくために大切にすべきものは何か、『孝経』から学びとることも必要ではないでしょうか。

ご一読してみてください。

以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。

【開宗明義】
独座する孔子の側に曾子が来て侍座した。 孔子が言った。 先王に至徳要道有り、無為自然にして天下を安んじ、民は相親しみて和睦す、上下共に怨みを生ずる無し。 お前はこれを知るか、と。 曾子は席を退き、慎んで答えて言った。 私は明敏ではありません。 どうしてその真意を知るに足りましょうか、と。 孔子が言った。 孝とは徳の本であり、教えに由りて生育されるものである。 戻って座るがよい、お前にその真意を教えよう。 そもそも我が身体、髪、皮膚、ありとあらゆるものは、父母より受けたるものである。 これを一時の惑いに失うこと無く、その生を尽くして全うするは、孝の始めである。 身を修めて道を行ない、名を後世に揚げて敬せらるに至る、このようにして父母を顕し先祖を讃えるに至らしめるは、孝の成就である。 孝というものは親に事えるに始まり、君に事えて全うし、身を立てて終える。 故に詩経の大雅にはこう詠われている。 汝の祖先の道を尊ぶべし、その徳を継ぎて修め帰す、と。

【天子】
孔子が言った。 親を愛する者は、人を悪むことは無く、親を敬する者は、人を侮ることは無い。 愛敬を親に事えるに尽すの心を以て、全てに推し広げる、さすれば徳教は天下万民へと自然にして満ち溢れ、世々これを則として背くこと無し。 これを天子の孝という。 故に書経の呂刑にはこう述べられている。 一人慶び有らば、天下万民これを幸むる、と。

【諸侯】
上の位に在りて驕ることが無ければ、如何なる高位に在ろうとも危いことは無く、礼節を持して仁政を施せば、如何に満ちようとも溢れることは無い。 高位にして危き無きは、長く貴きを守る所以であり、満ちて溢れざるは、長く富を守る所以である。 人君が謙徳によりて貴きを守り、仁政によりて富を守らば、国家安泰にして人民安んず。 これを諸侯の孝という。 故に詩経の小旻篇にはこのように詠われている。 戦戦兢兢として深き淵に臨むが如く、薄氷を踏むが如し、と。

【卿大夫】
礼儀に適いたる衣服に非ざれば敢えて服せず、礼儀に適いたる言葉に非ざれば敢えて言わず、徳行に根ざしたる行いに非ざれば敢えて行なわず。 この故に曖昧な言葉を発さず、妄りに為さずしてその為すべき所を定む。 言葉を発すれば天下に満ちて人々はこれを是とし、実行すれば天下に満ちて人々はこれを嘉す。 言行一致し表裏相応じ、民これを受けて喜ばざる無く、故によくその禄位を保ち、その宗廟を継ぎて絶やすこと無し。 これを卿大夫の孝という。 故に詩経の蒸民篇にはこのように詠われている。 常に己を修めて倦むこと無し、以て一人に事ふ、と。

【士】
父に事えるの心を以て母に事える、そこに生ずる愛は同じ。 父に事えるの心を以て君に事える、そこに生ずる敬もまた同じ。 故に母にはその愛を取り、君にはその敬を取る。 そして愛敬を兼ねるは父である。 故に親に事えるの孝を以て君に事えれば忠であり、敬を以て年長に事えれば順となる。 忠順を失わずして上に事えるの道を全うす。 故によく禄位を保ち、その先祖の道を継いで失うこと無し。 これを士の孝という。 故に詩経の小宛篇にはこのように詠われている。 朝早く起きて夜更けに寝る、汝の先祖を恥かしむること無かれ、と。

【庶人】
天道は四時違えず、故に人はこれに則りこれを用いる。 地勢の豊饒に各々利あり、故に人はこれに則りこれに因る。 四時に違えず、地勢に適いて農事に勤め、身体万全にして節倹に努む。 このようにして父母を養うを得るは、庶民の孝である。 これら上は天子から下は庶民に至るまで、孝の道を全うせずして患いの及ばざる者を、私は未だかつて聞いたことがない。

【三才】
曾子が言った。 なんと甚だしきものでしょうか、孝の偉大なることは、と。 孔子が言った。 孝というものは、天道に適い、地義に宜しく、民をして善に帰せしむるものである。 天地の常道にして、民はこれに則りこれを行なう。 天道四時明らかに、地勢豊穣これ則り、故に天下は自然にしてこれ治まる。 故にその教化は粛ならずして成り、その政事は厳ならずして治まるのである。 先王が自然にして民を化するを得たる所以はここにある。 必ず博愛の心を以て先と為すが故に、自然と人々にその親を敬愛して忘れざる心が生じ、必ず徳義を以てこれを為すが故に、自然と人々に行善の心が生じ、必ず敬譲の心を以て先と為すが故に、自然と人々は譲って争い生ぜず、これを導くに礼楽を以て為すが故に、自然と人々は和睦して相親しみ、これを示すに善悪邪正を明らかにするが故に、自然と人々は禁不禁の境を知りて堅くこれを守るようになる。 故に詩経の節南山にはこのように詠われている。 赫赫たる大師の尹氏よ、民は汝の姿を臨み見ている、と。

【孝治】
孔子が言った。 古代の明王の孝を以て天下を治むるや、爵位ある者に対してはもとより、小国の臣下に対しても礼を遺れず、故に万国の嘉する心を得て、以てその先王に事えるを得た。 国を治むる者は、国用を勤める者はもとより、決して孤独で身寄り無き者を侮らず、故に天下万民の嘉する心を得て、以てその先君に事えるを得た。 家を治むる者は、妻子に対してはもとより、決して使用人に対しても親しみを失わず、故に家人の嘉する心を得て、以てその親に事えるを得た。 これは当然の帰結である。 故に生ずれば祖宗これに安んじ、祭らば鬼神これを享けて守らざるなく、これを以て天下は和平を得て、災害生ぜず、禍乱も起らず、明王の天下を治むること、孝を以てなすが故に、万事がこの通りであったのである。 故に詩経の抑篇にはこのように詠われている。 覚なる徳行有れば、四方の国々自ずから順ふ、と。

【聖治】
曾子が言った。 敢えて問いますが、聖人の徳というものは、少しも孝に加えるところがないのでしょうか、と。 孔子が言った。 天地の生ずるところ、人を貴しと為し、人の行なうところ、孝より大なるはなし。 孝は父を尊び敬するより大なるはなく、父を尊ぶは天に配するより大なるはなし。 周公旦はその大なるを為した人である。 昔、周公旦は祖宗である后稷を郊祀して天に配し、父たる文王を明堂に宗祀して、以て上帝に配した。 これを以て諸侯は、各々職分を務めて善く治め、祭祀の助けとしたのである。 これ孝治の至りにして天に通じ、故に聖人の徳といえども加えるところなし。 故に生まるれば親しみを以て父母を養い、日々に尊びて敬すれば、これを孝という。 聖人は厳によりて敬を教え、親によりて愛を教える。 聖人の政教たるや、厳粛ならずして自ずから通ずるは、その因るところの者、本なるが故なのである。

【父母生績】
父子の道は自然にして来たるところであり、その関わりは君臣の義に同じ。 父母ありて我れ生ず、その志を継いで子孫連綿に至らしめるや、これより大なるはなし。 敬親の道を以てこれに臨む、その厚恩たるや、これより重きはなし。 故にその親を愛せずして他人を愛する、これを悖徳といい、その親を敬せずして他人を敬する、これを悖礼という。 その行うところ順を以てすれば民は自然にしてこれに従い、逆を以てすれば民の従うこと自然ならず。 自然ならざれば善に在らず、たとえ治めるを得るも皆な凶徳にして、故に君子は貴ぶことなし。 君子は自ずから然るところを貴びて形迹生ぜず、言は道うべくして道い、行は行うべくして行い楽しむのみ。 その徳義を尊び、事を興すに違うことなく、その身を以て手本となし、その進退挙措の通ぜざるなし。 これを以て民に臨めば、人々畏敬して親愛し、その為すところに則りて習わざるはなし。 故に普くその徳教に感化され、その政令に従いて通ぜざるなし。 故に詩経の鳲鳩篇にはこのように詠われている。 淑人君子、其の儀忒はず、と。

【紀孝行】
孝子の親に事えるや、父母居らばこれを敬し、父母を養えばその心に叶い、父母病めばこれを憂い、父母死さばこれを哀しみ、父母を祭祀せば厳にして安んず。 故にこの五者を備えてはじめて、その親に事えるという。 親に事える者は、上に在りて驕ることなく、下に在りて乱すことなく、衆と在りて争い生ぜず、必ず和して皆な親しむ。 もし上に在りて驕らば亡び、下に在りて乱せば刑せられ、衆と在りて争えば終には禍その身に及ぶ。 故にこの三者を除かざれば、日々に三牲の養いを以てその親に尽くすと雖も、不孝という。

【五刑】
古代に入れ墨の刑より死罪に至るまで五刑あり、その罰の種類は三千あれども、罪の大なること不孝に過ぎたるは無し。 私欲を専らにして主君に求める者は節操あらずして順逆違い、心に反らずして聖人を誹る者は道心あらずして天理に悖り、愛敬存せずして孝子を誹る者は孝道あらずして人情に悖る。 これを大乱の道という。

【廣要道】
民に親愛を教えるには孝の道より善きはなく、民に礼順を教えるには弟の道より善きはなく、風俗を正へと帰するには楽の道より善きはなく、君を安んじ民を治めるには礼の道より善きはなし。 礼の本は敬あるのみ。 故にその父を敬うは子の喜びとなり、その兄を敬うは弟の喜びとなり、その君を敬うは臣の喜びとなる。 一人を敬して人々これを嘉す、その敬うところ少なくして悦ぶところの者多き、これを要道という。

【廣至徳】
君子の人々を教化するに孝を以てするや、家々を訪れてこれに教えるには非ずして自らの身を以てこれに示すのである。 教えるに孝の道を以てするは、天下の人がその父を敬うに至る所以であり、教えるに弟の道を以てするは、天下の人がその兄を敬うに至る所以であり、教えるに臣の道を以てするは、天下の人がその君を敬うに至る所以である。 故に詩経の大雅泂酌篇にはこのように詠われている。 愷悌の君子は、民の父母なり、と。 至徳に非ずんば、どうして民を和順せしむることの、かくのごとくに大なる者があるだろうか。

【應感】
古の明王は、その父に事えて孝、故に天に事えて明、その母に事えて孝、故に地に事えて察、長幼その順を尊びて上下乱れず、天地に明察なるが故に神明に達す。 故に天子と雖も尊ぶ所あり、これその父あるをいう。 必ず先んずる所あり、これその兄あるをいう。 宗廟を敬するに至るは、その親しみを忘れぬが故であり、身を修め行を謹むは、先祖を尊びてその名を貶めるを恐れるが故である。 宗廟を敬して誠なれば、先祖御霊に自ずから通ず。 孝弟の至りは神明に通じ、天下四方に普く広がり、通ぜざる所無し。 故に詩経の大雅・文王有声篇にはこのように詠われている。 四方皆な来たりてその徳に感ず、心より服せざるは無し、と。

【廣揚名】
君子のその親に事えるや必ず孝、故に君に事えるや必ず忠、その兄に事えるや必ず弟、故に長者に事えるや必ず順、家に居らば家人自ずから和し、故に官職を得れば天下和順し定まらざるところなし。 その行を自ら修めて世に示す、故に後世、その名を尊びて敬わざるは無し。

【閨門】
家に在りても礼を失せず、親を貴ぶは君に事えるの基となり、兄を尊ぶは長に事えるの基となる。 妻子は国にあっては役人のごとく、臣妾は国あっては人夫のごとし。

【諌諍】
曾子が言った。 慈愛を存し恭敬を持し、親の心を安んぜしめ、身を立てて祖宗の名を称揚す、かくのごとき者を孝という、と私は聞いております。 敢えて問いますが、父の命に従うことを孝というべきでありましょうか、と。 孔子が言った。 何の言ぞや、何の言ぞや、道理に通ぜざる言葉よ。 昔から、天子に争臣が七人居れば、無道であってもその天下を失うことはなく、諸侯に争臣が五人居れば、無道であってもその国を失うことはなく、大夫に争臣が三人居れば、無道であってもその家を失うことはなく、士に争友が居れば、身はその名声に背くことはなく、父に争子が居れば、身は不義に陥ることはない、という。 故に不義に当たれば、子は父に争うべきであるし、臣下は主君に争うべきである。 不義に当りてこれを争う、父の命に従うのみならば、どうして孝となせようか、と。

【事君】
君子の主君に事えるや、進んでは忠を尽くさんことを思い、退きては過ちを補わんことを思う。 その嘉すべきところがあれば受けてこれに従い、その改むべきところがあれば未然に補いて増益す、故に上下和して親しまざるはなし。 故に詩経の隰桑篇にはこのように詠われている。 愛を心にすれば、遠近親疎の隔て無く、中心に蔵して忘ること無し、と。

【喪親】
孝なる者のその親の喪に服するや、哀しむこと声を失い、喪に勝えずして進退及ばず、言葉を発すれば清音あらず、美服を着るも安らかならず、音楽を聞くも楽しからず、甘きを食すも味を感ぜざるは、これ哀戚の情である。 喪に服して三日にして食するの決まりを設け、親しき者の死によってその生を損なわせず、身はやせ細るともその性命を滅せざるように教えるは、聖人の政である。 喪に服すること、三年を以て最長の期間とするは、民に喪に服することの終わりあるを示すためである。 死者の為に柩を設け、死装束を作り、心を尽してこれを挙げ、供え物を捧げて勧めるも、応答あらざるを以ての故に、その死をまた感じて哀戚し、胸を叩き地を踏んで声をあげて泣き、哀しんで柩と共に逝くを送り、その柩の置くべきところを卜して安置し、宗廟をおこして鬼を以てこれを祭り、春秋に祭祀して、時を以てこれを思う。 生あらばこれに事えて愛敬を尽くし、死せばこれに事えて哀戚已まず。 生きる者の本分を尽くし、死生の義を備えて已むこと無し、こうであって初めて孝たるの道は、その親に事えるの全きを得るのである。

孝経(終)

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預言書・讖書:中国七大予言書のひとつ『推背図』について

古来から預言書の類のものは玉石混交で、政情不安になる周期においてはたびたびブームとなりますが、今回はそんな預言書について整理してみたいと思います。

その上でまずは大事な前提です。

予言はあくまで予言。
その中身を盲信したり、鵜呑みにするのではなく、自らの力で読み解き、あくまで先を予測するための要素のひとつとして捉え、客観的にしてかつ論理的に解釈することが肝要です。
未来は自ら変えていけるもので、文字に書かれた内容だけで自分の人生をコントロールされたり、思考停止に陥っては本末転倒。
自ら思考することを放棄することなく、また予言の内容を参考にしながらどう変えていくかといった観点を大事にしてください。

そこで本題に戻ります。

数ある予言書の中、有名なところでいうと、新約聖書の『ヨハネ黙示録』、ミシェル・ノストラダムスの『諸世紀』(いわゆる「ノストラダムスの大予言」です)、韓国・南師古の『格庵遺録』、古代インディアンの『ホビー大予言』、そして日本でも聖徳太子の『未来記』や岡本天明の『日月神示』等がありますが、中国でも非常に有名な七大予言書というものがあります。

・周時代の姜子牙著『万年歌』
三国時代諸葛孔明著『馬前課』
・唐時代の李淳風・袁天網共著『推背図』
・李淳風著『蔵頭詩』
・唐時代の黄蘖著『黄蘖禅師詩』
・宋時代の邵康節著『梅花詩』
・明時代の劉伯温著『焼餅歌』
の七書が中国の七大予言書ですが、これらは的中率が高かったために禁書となったり、著者を殺害するなど、非常に血なまぐさい歴史があり、また完本の形でないものもあります。
中でも唐の時代、七世紀に書かれた李淳風・袁天網共著の『推背図(すいはいず)』は完本の形で残っている数少ない予言書ですが、中国歴代王朝の支配者が読んだ際にあまりに的中率が高い予言書であったため、宋代の太祖は世を乱す妖書として禁書にしてしまうほどの門外不出の機密文書でした。
ちなみに「推背図」の推背とは、「背中を推す」という意味ですが、この「背中を推す」が何を意味しているのかは、諸説があります。
著者の袁と李の両人が予言を終えて一休みしようと互いに促しあって背を推したとも、「未来に向かって背を推し、前身させる」を暗示しているとも言われていますし、あまりに赤裸々に未来を書いてしまうことを恐れて「この辺で止めよう」と背を推したとも言われているのです。

そんな予言の内容は、60年周期(60象・十干十二支の60干支で象徴している予言内容)の考え方に基づき、第一象(甲子)から第60象(癸亥)までの各象で構成されています。
それぞれの象には象徴する易の卦やイラスト図が示され、イラスト図の予言内容を示す詩歌『識(しん)』、さらに深い予言内容の詩歌『頌(しょう)』がありますが、これらの詩文は暗号のようになっていることから、予言内容を紐解いていくという形式になっています。
ちなみにその背景にあるのは中国の東洋思想であり、全世界の事象をフォローしている訳ではなく、あくまで中国を中心とした予言書であることには気をつけねばなりません。
また一貫して述べられているのは、分裂と統一を繰り返してきた中国に必要不可欠な救世主待望論です。

なお、そんな推背図ですが、
・日本は消滅し、中国大陸の中で日本民族や日本文化がかろうじて存命する
・中国と台湾が統一される
と読み解ける内容も含まれているようです。
また一説には、四一象で朝鮮戦争(1950~1952年)、四二象で毛沢東による粛清・三反運動(1951年)・五反運動(1952年)、四三象で台湾の中国政策(1990年代)、四六象で湾岸戦争・東西冷戦の終結(1990~1991年)などの歴史的事件を、ほかにも太平洋戦争勃発(1939年)、チンギスハンの中国侵攻(1211年)、中国の文化大革命(1966年)、などを次々と的中させているとも言われているのです。

とはいえ、1000年以上昔の予言書ですし、すごく抽象的な予言なので、現在(ひとまずはこうであろうと)解釈されている内容をざっと並べておきます。
項目によっては随分おどろおどろしい内容ですが、一説には“第五十六象:己未”に書かれているのが『第三次世界大戦』が始まるという内容。
巷ではこれを来年(2015年)とする節もあるのですが、来年は甲午。
普通に己未として考えれば、次は2039年ですし。。。。ふむ。

第四十五象を第二次次世界大戦の終わった年1945年として考えると、中国と台湾が統一されるという第四十三象は1943年。
となるとその約30年後は1973年。大幅に先を読んで+60年だとしても2033年。
やはり、鵜呑みにするのは危険そうです。

そんな『推背図』ではありますが、(冒頭でも述べたように)自ら思考することを放棄することなく、また予言の内容を参考にしながらどう変えていくかといった観点で読み解いてください。

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『推背図 目次相当の内容』

第一象 陰陽は循環する
第二象 栄枯盛衰は常のこと
第三象 権勢を誇る武則天
四象 五英傑、唐を復興する
第五象 楊貴妃、馬嵬駅で「鬼」に逢う
第六象 安定した都の暮らし
第七象 異民族が唐に侵入す
第八象 裏切り・内部抗争で李家絶える
第九象 朱温、ついに唐を滅ぼす
第一〇象 血があって、頭がない
第一一象 誰が龍か、誰が蛇か
第一二象 無秩序だった五代時代
第一三象 漢の血筋が帰ってきた
第一四象 循環する五代王朝の興亡
第一五象 わずらわしい蜂が暗示するもの
第一六象 宋の太祖が臣下と会議す
第一七象 宋・遼の間に和議が成立
第一八象 貴婦人と犬
第一九象 過激な改革、人が去る
第二〇象 国情乱れ、農村疲弊する
第二一象 屈辱たる靖康の変
第二二象 高揚する南宋ナショナリズム
第二三象 不屈の人・節義の人、文天祥
第二四象 南宋は海の藻屑となって消えた
第二五象 ジンギスカンの幼名は「鉄木真」
第二六象 明国の夜明け
第二七象 明は「日と月」と書く
第二八象 燕王、翼を広げ領土を拡大
第二九象 明、黄金時代を迎える
第三〇象 明国六皇帝、片時も国境を忘れず
第三一象 奸臣の弾圧荒れ狂う
第三二象 顔黒反乱軍・李自成暴れまわる
第三三象 満洲族が漢族に辮髪を命ず
第三四象 白衣を着た有髪の軍隊
第三五象 清の堕落、西洋の侵略
第三六象 列国に操られる西太后
第三七象 中華民国の誕生
第三八象 第一次大戦に導入された戦車
第三九象 唐時代に真珠湾攻撃を予言
第四〇象 台湾にまつわる予言の数々
第四一象 毛沢東、血の粛清
第四二象 核に緊張する朝鮮半島
第四十三象(祖国統一=丙午・易卦は火風鼎)
 約30年をかけて中国と台湾が統一される。
第四十四象(聖人が再臨誕生=丁未・易卦は火水未済)
 両岸四地(中国大陸、香港、台湾、マカオ)で一国二制度が堅持され、中国に聖人が誕生し、中国が世界的なリーダー国家と認められるようになる。
第四十五象(日本が敗戦し国運が終わる=戊申・易卦は山水蒙)
 日本が敗北して日本列島が沈没し、日本は武力を一切持つことなく武力解除される。
 日本が領土問題を名目に戦争を挑発すれば失敗に終わる。
第四十六象(ハイテクの危機に直面=己酉・易卦は風水渙)
 ハイテク技術が大きく発展したことで世界的な危機に直面するが、一人の勇士が身を挺して危機から守り、万民が死なずにすむ方法を実行する。
第四十七象(文化を重視し、軽武装になる時代=庚戌・易卦は天水訟)
 武力解決を避ける時代となり、高度な文化交流が盛んになる高度文化時代が到来する。
 王制がなくなり、農民出身の徳の高い偉大な指導者が誕生する。
第四十八象(風雨にさらされる50年間=辛亥・易卦は天火同人)
 辰と巳の年に朱という姓の指導者が登場し、50年間、中国に君臨し、国を指導する。
第四十九象(短期的な世界混乱期=壬子・易卦は坤為地)
 各組織が聯合戦線を組み、東西南北に世界が分裂し、八つに分かれるような動乱の動きになる。
第五十象(資源争奪戦=癸丑・易卦は地雷復
 資源争奪戦が寅年から始まり、人々はこの争奪戦のために生活が大変になり、苦労が増大する。
第五十一象(夫唱婦随の女性の価値が高まる時代到来=甲寅/易卦は地沢臨)
 新時代には男女一組の指導者が誕生し、特に女性指導者の品行方正ぶりが高く評価される。
 女性指導者の良妻賢母ぶりや女性的な感性と知性が国の安泰をもたらし、70年間は興隆する。
第五十二象(聖人が二度危機を救い、新時代が到来=乙卯・易卦は地天泰)
 聖人が新時代の人類を指導していくが独自路線で非常な孤独を抱え、快楽の方向へ国を向かわせて危機に直面。楚(湖北省)呉(江蘇省)の指導者によって危機を乗り越える。
第五十三象(中華再復興の時代=丙辰・易卦は雷天大壮)
 秦の姓を持つ陝西省出身の指導者が国を治め、儒教の孝の精神を重視する徳政を行う。
第五十四象(新風巻き込む中華文化時代=丁巳・易卦は沢天夬)
 旧態依然の中華文化と新しい中華文化が融合して強大で持久力のある新しい中華文化時代が到来する。
 そこには一人の傑出した人物の重要な作用があり、再び世界に新しい中華文化の魅力を再現できるようになる。
第五十五象(東方文化の興亡と盛衰=戊午・易卦は水天需)
 日本は沈没し、大部分の流民になった日本国民は大部分が中国に受け入れられ、日本文化は中国の中で根づいて存続するようになる。
第五十六象(第三次世界大戦の勃発=己未・易卦は水地比)
 兵士のいない戦争が起こり、その戦争は激烈で中国にも戦火が及ぶ。
第五十七象(天才少年が救世主となって戦争のない世を治める=庚申・易卦は兌為沢)
 第三次世界大戦で荒れ果てた地球に身長100センチ以下の天才少年が『毒を以て毒を制す』武器を使って戦争を終結させる。その天才少年は呉越(浙江省あたりかベトナム)に誕生する。
 呉越についてはこの解釈だけではなく、場所の正確な予測はできにくい。
第五十八象(大統一時代が到来=辛酉・易卦は沢水困)
 第三次世界大戦で大動乱が終わり、各国が手を握って協力し合い、平和的な大統一時代が到来する。
第五十九象(人類の個人差がなくなる時代=壬戌・易卦は沢地萃)
 大統一時代に入り、個人差が徐々になくなり、都市や政府がなくなり、自他の区別がなくなるようになる。
 五色人種の壁がなくなり、東西南北が和睦し、人類一家族時代となる。
第六十象(古い世界が終わり、新世界が始まる=癸亥・沢山咸)
 矛盾や対立がなくなり、新世界が始まる時となる。

参考:
 2010年 庚寅
 2011年 辛卯
 2012年 壬辰
 2013年 癸巳
 2014年 甲午
 2015年 乙未
 2016年 丙申
 2017年 丁酉
 2018年 戊戌
 2019年 己亥
 2020年 庚子
 2021年 辛丑
 2022年 壬寅
 2023年 癸卯
 2024年 甲辰
 2025年 乙巳
 2026年 丙午
 2027年 丁未
 2028年 戊申
 2028年 己酉
 2030年 庚戌
 2031年 辛亥
 2032年 壬子
 2033年 癸丑
 2034年 甲寅
 2035年 乙卯
 2036年 丙辰
 2037年 丁巳
 2038年 戊午
 2039年 己未
 2040年 庚申

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翁問答より学ぶ!心学の提唱・明徳と普遍道徳・全孝について

『翁問答』は、孝行を中心とする道徳哲学を、わかりやすく問答形式で説いた全2巻の教訓書・心学書です。
先覚者「天君」とその弟子「体充」の問答を傍らで聞いた人物が筆録したという形式で書かれており、人間の道を説いています。
中国明末における儒・仏・道三教一致の思想の影響を深く受けつつ、宗教的な立場を根底として人倫を示し、平明に理を説いた教訓読み物としても広く受け入れられていました。

著者は、近江国出身の江戸時代初期の陽明学者・中江藤樹
初め朱子学を信奉して孝の徳目を重んじ『翁問答』を著しました。
晩年は王陽明の陽明全書に接して陽明学※)を首唱し、日本の陽明学の祖となります。
後に村民を教化し徳行をもって聞こえ、近江聖人と称されました。
門下には、熊沢蕃山※)、淵岡山、中川謙叔がいます。

藤樹は陽明全書を読んでから、自分の学問を深め
「人の心の中の良知は鏡のような存在である。
 多くの人はみにくい色々の欲望が起きて、つい美しい良知を曇らせる。
 わたしたちは自分の欲望に打ち勝って、この良知を鏡のように磨き、
 曇らないようにして、その良知の指図に従うように努めなければならない」
とし、身を修める根本は良知に致ることだと説いたのです。
さらに良知に至る道筋として次の五事を正すことにあると、具体的な指針を示しています。
【五事】
 一 貌(ぼう)和やかな顔つき
 二 言(げん)温かく思いやりのある言葉
 三 視(し)澄んだ優しい眼ざし
 四 聴(ちょう)ほんとうの気持ちを聞く
 五 思(思いやりのある気持ち)
藤樹以降の陽明学者としては、三輪執斉、大塩平八郎、佐藤一斉、川田雄琴などがおり、陽明学の精神を生かした人としては佐久間象山吉田松陰西郷隆盛などがいます。

そんな藤樹の『翁問答』は、儒道、五倫の道、真の学問と偽の学問、文と武、士道、軍法、仏教神道などが論ぜられており、なかでも心学の提唱としての明徳と普遍道徳としての全孝が注目されます。

藤樹は、人が単に外的規範に形式的に従うことを良しとせず、人の内面・心の道徳的可能性を信頼し、人が聖人の心を模範として自らの心を正すことが、真の正しい行為と生き方をもたらすと説きました。(心学の提唱)
これは四書の『大学』における「明徳を明らかにする」という「明徳の説」でもあります。

また、父祖への孝のみでなく、一切の道徳を包括するところの孝の道を説いたのです。
人間社会もふくめて宇宙のすべては「孝」という一字から成り立っており、宇宙の根源というべき「孝」から、天地万物すべてのものが生まれた。
その孝は、人の胸のうちにも凝縮されており、その具体的営みは「愛敬」となる。
これは十三経の『孝経』における「全孝の説」です。

そして、愛敬の心と行いとを発揮するには、人の心にある明徳を明らかにする以外になく、この明徳と孝とは密接不離の同根関係にあることを、藤樹は説いているのです。
前者は藤樹の人間観であり、後者は藤樹の世界観、宇宙観といえるでしょう。

そんな『翁問答』。
関連する書籍も希少ではありますが、機会があればこうした教訓書・心学書で学んでみるのはいかがでしょうか。

以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。

【翁問答 上巻】

天よりも高く
・父母からうけた恵みは、天よりも高く、海よりも深いものである。それがあまりに広大で、他と比較することのできない恵みであるゆえに、利欲の心におおわれた凡人は、その恵みに報いることを忘れ、かえって父母の恵みの有無さえも、なにひとつ思わなくなってしまうのである。

父母の千辛万苦
・(父母のなしてきた)このような慈愛、このような苦労を積みかさねて、わが子のからだを養育したのであるから、人のからだすべて、小さな毛一本にいたるまで、父母の辛苦の、ふかい恵みでないものはないのである。

利欲の暗雲
・(われわれの胸中には)本心の孝徳がそなわっているにもかかわらず、父母の恵みに報いることを忘れているのは、いわば利欲の暗雲におおわれて、明徳の太陽の光がくらくなり、心の闇に迷うゆえである。

至徳要道という霊宝
・われわれ人間の身のうちには、この上ないりっぱな徳である至徳と、重要な道としての要道という、世界に二つとない霊宝がそなわっている。この霊宝をもちいて、心に守り身におこなうことを要領とする。

孔子述作の孝経
孔子は、永くふかい闇を照らすために、この霊宝を求めまなぶ鏡として『孝経』を述作されたのであるが、秦の時代よりのち千八百年の間、(至徳要道を)じゅうぶんにまなび得た人は、じつに稀である。

全孝の説①
・この(至徳要道という)霊宝は、天にあっては天道となり、地にあっては地道となり、人間にあっては人道となり、すべてに通用するものである。

全孝の説②
・もともと、その霊宝には名前などはなかったけれども、万民に(わかりやすく)教示するために、いにしえの聖人はその光景を写しとって「孝」と名づけたのである。

孝とは愛敬
・孝徳がおよぼす感覚を手っ取り早くいうと、愛敬の二字に集約することができる。愛は、ねんごろに親しむという意味である。敬は、自分より上の人を敬い、と同時に下の人を軽んじたり、ばかにしないという意味である。

忠とは
・裏切りの心がなく主君を愛敬することを「忠」と名づけるのである。

仁とは
・礼儀正しく、わが家臣たちを愛敬することを「仁」と名づけるのである。

慈とは
・しっかりと(人の道を)教えて、わが子を愛敬することを「慈」と名づけるのである。

悌とは
・なごやかですなおな心で年長の人を愛敬することを「悌」と名づけるのである。

恵とは
・善行をうながして年少の人を愛敬することを「恵」と名づけるのである。

順とは
・正しい定めを守ってわが夫を愛敬することを「順」と名づけるのである。

和とは
・正義を守ってわが妻を愛敬することを「和」と名づけるのである。

信とは
・(一言の)いつわりをも持たずに、ともだちを愛敬することを「信」と名づけるのである。

孝は無始無終
・もともと孝は、(宇宙の根源の)太虚がその全体の姿であり、永久に終わりもなければ始めもなく、万物すべてが孝でないものはないのである。

一人は太虚神明の分身
・自分のからだは父母から授かり、父母のからだは天地から授かり、その天地は(宇宙の根源の)太虚から授けられたものなので、本来自分のからだは、その太虚・神明の分身といえるのである。

すべて私心から①
・人間のさまざまな迷いは、みな私心より起こるのである。私心は、(父母から授かった)からだを自分のものと思うところから起こるわけである。

すべて私心から②
・孝は、そのような私心を取りのぞく主人公であるがゆえに、孝徳の本来を理解しないときは、たとえ博学多才の人であっても、本当の聖賢の教えを学ぶ者とはいえないのである。

不孝とは
・心にわけもないことを思ったり、あるいは怒るほどでないことに腹を立てたり、さほど喜ぶほどでないことに喜んだり、願うほどでないことに強く願ったり、悔やむほどでないことに悔やんだり、恐れるほどでないことに恐れたりするのも、みな不孝というものである。

一言のいつわり
・たった一言の偽りもまた不孝というものである。

迷える人の習慣
・(世間一般にみられる)迷う人の習慣に、富貴を最上のものと思い、それを第一の願いとするならば、自分にとって富貴を求める助けとなる人には、かぎりなく敬い追従し、(周りから)悪口を言われても、耐え忍んで恥としないものである。

順徳とは
・父母を愛敬することを根本とし、それを押し広めて父母以外の人々にも愛敬し、(聖賢の)道をおさめることを孝といい、順徳ともいうのである。

惇徳とは
・(自分にうけた)大根本の恵みを忘れて、父母を愛敬することなく、枝葉の小さい恵みに報いようとして、他人を愛敬するを不孝といい、惇徳ともいうのである。

惇徳の人は
・(そのような)惇徳の人は、たとえ才能が人よりもすぐれていたとしても、真実の人とはいえない。かならずついには神明の冥罰をこうむることになるのである。

孝行の条目
・孝行の内容はかず多くあるけれども、突きつめると二か条に集約できる。第一には、父母の心にうれいを持たず安楽なるようにすることである。第二には、父母のからだを常に敬い養うことである。

姑息の愛①
・その場かぎりの苦労をいたわって、わが子の願いのままに育てることを、姑息の愛といい、姑息の愛をば祇積の愛といって、親牛が小牛を舌でなめるような育て方に、たとえられている。

姑息の愛②
・姑息の愛は、さしあたっては慈愛のように思われるけれども、その子は気ままな性格となり、才能も孝徳もなく、禽獣のような心になってしまい、結局はわが子を憎み、悪の道に引き入れてしまうのと同じことになるのである。

子孫に道を教える
・さてまた、家をさかんにするのも子や孫であり、また家をだめにするのも子や孫である。その子や孫に、人としての道を教えずに、かれらの繁昌をもとめるのは、足がないのに歩いて行くことを願っているのに等しい。

胎教は母徳の教化
・子や孫に、人としての道を教えるには、幼少の時期を根本とする。むかしは、胎教といって、子どもが母の胎内にあるあいだにも、母徳の教化があった。

徳教とは
・根本真実の教化は、徳教である。口にて教えるのでなく、わが身を正して(聖賢の)道をおさめ、人がおのずから感化をうけて変化することを、徳教というのである。

師匠と友をえらぶ
・成童となってからの教えは、すぐれた徳のある師匠とよき友人をえらぶのを眼目とする。さて職業は、それぞれの器用と、それぞれの生活環境的な運命を考えて、本分の生まれつき、士農工商のなかから考え定めることである。

人は天地の子
・すべての人間は、天地の(恵みによって生生化育された)子であるので、われも人も人間の形あるほどの者は、みな兄弟なのである。

庶民はくにの宝
・農民・職人・商人は国の宝であるから、一層あわれみ育くんで、かれらの得た利益を自分の利益のように喜び、かれらの楽しみを自分の楽しみのように政治をおこなうのが、主君の仁と礼の概略である。

分形連気の道理
・世間の迷っている人を観察すると、おそらく血を分けた兄弟の関係は、他人よりも疎遠になっている場合が多い。わずかの物欲の争いで、まるで敵のような思いを結んでいる者がある。これは、分形連気という(一つの根源から生まれたという)道理を知らないためである。

心友とは
・お互いのこころざしが同じで、親しくまじわるともだちのことを「心友」というのである。

面友とは
・こころざしは違っていても、なにかの理由か、あるいはおなじ郷里や隣り近所、あるいはおなじ職場などで、再三ともにまじわっているともだちを「面友」というのである。

人面獣心
・人間に生まれて、徳を知り人としての道をおこなわなければ、人面獣心といって、姿かたちは人間であっても、心は禽獣となんら変わるものではない。

世間の学問
・世間で評判にあがっている学問というのは、多分にせである。(そのような)にせの学問をおこなえば、なんの利益もなく、かえって性格が悪くなり風変わりな人間に陥ってしまうものである。

正真の学問
・まことの学問は、(古代中国の帝王の)伏犠の教えはじめた儒道である。むかしは、教えも学問もこの正真のもの以外なかったのであるが、世も末になっていつとはなしに、唐土にも夷の国にも、にせの学問がかず多く出てきてから、にせ(の学問)が勢いを増して、まことの学問が衰微するようになったのである。

俗儒は徳しらず
・つまらない儒者のおこなう学問は、儒道の書物を読み、そのことばの意味をおぼえて、暗諭したり詩歌をつくることばかりし、耳に聞き口にその知識を説くばかりで、もっとも大切な徳を知り、心学をおさめようとはしないものである。

俗儒の学問①
・つまらない儒者のおこなう学問は、(まことの儒者のおこなう)正真の学問にことのほか近いけれども、こころざしの立て方と、学問の仕方によって、千万里ほどのおおきな誤まりをおかしている。

俗儒の学問②
四書五経をはじめ、そのほか諸子百家書物を残らず読みおぼえ、文章を書き詩歌をつくり、それによって自分の口耳をかざり、利禄をその報酬の目的にして、おごりたかぶるの心のはなはだ深きを、つまらない儒者の記調詞章の学問というのである。

心学とは
・聖人や賢人、四書五経の心を鏡として、自分の心を正すのは、始終ことごとく心の上の学問ゆえに「心学」ともいうのである。

心学は聖学
・この心学をしっかりとおさめると、普通の人間がりっぱな聖人の境涯にいたるものであるゆえに、また「聖学」ともいうのである。

口耳の学とは
・聖人や賢人、四書五経の心を教師として、自分の心を正すことに少しも心がけず、ただ博学にほこることだけを目標とし、耳に聞いてただ口に出すばかりで、そのような口耳のあいだの学問ゆえに、心学といわずに「口耳の学」ともいうのである。

口耳の学は俗学
・このような口耳の学にあっては、どれほど博学・多才であっても、(その人の)気立てやおこないは、世間一般の普通の人となんら変わることがないので、また「俗学」ともいうのである。

聖賢の心
・聖人や賢人といわれる人の心は、富貴になることを願わないし、貧乏をいやがらない。また生と死にたいしても一喜一憂をしない。さらには幸福を求めないし、わざわいを避けることもない。

まことの武とは
・武道を習わない(聖賢の)学問は、まことの学問とはいえない。(聖賢の)学問をおさめない武道は、まことの武道とはいえない。

文武は仁義
・学問は親愛を知る教えの異名であり、武道は道理にかなった教えの異名である。

文徳と武徳
・文学にふかく通達していても、(その人に)徳がなければ、文学を(社会に)生かすことができない。武術にふかく習得していても、(その人に)徳がなければ、武道を(社会に)生かすことができないのである。

真儒の門に入る
・軍法をまなぼうと思う人は、まずまことの儒者の門に入って、(わが胸のうちにある)文武合一の明徳を(りっぱに)発揮して根本を立て、そしてそののちに、軍法の書物をまなんで眼目・手足の実践的工夫を専念することが簡要である。

用の立たぬ人間なし
・主君が家臣をもちいる本意は、公明と博愛の心をもとにして、かりにも人をえらび捨てず、かれらの賢智・愚不肖、その
分相応の用捨にたいして私心なく、道徳や才智ある賢人を高位にあげて、処罰すべての話しあいの中心人物とし、また才徳のとぼしい愚不肖の家臣にも、かならず得意とするものがある。

心の暗き主君は
・暗愚の心をもった主君は、どれほどすぐれた(家臣の)侍を集め仕えさせても、かれらを登用することなく、ただ主君の心とよく似た、心の暗いくせ者ばかりの侍を使いたがるものである。

主君の心ひとつ
・よき家臣か、それとも悪しき家臣か、また国が乱れるか、それともよく治まるかは、結局は主君の心ひとつに往きつくのである。

政治の根本
・処罰や法制・禁令にも本末がある。主君の心を明らかにして(聖賢の)道をおさめ、国中の人々の手本となり、鏡となるのが、政治の根本である。法制・禁令の箇条は、政治の枝葉に過ぎない。

法度はなくても
・主君の好んでよく使うことばを、そのしもじもの領民までもみな真似をするものなので、主君の心が明らかで(聖賢の)道をおさめるならば、法制・禁令がなくても、おのずからかれらの心が正しくなるものである。

法治の限界
・もとを捨てて、すえばかりで治めることを法治といって、好ましくない。法治は、かならず法制・禁令の箇条がかず多くあって、その内容も厳しいものである。秦の始皇帝のさだめたそれが、法治の極みといえる。法治は、きびしいほどかえって、国内が乱れるものである。

徳治とは
・徳治は、まず自分自身の心を正してから、人の心を正すものである。たとえば、大工が墨曲尺というまっすぐな道具をもちいて、物のゆがみを直すようなものである。

法治は杓子定規
・法治は、自分の心は正しくないのに、人の心ばかりを正しくしようとするものである。たとえば、ことわざにいうところの杓子定規のことである。

すべては天の命
・人間の一生涯において、出会うところの生活環境、さいわいとわざわい、毎日の飲食にいたるまで、すべて(おおいなる上帝による)天の命でないものはないのである。

時と所と位
・処罰や法制・禁令は、主君の明徳を明らかにして根本をさだめ、(古代中国の)周礼などに記されている聖人のさだめた法律をかんがえて、その本意を知り、政治の鏡として、時代と場所と立場と(天・地・人の)一一一才にふさわしい至善をよく識別して、万古不易の中庸をおこなうことを、眼目とするのである。

政治と学問①
・政治は、(わが胸のうちにある)明徳を発揮する学問であり、学問というのは、天下国家をりっぱにおさめるための政治なのである。

政治と学問②
・天子および諸侯の身におこなう一事、口から発する一言のすべてが処置の根本になるので、政治と学問とは本来、同一のことわりであることを、はっきりと得心しなければならない。

人間はみな善
・天道を根本として生まれ出た万物ゆえに、天道は人と物の大父母にして、すべての根本である。人と物は、天道の子孫にして枝葉である。根本の天道が純粋にして至善であるならば、その枝葉である人と物もまた、みな善にして悪はないものと、得心しなければならない。

悪人とは
・才能があっても無くても、知恵があっても無くても、形気のよこしまな私欲におぼれ、本心の良知をくもらす者を、そうじて悪人というならば、たとえ才智や芸能が人よりもすぐれていたとしても、よこしまな私欲がふかく、良知のくらい人間はまさしく悪人である。

【翁問答 下巻】

学問の目的
・それ学問は、心の汚れをきよめ、自身の日常のおこないを正すことを、本来の中味とする。漢字が発明される以前の大むかしには、もとより読むべき書物がなかったために、(人々は)ただりっぱな徳のそなわった人のことばやおこないを手本として、学問をおさめたのである。

学問する人とは
・その(明徳の)心を明らかにして、身をおきめる思案工夫のない人は、たとえ四書五経を昼夜わかたず、手から離さずに読んでいるといっても、学問する人とはいえないのである。

にせの学問
・にせの学問は、博識の名誉のみを心の中心におき、同学のすぐれた人をねたみ、おのれの名声を高くすることばかり考え、高満の心におおわれて、人にたいする思いやりやまどころに乏しく、ただひたすら机上の学問ばかりをおこなうゆえに、かえって心だて、行儀が悪くなってしまうのである。

世間の迷い
・運よく富貴の身にあるならば、それは自分の智恵と才覚のよってもたらしたものと思い、(その反対に)運悪く貧賎の身になったならば、それは自分のおこないとは思わずに、親のせいにして人を責め天をうらむこと、すべて人間の迷いである。

文武兼備
・学問は、武士の所業ではないというのは、ひときわ愚かな世間の評判であり、迷いのなかの迷いである。その子細は、(明徳の)心を明らかにして行儀正しく、学問と武芸とが兼ねそなわるように思案・工夫することを、まことの学問というのである。

まことの読書
・文字を眼で見て、おぼえることはできないけれども、聖人のあらわした四書五経の本意をよく得心して、自分の心の鏡とすることを、「心にて心を読む」といって、まことの読書なのである。

眼にて文字を読む
・心による会得をすることなく、ただ目で文字を見て、おぼえることばかりするのを、「眼にて文字を読む」といってまことの読書とはいえない。

中庸の心法
・中庸にしてかたよりのない心法を保持して、財宝を用いたならば、私欲の汚れがすこしもないので、清白・廉直にして、私用の財宝も公用と変じて、おなじ道理となるのである。

私の一字
・私心におおわれた人間は、かならず気ままである。そのような人間は、かならず他人の異見を聞き入れようとはしないし、世間の非難の声にも反省しようとはしないものである。

謙の一字
・国家をりっぱにおさめ、世界をおだやかな社会にする要領は、謙の一字につきるのである。

謙徳は海
・謙徳は、たとえば海のようなものであり、万民は水である。海は低いところにあるので、世界中のあらゆる水は、みな海にあつまるように、天子・諸侯が謙徳を保持していくならば、国や世界の万民はみな心を帰して、喜びしたがうものである。

心学の有無
・心学をしっかりときわめた武士は、義理を固くまもり、よこしまな私欲がないので、世間の作法に感化されることはない。(その反対に)心学をおさめない武士は、よこしまな名声と利欲におぼれるものである。

正しき士道
・心の汚れがなく、義理にかなっているならば、(たとえ)ふたりの主君に仕えなくても、また主君を変えて仕えても、すべて正しい武士の道というものである。

徳仁義は人の本心
・明徳と仁義は、われわれの本心の異名である。この本心は、いのちの根元ゆえに、すべての人間に、この明徳と仁義の心のない者は、ひとりもいないのである。

腕力つよい武十
・大声で威喝し、自分の腕力をたのみとする人は、かならず他人をばかにし、闘争心がはなはだしいので、かならずけんかの犬死をしてしまい、親に心配をかけ、主君の知行を盗むことになり、心がいやしいものである。

おおいなる上帝
・聖人も賢人も、釈迦も達磨も、儒者も仏者も、われも人も、世界のうちにある、ありとあらゆるほどの人間は、すべておおいなる上帝、天神地祇の子孫なのである。

儒道・儒教儒学
・われわれ人間の大始祖であるおおいなる上帝、大父母である天神地祇の天命をおそれ敬い、その神道を敬いたっとんで、受用することを孝行と名づけ、また至徳要道とも名づけ、また儒道と名づけている。この儒道を教えることを儒教といい、これをまなぶことを儒学というのである。

迷いと悟り①
そもそも人間は、迷いと悟りとのどちらかに帰着する。迷うときは凡夫であり、悟るときは聖賢、君子、仏、菩薩である。その迷いと悟りは、(われわれの)一心のうちにふくまれているのである。

迷いと悟り②
・欲望ふかく、無明の雲あついために心月の光りがかすかとなって、闇の夜のようになるのを「迷いの心」といい、学問修行の功つもり、人欲取りのぞかれて無明の雲晴れ、心月の霊光が明らかに照らすを「悟りの心」というのである。

俵人とは
・心がねじけて、人をたぶらかすことの上手な者を俵人という。(信人は)才智たくましく、芸能や文学が人よりもすぐれ、弁舌じょうずでよこしまな私欲がふかく、義理を守ろうとはしない。人を化かすこと野狐のようで、人を傷つけること虎狼のような心根のある者が、俵人の棟梁というのである。

神明を信仰する
・神明を信仰することは、儒道の本意である。それゆえに、始祖を天に配し、父を上帝に配し、(人間のおこないの)神明につうじることが、孝行の極みであると『孝経』に説かれている。

儒道はすべてに
・もともと儒道は、太虚の神道であるゆえに、世界のうち舟や車のいたるところ、人力のつうずるところ、天の覆うところ、地の載せるところ、日月の照らすところ、露霜の落ちるところ、血気のある者の住むほどのところにて、儒道のおこなわれないところはないのである。

むさぼる心根
・官位につくことを欲とし、官位を捨てることを無欲とし、財宝をたくわえることを欲とし、財宝を捨てることを無欲と思うのは、いまだ明徳くらくして、官位を好み、財宝をむさぼる心根が残っていて、外物にこだわって、使い勝手の私心をもっているゆえである。

無欲と欲①
・神明の(清浄と正直の)道理にかなっていれば、(たとえ)天子の位にのぼっても、財宝をたくわえても、官位を捨てるも、財宝を捨てるも、すべて無欲であり、無妄というものである。

無欲と欲②
・(その反対に)神明の(清浄と正直の)道理にそむいたならば、(たとえ)天子の位を捨てるも、財宝を捨てるも、官位にのぼるも、財宝をたくわえるも、すべて欲であり、いつわりである。

善の名声
・(いつも)善の心で思い、善のおこないをなせば(世間から)善の名声がうわさされる。(古代中国の聖人)尭帝や舜帝孔子顔回などが、その代表的の例である。

悪の名声
・(いつも)悪事ばかりの心にあって、悪のおこないをなせば(世間から)悪の名声が広まる。(古代中国の)築王や村王、盗距などが、その代表的の例である。

習い染まる心①
・習癖に染まる心とは、(この世に)生を受けて以来、見慣れ聞き慣れて、無意識のうちに、いつとなく感化されて、染まってしまった心のことである。たとえば、水に朱色の絵具をとけば、その色赤くなり、緑青の絵具をとけば、青くなるようなものである。

習い染まる心②
・もともと、人の心に好き嫌いのさだまったものはないけれども、その人の生まれ育った国や土地の風俗、その家の習慣などに感化され染まって、好き嫌いの判断がいろいろに変わるのである。学問や芸能にも、(同様の)習癖の心がある。まず本心の真実をよく考えさだめて、その上にて習癖の心をよくしらべて、取りのぞくことである。

全孝の心法
・孝徳全体のありのままを明らかにする工夫を、全孝の心法というのである。全孝の心法は、広大にして高明、そして神明につうじ世界にもおよぶけれども、つづまるところの根本は、身を立て(聖賢の)道をおこなうことにある。

世間の儒者
・魯国の君主は、儒服を着ている人をさして儒者とあやまり、今の世間の人は、四書五経の儒害を読む人をさして儒者とあやまっている。そのあやまっている品物はことなっているけれども、真の儒者でないという、実体を知らない点においては、おなじ迷いである。

禍いを招く満心
・人心の私意を種として、知恵があったとしても、(その反対の)愚かであったとしても、自満の心のない人間は稀である。この満心が本心の明徳をくもらして、自分自身にわざわいをまねくくせものとなり、あらゆる苦悩もまた、おおかたこれより起こるのである。

謙の徳
・謙は、おだやかで公平無私の心をもち、みずから省みて独りをつつしみ、人をうらまず、人をばかにしたりせず、人にたいして善をなす徳のことである。

徳なき儒者
儒者という名は、徳にあって芸にはないのである。文学は、芸ゆえに生まれつき物覚えのよい人はだれでも修得することができる。たとえ文学にすぐれた人であっても、仁義の徳のない者は儒者ではない。ただ文学にすぐれた凡夫である。

人間の万苦①
・人間のいろいろの苦しみは、明徳をくもらしているところから起こり、世界の戦争もまた、(為政者の)明徳をくもらしているところから起こるのである。これは世界の大不幸ではなかろうか。

人間の万苦②
・(中国のいにしえの)聖人は、このことをふかく憐れんで、明徳を明らかにする教えを立てて、人々に学問をすすめたのである。四書五経に説かれている教えは、すべてこのことにほかならない。

幼童の心
・もともと、われわれの心の本体は、安楽なのである。その証拠として、幼児より五、六歳までの子どもの心を見るとよい。世間も、おさない子どもの苦悩のないすがたを見ては仏であるなどといっている。

明徳がくもると
・明徳がくもってしまうと、習癖にそまり人欲にとどこおり、酒色・財気の迷いがふかいゆえに、天下を得ればその天下を憂い、国を得ればその国を憂い、家あればその家を憂い、妻子あればその妻子を憂い、牛馬あればその牛馬を憂い、金銀財宝あればその金銀財宝を憂い、見ること聞くこと、そのおおかたが苦悩となるのである。

苦痛の原因
・苦痛というのは、ただすべての人が(私利私欲の)迷いによって、みずからつくった(心の)病気なのである。

苦楽は心にあり
・農民の耕転は、勤労の極みであるけれども、かれらの心には、さほどの苦悩はない。(古代中国の)大畠のなした治水は、その勤労の極みであるけれども、その楽しみは快活である。しっかりと実際の道理を体察したならば、苦楽は心にあって、外物にないことを、知ることができるのである。

惑いの塵砂
・心の本体は、もともと安楽なのであるけれども、迷いのこまかい塵砂が眼にはいって、種々の苦痛を辛抱することができない。学問は、このこまかい塵砂の迷いをあらい捨てて、本体の安楽に帰る教えであるゆえに、学問をしっかりとおさめて工夫.受用したならば、もとの心の安楽に帰ることができるのである。

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